白鯨物語 Completely Change Ver.【6】
☆
クイークェグは俺よりひと足先に宿へ帰っていて
思うに
異国の神に纏わる作り話に最後まで付いて行けなかったのだろう。
何しろ彼には
宗教の始原の名残を留める
擁護の主としての福の神が味方をしていたのだ。
奴は独り暖炉の前に陣取ってぼうっとしており
例の黒い偶像を手にして
激烈なる激情でも持て余しているかのごとき
その奇怪な木彫にときおり視線を落とし
何やら呪文を想わせる言葉をぶつぶつ呟き
よく研磨されたナイフを器用に操って
おのれの神様の形状を完璧に近づけるべく手を加えていた。
俺が視界に入ると
奴はいくらか恥じらいの色を見せて素早く手のなかの物を仕舞いこみ
それからちょっとした劣等感を隠そうと
退屈な客のために宿が用意してあった分厚い本をつかみ取る。
文字を読めない彼が興味を持ったのは
本の内容ではなくて
どうやらページ数のほうで
しかし五十までしか数えられないらしくてそこからはまた一に戻り
五十が延々と連鎖する事態に思い知らされたらしく
先の先を想像して驚嘆の溜息を漏らし
うんざりした顔つきで締めくくった。
そして俺の関心はというと
もっぱらこのクイークェグその人であり
いくら見ても見飽きることがない
顔面にびっしりと彫りこまれたおどろおどろしい模様は
蛮人を蛮人たらしめるに充分過ぎる装飾にほかならず
容貌上の著しい特徴には違いなくても
そうやってかたわらでじっくり観察しているうちに
これまでとは少しばかり異なる印象が得られた。
刺青の裏側に隠されている
許容範囲内の広い精神で彩られた人間性が
一個にまとめ上げられて垣間見え
たとえば
真っ当な人間としての好ましい特性のあれこれが滲み出ているのだった。
鯨のそれを彷彿とさせる優しげな目は
事と次第によっては神を相手に喧嘩でも吹っ掛けそうなほどの底なしの豪胆さを秘め
併せて
淡白な気性や控えめな気高さや夢想家としての純粋性をも感じさせてくれるのだった。
いかなる状況に陥っても
けっしておのれの尊厳をぐらつかせない人物。
ただそこにいるだけで
周囲の者たちの心を和ませそうな雰囲気を醸す
友誼を結ぶに値する男。
不朽の光を放つ開かれた世界にひたすら憧れる
分析の及ばない
未開の精神の持ち主。
クイークェグという珍妙なる名の
素晴らしいのひと言に尽きる食人種のことを
これまで肩書という尺度でしか人の価値を計ったことのない俺はそう見たのだ。
しかもなお
岩石のさながらの頭蓋骨のなかには
下手な文明人より数倍も上等な
生の優先順位を間違うことのない脳味噌がぎっしり詰まっているに違いなかった。
ひょっとすると
どこまでも理念の可能性を切り拓こうとするジョージ・ワシントンを遥かに凌ぐ
美徳でいっぱいの大人物であるのかもしれなかった。
そんな彼がしっかりと守っている孤塁は
断じて本能一辺倒の心の狭さからくるものではなく
また
先進国に対する負い目がもたらした卑屈な処世術でもなく
日々の労働によって打ちひしがれている常人にはおよそ縁がない
いかなる事態に臨んでも自己の意思の伝達を躊躇しない
方正なる品行に裏打ちされた
尊敬に値するものであっただろう。
粗野にして粗暴なる存在であるのは
むしろ文明人の体裁を繕って取り澄ましていながら
羽目を外した愚行を自制できない白人のほうかもしれなかった。
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