「書くこと」のすすめ―地頭を強くする書き言葉―(丸山健二塾PRESENTS① 2025年2月2日丸山健二WEB講演会より
どうも丸山健二と申します。
この度はですね、同じ時間を皆さんと共有させてもらうことに感謝致しております。そしてでき得れば、この出会いが運命的であってくれればと期待しておる次第です。
まあ、遅ればせながら、ざっと私の自己紹介をしますと、22歳の頃にこの世界に入りまして、60年間弱ですか、小説、エッセイ、庭の本とか書き続けまして、著作は200以上超えているかもしれません。現在もなお書き続けています。
これはあの、コンスタントにずっと書き続けてきたことによってそうなったんですが、私がデビューした当時は遅筆で、「あまり書かない作家」というふうに言われていたんです。でもその当時と同じペースで60年近く書いた結果、こんなことになってしまうんですね。
60年近くやった作家ってのは、まあ少ないんですけど、長く生きた作家はいます。ですがコンスタントに書き続けたという人はいません。途中に長いブランクがあったり、書けなくなったり、いろんなことがあって、あとは寿命だけが延びてというふうな書き手がかなり多いような気がします。
私は今年81歳になりました。
22、3歳のガキの頃からずっとそれをやってるわけです。
ただ漫然と書き続けてきたわけではないんです。
この世界に入って一番驚いたのは、驚いたというかね、私はまったくこの世界を知らなかった。よく誤解されるんですけど、私が文学成年でそのままこの世界に入ったというように考えて、そういう目で見る人がかなりいます。でも全然実際は違います。
大学の文学部を出て、その中で書いた小説が認められたという若い作家、大江健三郎、開高健など、いろいろいますよね。そういう人とは全然違います。会社員をしていたわけです。
世間のことを少なからず知っていて、しかもなおかつ文学青年ではなかった。非文学青年という、文学にあまり興味がなかったということですね。
どうして興味がなかったかと言いますと、父親が文学青年の典型でして、これまた高校の国語の教師をやっていました。そこで文学を教えていまして、当時「全集ブーム」がありましてねえ、全集が出る度に同じ内容なのに全部買い漁って、またイチから読み直すという。文学青年の延長ですよ。
それを目の当たりにしてですね、「本をあれだけ読んで、この程度の男かな」というふうな、ちょっと情けないところがありました。
でも、当時娯楽はラジオしかなかったですから。映画もあったんですけど、たまにしか観られないので、唯一の最大の娯楽が小説、文学だったわけですね。
これは明治からずっとそうで、まあ江戸時代からもそうでして、文字というものに対するのめり込み方が、今でこそいろいろな情報が沢山のメディアで飛びかっていますが、すごい価値があった。何か書いてあれば、文字が書いてあれば、それをむさぼるようにして飛びついて、頭の中で妄想に近いイメージを組み立てて、実際にはそこに書かれていないものまで想像して、楽しめたわけです。
これは娯楽小説ですよね。ひとつの娯楽として文学が始まったわけです。
明治になり、近代文学になってもその色合いがかなり強くて、例えば新聞小説などは新聞の売上を大幅に上げるために面白い小説が必須条件だったんですね。それで夏目漱石なんかも、そういうものを書きましたし、他の有名な作家も同じように書いて、多くの皆さんに読まれる、愛される小説が文学の代表というふうに見なされるようになりました。
これは印刷技術の発達によって、安く本が作れるっていうこともありまして、それとさっき言ったように、娯楽の要素が強かったわけですから、飛ぶように売れていったわけです。
よく「今の人は本を読まない」と「活字離れ」とか言いますけれど、それは言い訳的な言い分ですね。
実際には、文字に取って代わる娯楽がたくさん出てきた。だから、そっちに移った。
文字というのは、言語というのは頭の中で映像的なイメージに切り替えるんですね。その時に、個人個人のイメージ、個性というものが働きまして、多少誤差が生じるわけです。それでも十分楽しめたわけです。
つまり読み手の想像力に頼るところがかなりあった。だから当時の読者の皆さんは、それがどんな文章で書かれているのか、書かれていたのか、ほとんど意識しなかった。
これは今も同じで、例えば有名な小説で、じゃあ「その作品はどういう文章で書かれたのか」「一行でも思い出す文章を言ってみて」と訊くと、「いや、ちょっと覚えていない」。
つまり、印象としての文学。
実際に、どんな言葉遣いをして言語の表現があったのか、というところまでは見てない。読者が「そうあって欲しい」という、そういうイメージが少しでも滲んでいたならば飛びつく。
では、その「そうあって欲しい」というイメージは何かと言ったら、「夢」と「憧れ」ですね。自分がそういう人物になりたい、憧れ、強い憧れをもって描かれた小説、作品。
これはまた、書き手もそう思っていて、自分が憧れている文学、イメージ、人間というものに合わせたものを書いたわけです。だから書いている方は楽しいし、読んでいる方も楽しい。
つまり、夢の実現で、それに対して疑問を挟むという余地は当時の人間にはなかった。なかったっていうのは、今ほど情報がない時代でしたから、「それはちょっと嘘くさいんじゃないの」「そんな話は絶対ないよな」という疑問の余地はなかった。
そんな中、あの活字文化全盛の時代が訪れた。
私がこの世界に入った時には、出版界はもう大変な騒ぎでした。どんなものでも売れたんです。出せば出すだけ売れたから、編集者の人たちは何の苦労もしなくてよかった。
賞を作って、応募してくる人がいますから、適当にみつくろって賞を与えて、ちょっと煽れば、もう煽らなくてもね、売れたんですよ。文芸誌はあんまり売れなかったですけど、それでも今ほど潰れるかどうかという状況ではなかった。そのぐらい活字とかイメージに飢えていたんです。
そこで固まってしまった文学的な固定観念あるんです。
それが要するにナルシシズムに乗った「夢」と「憧れ」。それに則って書かれた小説で、それが主流になって売れたんです。
現実の世界は過酷ですから、どんな時代も過酷ですから、そこからの逃避ですね。現実逃避。それが自己逃避というものをどうにかして果たすための小道具として、あるいは隠れ蓑として文学が格好だったわけです。
たくさん売れた。それが私は悪いとは言いません。
ナルシシズムが悪いとは言いません。
しかし、人間とは何か。この世とは何か。この世を生きる人間はどう生きるべきか、というような普遍的なテーマを避けて通る。
それは書いても、レベルは高いかもしれないけど面白くない。もちろんそれに挑んだ作家はいっぱいいます。いますけれども、残念ながら文章力が、表現力が足りなかった。かなり足りなかった。
このためにせっかく高尚なテーマを扱いながら、安直なものになってしまった。
そこで、この日本語ということですよ。日本語は世界に冠たる言葉、言語だと思います。
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WEB シンブンガク vol.3
今年2月の丸山健二のWEB講演会「『書くこと』のすすめ」を掲載。見逃した方、必読です。同じく丸山健二の超訳『白鯨物語』をはじめ、小説・詩・…
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