幸せになりたい?なんか、ちがうな。
ふと、なんでnote書いてんだろ、と考えてみる。
”コト”が進行している最中は、面倒くさい、イライラする、悲しい、苦しい、無力感、を感じることも多い。
そういうのは、できればなくていいものだから、そのままにしたくない。
それで、感情の由来を掘ってみる。
どうせ頭の中で浮かんでるもの整理したいんだから、書いて公開してしまおう。
っていうのが、わたしのnoteのモチベーションな気がします。
公開する前提によって、いろんな人の目を憑依させると、コトの解像度があがる、というメリットも。
この苦い素材、いっそ笑いのツマミに料理できないか、と発想しやすくなる。
自分のためなんです。
それで誰かが笑ってくれたり、ちょっと気持ちが和らいだり、うれしい副産物があれば御の字です。
すぐに睡眠や腸に影響が出やすい体質もあって、クサクサしていた時期も過去にはありました。
でも、書く、を続けてるうち、「生きづれぇなぁ」と人生を恨めしく思うことがいつの間にかなくなりました。
代わりに、何か嫌なことが起きると、「ネタ入荷〜!」って築地のおっちゃん風の威勢が出てきた気がします。
⋯ん?
「ネタ」なら寿司屋の大将か。
でも声量イメージは築地のおっちゃんです。
🏄️🌊
そういえばこないだ、山口周さんの、とても素敵なことばを紹介してくれてる方がいて。
自分が主人公のドラマを自分が見て、おもしろいと思えるか。
今まで、「幸せ」になりたいか、と聞かれれば、
「まぁ、なれるもんならなりたいねぇ」と言っていたと思います。
だけど、「幸せ」ってことばが、
なんだか自分には遠いというか、
お行儀が良すぎるというか。
おさまり悪いなと思っていたんです。
この記事を読んで、心のなかで「それな!」を連呼しちゃいました。
ココロおどる「おもしろい」もんがみたい。
それだけ。
賢人というのは、凡人でも思いつけると錯覚するようなやさしいフレーズで、人をハッとさせますね。
🏄️🌊
先日チームメンバーから、「昔、学級委員とかやってそうと思ってました」と言われました。
学級委員って、秩序守る系?
たしかに、締切は守るし、段取りも考える。
メンバーのフォローもちゃんとする。
主観で誰かを決めつけるような発言をメンバーがしてたら注意する。
でも、それは秩序を守りたいからじゃない。
誰かが傷つくのも、後で揉めるのも面倒くさい。
窮屈そうにしてる人を見ると、せっかくなら、その人が発揮できることを見つけられたらいいと思う。
そのほうが見ていておもしろいから。
改善に一生懸命なのは、
おもしろくないことを、おもしろくしたいだけ。
同時に、早く帰りたい。
貴重な時間を無駄にしたくない。
究極的には、もっと自由に動ける時間がほしい。
言うなれば、「真面目」は、
おもしろく生きるための手段。
なかなかに身勝手な人間である。
🏄️🌊
わたしがワクワクするのは、
与えられた環境のなかで、最適解を探し出して「おもしろく」生きようとする人たちの生態観察です。
あ、こんな考え方あるんだ
そう見ればいいのか
わたしもちょっと何かやってみようかな
ってなります。
泥臭いのも、情けないのも、失敗も。
角度を変えると面白い形が見えてくる。
魚をきれいに食べ切ったときって、妙な満足感がありませんか。
この前読んだ落語本「目黒のさんま」で、
江戸の庶民は、目玉も食べて骨までスープにしていたと知りました。
もはや節約の域を超えてるっちゅうか。
「余すとこなく味わう」って感じでしょうか。
そんな風に、この人生を、味わい尽くせたら。
その結果が「幸せだった」なら、それはそれで悪くないかもしれません。
