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書けなくなったら芋を焼け

もしかしてドッペルゲンガーってやつ?

右手と左手にひとりずつ、私がいた。

冬は日が暮れるのが早い。窓から差し込むオレンジ色が、ゆるゆる淡くなっていく。空は群青の雲に染まり、だんだんと室内も陰ってきた。

ぺらりとページをめくる。

どちらも日記だ。同じ年の同じ日付が書いてある。

左は、どこの文具店でも買える学習ノート。その日にあったことを中心に、ありきたりで中学生らしい話題が並んでいる。

数学の授業が難しかった。部活で褒められた。英語の教科書を忘れて隣のクラスに借りに行った。クラスメイトと遠くのショッピングセンターまで遊びに行った。

いつも誰かしらの名前が挙げられている。文末に☆や顔文字をつけたり、読みにくいギャル文字を使ったりして、どことなく文章に子どもっぽさが滲んでいた。

右は、ディズニーのキャラクターが表紙に描かれた鍵つきの日記帳。ページが重なる小口側にちいさい南京錠がついていて、付属の鍵で開けられる。

筆跡は同じだけど、書かれた内容と文章の雰囲気がまるで違っていた。

先生や家族の前で「真面目ちゃん」を演じる苦しさ。評価が下がるだけなのに、どうして校則を破ってまでスカートを短くするのか理解に苦しむ疑問。

「大学生になれば好きなことだけ学べる」と親は言うけど、まだ数年もガマンしなきゃいけないなら人生もういいかな、という諦め。

友だちとは好きな男子についてじゃなくてもっと深い話がしたい。学校にもひとりで静かに過ごせる場所がほしい。内面を深く潜らないと出ない願いが、ぽつりと零されていた。

左の日記とは正反対だ。妙に達観して、冷静で、ませた文章だった。

読み比べながら私は混乱していた。

学校の行事や家族のイベントで覚えている思い出もある。けれど、観察した視点や感じた気持ちが別人かと思うほど異なっている。

ときどき面倒くさいけど、毎日が楽しくてすぐに笑えてしまう。これからなんにでもなれる、希望に満ちあふれた私。

いつでも卑屈で、不安に襲われるたび誰かしらに怒っている。未来にまったく色が見えなくて、絶望に膝を抱える私。

本当の私はどっちなんだろう?

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これは10年ほど前の話だ。

メンタルの調子を崩し、布団で暮らした数年で、書くことがすっかり習慣から消えてしまった。

回復の兆しが見えたあたりで、久しぶりに「いまを書き残しておきたい」気持ちが沸いてきた。昔の日記を読み返したらモチベーションが上がるかもしれない。期待して埃まみれの押し入れを開け、咳き込みながら引っ張り出した。

文章を書くことはずっと好きだった。

初めて書いたのは日記だ。幼稚園で覚えたひらがなの練習に親が勧めてくれた。へにょへにょの字で、おもちゃで遊んだことや絵本を読んだことなんかを残した。

親の赤ペン先生がなくても書けるようになると、日々の記録を続けながら、オリジナルの物語を創る方向にも手を伸ばした。

とにかく書くのが楽しかった。クラスメイトと同時に4冊もの交換日記をした時期もある。気分は連載を抱えた作家だった。いまより狭い世界で暮らしていたのに、どこから書くネタを拾っていたんだろう。

二冊の日記を畳に置いた。

たとえば、夜中までパソコンでWebサイトを作るのに夢中になって、父にしこたま怒られた日を比べてみる。

年齢にそぐう日記ではこうある。目が悪くなると言われてたのに、ごめんなさい。一日に一時間までのルールを守ります。きっと父にも同じように謝ったのだろう。

鍵の日記ではこうだ。朝から夕方は学校で、夜までは習いごとや宿題がある。じゃあ夜中にパソコンを使うしかないじゃないか。お父さんはヒマだと思ってるかもだけど、子どもだって忙しいんだ。どう読んでも反省文の感じはない。

右も左も主観で書かれている。私の視点で見たできごとを、私が感じたように。ホラー小説でもあるまいし、違う人間の仕業なんて考えにくい。

どちらも本当の私のはずだ。

この数年はメンタルの具合もあり、楽しさよりも、辛さやしんどさを感じることが多い。右の日記の感情に寄っている気がする。それなら、年相応にエンジョイしていた左の私はどこに行ってしまったんだろう。

