共生の黎明 #124 第25章 第1節:静かに広がる、確かな浸透 連続小説
アヤ/ユラが、国の隅々にまで染みわたっていた。
導入から数年、いつの間にか、それは誰にとっても特別なものではなくなっていた。
スマートフォンのホーム画面には、いくつかのアプリが並んでいる。
天気、地図、家計簿、そして「アヤ/ユラ」。
何気ない日常の中で、それは確かに“そこにある”ものとして定着していた。
朝、駅に向かう途中、道端で自転車を起こしている中学生を手伝ったサラリーマンが、「ありがとう」の言葉と一緒に小さなユラを受け取る。
帰りの電車で、お年寄りに席を譲った女子高生が、降車時にユラを送信されて戸惑い、笑う。
「こんなことで?」と驚きながらも、アプリの画面に映る“ありがとう”を、そっと見つめていた。
コンビニでは、若い男性店員が、常連の女性客から差し入れの缶コーヒーとともに、「いつも笑顔で接客してくれてありがとう」というメッセージを添えたユラを受け取っていた。
AIハルによる簡易仲介が自然に挟まり、言葉では伝えきれない感謝の記録がスムーズに行き交っていた。
「最初はポイントアプリかと思ってたよ」
カフェで話す中年男性の声が聞こえた。
「でも今はさ、なんか、心のやりとりっていうか……。送ると自分も温かくなるんだよな」
数年前には考えられなかった光景が、今では当たり前になっていた。
“ありがとう”を目にする機会は、1日平均で十数回とも言われるようになり、子どもから高齢者まで、自然にアヤ/ユラを活用するようになっていた。
普及率は全国で92%を超えた。
使い方の浸透だけでなく、“価値交換”としての意味が理解され、自然にめぐり始めていた。
それは、制度ではなく、「人のあいだ」で根づいていく社会の基盤そのものだった。
もう誰も、それを「特別な何か」とは思っていない。
まるで、いつからか呼吸するように、“ありがとう”が交わされるようになったのだ。
静かに、しかし確かに。
この国の風景が変わりはじめていた。
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