所持金80円の時に放課後デイのお手伝いの話がきた
放課後デイ(学童)のお手伝いの話が来た
前回何度も書いた所持金80円残高9円シリーズには続きがあります。
お金の極限「お金がない」と「有る」を等辺で見た時に書いていた放課後DAYのお話。 さてどうなったのかをお伝えする時がきました笑。
厳密に言えば、前日に関係者から着信があったものの、その時は気づいていなくて。等辺観察が行われたのと同時にふと着信に気づき、かけなおしたら、正式に決まったというものです。
7世代先の子孫へ贈る「次元マッピング絵本」の願い
ネイティブインディアンの言葉
「すべての決断は、七世代先の子孫への影響を踏まえて行う」
という、ワンネススピリッツあふれるこの言葉のとおり、わたしには7世代先の地球の喜びのためのひとつに『子ども向けの絵本を創る』というものがあります。
「わ・た・し・が絵本を創るんだ~」という個人的なものではなく、"7世代先の地球たちも含めた全て"で創る今、という表現がしっくりくるのです。
イメージしてください。それは、今という核から放射状に花びらが開くような、7世代先と7世代前も含めた全ての花のようなものなのです。
過去も未来も本当は区別などなかった。そして核の中央ほど色が濃く密度が高いが、先にいくほど密度が軽くなっている美しきグラデーション。花びらのさきはまるで、光に溶けるかのように見えます。

このことをサブスタックで、ねぼけまなこでなんとかかんとか…表現しているので、ぜひご覧になってくださいね!
独身で子どものいない私は、子どもとの接触が著しく低いのですが、もともと子どもとは相性が良く、看護学生時代のエピソードは強くいまでも残っています。
幼稚園実習では、園児みたいな名札を手作りして胸につけて実習しました。そんなことをする実習生は過去にも先にもわたしだけだったそうです。するとどうでしょう! めっちゃ子どもたちにモテモテで、私の取り合いになるくらいでした笑。
その中でご縁の深さを感じた子どもたちもいて、今でも忘れられません。幼いながらにも、まるで硬い種が根を出し、芽を吹かせるような力強い好奇心、感性、そして胸のうちに秘めた葛藤などと触れることとなったのです。
園長先生の魂を震わせた「前代未聞の感想文」
幼稚園実習の終わりに園にレポートを提出したのですが、朝の全園集会みたいなものがありまして、その際、園長先生が涙ながらにわたしのレポートを園児たちに読みあげてくださったのです。
1週間か2週間?という短い期間に、わたしが子どもたちと触れ合って感じたことを散りばめた、なかば感想のような稚拙なレポートでした。
しかし、先生受けをすることも、実習の高い評価を得ることも、他の実習メンバーと足並み揃えることも無視した、前代未聞の感想文こそ、ベテラン園長先生の魂を震わせたのだと思います。
それが子どもたちにどう届いたのかは未知数ですが、もしも今のわたしのように、心の深い部分に刻まれていたなら、これ以上嬉しいことはないのです。
情報場と繋がって子どもと共鳴した日々
それだけではありません。近所の医師用居宅地の公園で私たちはよく遊んでいました。看護学生からもっとも恐れられていた、厳しくてぶっきらぼうの外科医(授業を教えに来ていただいてました)松尾先生の息子さんと仲良くなったのですが、その子がわたしの手を引いて自宅に連れて行ったのです。 「おとうさーんっ、僕の宝物!連れてきたのー!」と叫ぶ傍ら、微かに微かに嬉しそうに、そして微かに微かに照れながら、でもいつものようにぶっきらぼうな面持ちで、玄関先に現れた外科医の松尾先生。その時の様子はクラスでもおもろい事件として語られたくらいです。
父親の心中を慮ると、なんとも表現しがたいものがあるのでしょう。
ほかに、小児科実習の場面でも、看護というよりは、直感や閃きを生かして、病床の子どもたちの心を明るくするという関わりをしていたような気がします。自分の病気についての理解を深めてから、療養のルールを守るような取り組みをするのが、とても楽しかった。 絵本を自作したり、折り紙でパラパラまんがのようなものを作ったり。思えばあの頃から、情報場と繋がって、子どもとわたし双方の最善最適な情報を受信していたのかもしれません。 実習という枠にとどまりたくない。私が喜び子どもも喜ぶ。
実習の評価や「指導者に怒られるかも」なんて不安も滅しており、ただ受け持ち患児とふたりの濃密なエネルギーを心から味わっていたのだと思うのです。子どもたちと接するときに、管理や指導というより無邪気な共鳴者になる方が、わたしにとって合っています。
9次元意識でのシンクロニシティと経済の確立
そんなこともあり、絵本を創るにあたり、「子どもとの接触の機会がないかしらねぇ…」と思っていた矢先に、向こうから舞い込んできた、放課後DAY(学童)のお話だったのです。
しかも所持金80円の経済的極限にやってきた、最高の経済確立の流れです。
ちなみに私は現在9次元意識なので、3次元意識の生活のために自分のリソースを差し出して報酬を得るという学びは卒業しています。
高次元意識での経済はコチラに書いてありますので、ご参考ください。 なので、これはお金が入ってきてラッキー!というものではなく、「全ての子どもたちが隔たり無く無償で手に取れる絵本」を創る未来のために起きたシンクロニシティなのだと理解していました。
承認なき純粋意識——その先に現れた「暗雲」
全ての人に開かれた地図として、次元マッピングが誰のもとにもある地図となるように…そんな思いは私の個人的な願いと言うより、地球の喜びでもあり、そして既にあるパラレルのひとつで、今一番わたしが同期している世界なのでしょう。
全く世の中から求められている気もしなければ、賛同してくださる方もいないし、たくさんのSNSをやっていますが、引き寄せられて誰かがやってくる気配もものすごく薄い笑。SNSでの交流はほとんどしないで、黙々と創造しているタイプなので、余計に過疎なのでしょうか。
これが3次元意識のままだったらとうに、こんなことはやめています。
しかし、誰からの承認も、賛同も、協力も、応援も、なんにも無く、世間は全く無反応だとしても、そんなものに価値など無いよと言われているとしても、私の魂はそれをしたいのか?
そんなふうに問われているけれど、 問いと同時にその度イエス!したい!と答えるわたしの純粋意識こそが、何より最高のご褒美なのかもしれません。
ということで、4月からスタートした子どもたちとの関わり。
ワクワクしていたはずなのですが、なぜか次第に気が重くなってきたのです。 その暗雲のような不穏さは、シフト表が出てさらに強くのしかかってきました。
「スタート段階からめっちゃシフトに入っているやん…しかも長時間…」
本来だったら嬉しいことのはずが、それが期待という圧のような、なんとも言いようのない思い密度のエネルギーとして、私の「次元マッピング~🎶」な周波数と干渉するのを感じていました。
そしてその不穏な密度の重いエネルギー、つまりネゲントロピー(収束・収縮)の強さを予感していながらも、子どもたちと接触したいというエントロピー(カオス・拡張)なエネルギーとの干渉が、葛藤というストレスで揺らしていました。あんなに楽しみにしていたことなのに、学童がスタートする前から、私の中に摩擦があったのです。
そして4月、スタートしてからは、、、、。
次回の記事をお楽しみに!
この記事の背景にある次元論の定義や、構造的解析の全データはGitHubにて公開・更新しています。https://github.com/marnakatani-bot/maria-dimension-map-
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