共生の黎明 #0.5② 「通貨の揺らぎ」について:連続小説『共生の黎明』に込めた想い
皆さま、いつも『共生の黎明』を読んでくださり、本当にありがとうございます。
この作品は、未来社会や人とAIの共生、新しい価値観の可能性を描く物語ですが、
その中で私があえて「通貨の揺らぎ」や「信認の低下」というテーマを描いていることには、明確な理由があります。
それは、
この世界の"当たり前"は本当に永遠なのでしょうか。
その問いを、この物語に触れてくださった皆さまと共有したかったからです。
通貨は、絶対ではない
私たちは日々、円やドルといった通貨を当然のものとして使っています。
働けば報酬として受け取り、
貯蓄すれば将来への安心と考え、
支払えば必要なものが手に入る。
けれど、その“当たり前”は、決して無条件ではありません。
通貨の価値は、紙そのものや数字そのものに宿っているのではなく、
国家、経済、制度、そして社会全体への信頼によって支えられています。
つまり通貨とは、
信頼そのものです。
そして信頼で成り立つ以上、
その信頼が揺らげば、通貨もまた揺らぐ可能性がある。
『共生の黎明』で描く「通貨の揺らぎ」は、
空想でありません
作品の中で、円安や物価上昇、生活不安が少しずつ描かれていくのは、読者の皆さまに恐怖を与えるためではありません。
むしろ私は、
現実にも起こりうる構造的な変化
として、このテーマを描いています。
世界を見渡せば、
インフレ。
通貨安。
資源価格高騰。
財政不安。
国際秩序の変化。
こうした出来事は、決して特別な国だけの話ではありません。
どの国も、どの社会も、
“絶対に揺るがない” と言い切れるものではない。
だからこそ私は、物語という形を通じて、
「もし今の前提が少しずつ変わっていったら?」
という問いを描いています。
崩壊を描きたいのではなく、
"違和感"を描きたい
『共生の黎明』は、破滅の物語ではありません。
突然すべてが終わるのではなく、
少しずつ物価が上がり、
生活が苦しくなり、
将来への不安が広がっていく。
そうした“静かな揺らぎ”です。
なぜなら現実もまた、多くの場合、
急激な崩壊よりも、
日常の中の違和感として始まる
からです。
そして、その違和感こそが、
私たちに社会の構造を見つめ直させるきっかけになる。
問いたいのは、
「通貨が危ない」ではなく、
「私たちは何を信じているのか」
この作品を通じて私が本当に描きたいのは、
単なる経済危機ではありません。
通貨の揺らぎを通じて見えてくる、
私たちは、何を信頼し、
何を価値とし、
何を未来へと託しているのか。
その問いです。
通貨は大切です。
経済も重要です。
けれど、それだけで社会は成り立つのでしょうか。
地域のつながり。
人と人との助け合い。
教育。
信頼。
感謝。
もし既存の仕組みに揺らぎが生まれた時、
そうした“目に見えにくい価値”こそが、
社会を支える土台になるのではないか。
これは悲観ではなく、備えです
私は未来を悲観しているわけではありません。
むしろ、
変化の可能性を見つめることで、
よりしなやかで、より温かな社会の形を考えたい。
『共生の黎明』における通貨の揺らぎは、
不安を煽るためではなく、
「今の前提が揺らぐこともあるなら、
私たちはどんな社会を育てていけるだろうか」
そのための視点です。
この作品は、未来の物語
ですが、描いている問いは、今この時代にもつながっています。
通貨の価値。
社会の信頼。
そして、人が本当に支え合える仕組みとは何か。
信頼は、目には見えない。
けれど社会は、その見えないものの上に成り立っています。
だからこそ、
その土台を見つめることは、
未来を守ることでもあるのです。
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