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父と2人のクーデター

昨日、父を介護付有料老人ホームに入居させた。
年が明けてから本格的に探し始めたことを考えると、早く決まった方ではないかと思う。

いろいろな文章を読んでいると、やはり在宅介護が一番だと書いてあるものが多い。
確かにそうだと思う。
実家は約50年前に購入したものだ。
この家で僕と妹は幼年期から結婚するまでの期間を過ごした。
僕たちが結婚して家を出てからは、父と母の2人で過ごしていた。
この家で、初めて電話がひかれた。
この家で、初めてカラーテレビを見た。
ステレオを買った。
兄弟喧嘩をした。
反抗期があった。
家族団欒もあった。
多分、夫婦喧嘩もあっただろう。

父はこの家で生涯を過ごすものと思っていたに違いない。
母と共に暮らし、母と子供たちに看取られながら安らかに逝くことを信じて疑わなかっただろう。
しかし、そうはならなかった。

どうしてならなかったのかという詳細は省く。
父の医療的な問題。
母の体調の問題。
ただ、ひとつ確実なこと。
それは、
「もうあかんわ」というほど僕は介護できなかったことだ。
できなかった理由を挙げればいろいろある。
もしお前は何をしていたと責められれば、きちんと反論もできる。
しかし、何も変わらない。

これは正しいことだったのかと自問し、後悔し、納得し、また自問する。
そんな日々を僕はこれから背負っていくに違いない。

父には、ホームへの入居は一時的なものだと今のところは伝えている。
ここで暮らして、体調が戻ればまた家には戻れるぞと。
薄々は父も感づいてはいるようだ。
もう自分の家に戻ることはないと。
しかし、いつかは僕の口からそのことをはっきりと伝えなければならないだろう。
父はいつも言っていた。
「言うべきことを言わないのは卑怯者だ」
父よ、僕は卑怯者にはなりたくない。

「男児志を立てて郷関を出ず
 学若し成る無くんば死すとも帰らず
 骨を埋むるに豈に惟だ墳墓の地のみならんや
 人間至る処青山あり」
父と一緒に風呂に入っていた小学生の頃、よく湯船に浸かりながら暗唱させられた。
「人間至る処青山あり」
父に、あなたに教えられた言葉だぞとは言えないが、せめて真実であって欲しい。

僕が大学生の頃、精神的に生きるのが難しくなったことがある。
当時は対人恐怖症という名で呼ばれていた。
いろいろやってはみたが、最終的に治療施設に入ることになった。
一週間くらい経った頃、どうしても僕は我慢できずにその施設を深夜飛び出した。
家に帰るわけにもいかず、たどり着いたのは祖母の所だった。
驚いた祖母からの連絡を受けた父が迎えにきた。
2人で話をして、明け方僕は父に付き添われてその施設に戻った。

父は、もう一度あの家に家族が集まる日を夢見ているに違いない。
その思いは、たとえもう戻れないとわかったとしても断ち切れないはずだ。
そして、それは僕も同じだ。
母も、妹も同じだろう。

不謹慎と言われようが、僕は思い描く。
父が施設を抜け出して、我が家をめざす姿を。
あの日の僕と同じように、施設を抜け出して深夜の道を歩く父の姿を。
初めてのタイピングよりも遅い足取りで、杖をつき歩く父の姿を。
そして、僕も駆けつける。
父と並んで遅い歩みを始めるのだ。
それは僕の罪悪感を誤魔化しているだけなのかもしれない。
それでも構わない。

僕は思い描く。
父とたった2人のクーデターを。

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