日記は主にできごとの記録だ。

そこに気持ちを交えて残す意味はなんなのか。体調や気分で私が見たこと、考えたことが変わるなら、書いたものを読み返す価値はあるのかな。

そもそも、どうして私は書きたいと思うんだろう。日記や自分が思っていることなんて、残さなくても怒られないのに。誰にも読まれないものを書き続ける理由が見つからない。

わからなくなってきた。

ぷしゅるるる、と膨らんだ風船から空気が抜けていくようだった。お腹のあたりでふつふつと沸いていた「書きたい気持ち」がしぼんでいく。

背筋がすうと寒くなる。このままだと、もう二度と、日記どころか文章すら書けないかもしれない。

誰にも取り上げられたくない大好きなことなのに。

ああ、だめだ。

燃やそう。

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だいぶ極端な発想だとは思う。あのときは焦っていた。

これらが残っている限り、忘れたころに読み返して冒頭に戻るループにはまってしまう。遠く離れていった「好きなことをまた楽しみたい」気持ちをやっと捕まえられたのに、また失うのは嫌だった。

二十年ぶんの日記を捨てる。

段ボールに収まる量だけど、さすがに街中で焼き尽くすわけにいかない。処分するならほとんどゴミ箱行きだ。

でも、破いた数ページでいいから燃やして始末をしたかった。ずっと書いてきた私を一旦ゼロにするために。

そこで、祖父に頼んでみようと思いついた。

隣県にある母の実家に、ひとりで住んでいる。農業を営んでいて、田畑がひろがる気持ちのいい田舎だ。たき火やバーベキューをした思い出や、畑の隅で落ち葉を焚くすがら焼き芋を作った覚えがあった。

電話をかけたら祖父はすぐ出てくれた。日記の処分を手伝って欲しいと伝えると、孫の頼みを珍しがって快く引き受けてくれた。

やはり、ぜんぶを燃やすことはできないそうだ。その代わり、ゴミに出すのが憚られるならうちで出してあげるとも言ってくれた。

優しさに甘え、丁寧にお礼を言って切る。こうして、大量のノートのページをひっぺがし、分厚い日記帳をガムテープでぐるぐる巻きにしていく、地道で時間のかかる作業が始まったのだった。

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「こんなに書いたのにもったいないじゃない。いつか読み返したくなるかもしれないし、取っておいたら?」

日差しが顔を出さない、どよんと厚い雲が広がるお昼どきだった。ぼんやりFMラジオがかかる車内で、運転しながら母がやんわり止めてくる。

「いいの。もう破っちゃったし、ガムテープで閉じちゃったし」

後ろの席には、すっかり形の変わった日記が段ボール箱に押し込まれている。エアコンの吹き出し口から出るぬるい温風を頬に当てながら、私は少し緊張していた。

冬の畑は、黒と白とグレイの色鉛筆だけで塗られているようで、どこか足りない感じがする。すんと空気を吸うと鼻からおでこに貫通するくらい冷たい。ちょっとだけ乾いて据えた、独特なにおいがした。

久しぶりに会う祖父はほんのり顔まわりが痩せていた。元気そうだけど、ときどき同じ話を繰り返したり、忘れたことを隠して「ホッホ」と流したりする。

短いお茶休憩のあと、母を台所に残して祖父と畑に向かった。丈が長いダウンのおかげで寒くはないけど、歩いているうちに、外気にさらされた顔まわりや手先がだんだんかじかんでくる。

たき火の準備を手伝いながら、あのときどうして祖父の顔が浮かんだのかを考えた。思い当たるのは、年末の餅つきだ。

ここでは、年の瀬に親戚で集まって餅つきをするのが恒例だった。だだっ広い庭にかまどを作り、火を焚いて、大きなセイロで餅米をほっかほかに蒸す。

腕力がある人は餅つき担当になる。昔ながらの臼と杵で、ぺったらぺったらついてなめらかな餅に仕上げる。

できたて熱々の餅を従兄弟たちとわいきゃい騒ぎながら転がし、祖母や母たちの手作りあんこ、大根おろしをずらりと並べて、みんなで食べる。これがないと新年が来ない気すらする一大イベントだ。

騒がしいのが苦手な私は、できるだけ隅っこに座っていたくて、もっぱら祖父と火の番をした。

口数の少ない祖父の横で、ごうごう燃えるカマドに薪をくべたり、こっそり二人でつまんだミカンの皮を放り込んだりする。心が落ち着く時間だった。

燃え始めたかすかな火種がゆっくりと安定して、暖がとれるくらいの熱を帯びてくる。ちらちら揺れる火と薪のあいだに、破り取った日記のページを数枚だけ差し込んだ。

ぼっ、と火が鳴った。

私も祖父も黙っていた。揃ってじっと火を見つめ、真ん中から端までがじりじり灰になっていく様子だけを目に映した。濃い赤からオレンジ、薄い黄色、そして一瞬で強い黒に変わる。

この静けさが欲しかったんだ。

ぱち、ぱち、ぱきん!

薪がはぜて炎がゆらめく。くっきり耳に残るのは、しゃぼん玉がはじける軽やかなそれとはまるきり違った。

親や先生に見せる「真面目でいい子」の顔と、反抗心と黒い気持ちが混じった「思春期でへそ曲がり」の顔で分かれた二人の私を、飲み込んで割れる音だった。

ぽつりと、小さくてしわがれた声が向けられる。

「もう書かねえんか」
「……うーん。わかんない」

下を向いて曖昧に答える私に、祖父はそっと視線を逸らした。次は母と同じことを言われるかと思い、肩がちょっとだけ強張る。

「まあ、書きたくなったら、また書けばいいわなあ」

さらりとそれだけ。私がぽかんとしていると、ぶえくしょい、やたらでかいくしゃみを落として立ち上がった。

脇に寄せた一輪車に近づいて、載せていたものをごそっと抱えて持ってきた。小ぶりのものや細長いものがアルミホイルにくるまれている。

「ついでに芋、焼くか」
「えっ、用意してくれてたの?」

驚いて見上げたら、祖父はホッホと鼻の穴をふくらませ、しわで弛んだ頬をほころばせた。

銀色の芋を熱が入りやすい隙間に転がして、しばらく待つ。細く長く、見えないくらいの色をした煙が、空に溶けていくのをぼうっと見つめていた。

ときどきひっくり返したり、奥に入れすぎた芋を手前に戻したりして暇をつぶす。数十分ほど経つと、ほかほかの焼き芋が完成した。

軍手をはめてアルミホイルごと芋を割る。ちょうど良い加減にほっくり蒸し焼きされた、黄金の顔がお出ましだ。繊維に沿ってふわんと立ちのぼる湯気と食欲をそそる香りに、なんだか急にお腹が空いてきた。

私はもりもりと食べた。紫の皮をめくるのも惜しいくらい、はちみつよりも濃くて甘い芋を口いっぱいに頬張り、飲み込む。

二人の自分に気づいた日に思いを馳せる。

どちらの私も、ほんの少しずつ養分になったのだ。

--

あれから、捨てなきゃよかったと悔やむこともなく、日は過ぎていった。

すぐに書けるようにはならなかった。ときどき、その日に起きたことを書き留めるくらいで、メモ一枚で済む記録が少しずつ貯まっていった。

食べたものと、その感想をつけるようになった。

療養中なので、仕事みたいに「やらないと困ること」はない。頼まれたことや、済ませた家事なんかをチェックリスト風に残す日が増えてきた。働いていなくても、意外にやることがあると気づけるいい機会だった。

そのうち、楽しかった、疲れたなどの感情を自然と書ける日がでてきた。陽の感情と陰の感情が混ぜこぜで、よくわからないときはそう書いた。一日の中でどちらも味わうこともある。

内側を見つめるのに飽きたら外のできごとを観察して書いたり、また止めたりしながら、何年かをかけてノートのページをまるっと埋められるようになった。

祖父が亡くなってもうすぐ四年が経つ。

いまでは、ひとりで読み返す日記だけでなく、誰かが読める場所にもエッセイとして書くようになった。あのころの私が聞いたらひっくり返るに違いない。

幼い自分が書いてきたことに価値があるのか、外に向けて書くことにどんな意味があるのか、いまもハッキリと言葉にできていない。わからないまま書き続けている。

そのうちわかるのかもしれないし、理解できれば良いものでもないかもしれない。

『まあ、書きたくなったら、また書けばいいわなあ』

もう一緒に芋を焼くことは叶わないけれど、書く手が止まるたび、祖父の言葉と焼き芋の香りを思い出している。







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