見出し画像

私が起業した理由。

「私は残業したくありません!あなたの方が給料高いんだからあなたがやればいいんじゃないですか?」


忘れもしないこの部下からのひとこと。


この後、会社でひとりで残業しながら
会社の机も椅子も全部ひっくりがえして
めちゃくちゃにしてやろうか!!!

なんて、物騒なことを考えながら

いくあてのない、怒り、悲しみをどうすればいいか?
わからないまましずまり帰った会社の中で愕然としていました。


2012〜2019年まで

私は上海で駐在員をしていました。

カッコつけました。。。現地採用です笑
(わかる人にはこの言葉の違いの意味がわかるはず!)

30名ほどの会社で、社長、副社長、システム部部長、と平社員の私の4名だけが日本人で、あとは全員中国人。

営業部のスタッフは日本語がしゃべれる人だけ採用していました。

それ以外の部署は基本日本語をしゃべれない。
けど、単語とかは結構理解してくれてました。

仕事は中国へ進出してきた日系の生産、物流業の企業さんへ向けて

-システム開発(在庫管理、トレーサビリティなど)
-管理職向けの研修
-TOYOTA自動車OBと現場改善のコンサルティング(生産性向上、在庫減など)

こんな仕事をしている会社の営業職でした。


入社当時は平社員で入って、課長、係長、主任といった上司は全員中国人。

ニュースのせいでイヤな印象を持つ人が多いかもしれませんが、私の上司の方々はとても尊敬できる素敵な方達でした。

最初は平社員から翌年の契約更新で主任に昇格。
人生で初めて体験した昇格だったので嬉しかった記憶があります。


そこから毎年昇格していきます。


けど、私が優秀だからというより、毎年上司が上から退職していくので、空いたポストを順々に埋めていっただけでした笑

上司にいつも手を焼かせるほどの無能でした笑
無能な自分に使えるものは時間しかなかったので、残業だろうがなんだろうがひたすら時間をつかって解決してました。

当時の業務内容といえば


社内のマーケティング、営業施策

メルマガ、ニュースレター作成、郵送DMのライティング、LPライティング、リスト会社とのやりとり、郵便局とのやりとり、広告管理(代理店とのMTG)、アポ取り、訪問営業、出張、セールスレポートの作成、見積もり作成、契約書作成、担当コンサル先への業務連絡、進捗管理、

研修講座の作成

トヨタOBとの構想ミーティング、スライド整理、研修時につかう教材の制作、研修用補足資料の作成、翻訳依頼、告知資料の作成、印刷資料の管理、データ整理と管理、物品管理、会場との調整

セミナーなどフロントイベントの企画

セミナー構想、会場選定、会場下見、スタッフの割り当て、水・資料の発注、講師の連絡、講師の宿泊先確認、セミナー構成、アンケート作成、告知文・LP・作成、スライド作成、セミナーの流れの確認、当日司会、担当セミナーでのしゃべり、アンケート回収、クロージング先の部下の割り当て、連絡文の作成、現地日系雑誌社への広告掲載

管理職として

売上管理、人事評価、社長との評価調整と給与の決定、部下の営業管理、見積書の承認、契約書の承認、入金管理、週一の営業ミーティングへ向けた部下の情報更新の管理、営業計画作成、PLの確認、営業用資料、営業トークの作成、日々の行動管理、財務部・システム部との調整、採用候補者の選定、採用面接


書き出せばもっとある気はしますが
社内での管理はもちろん、研修講師、現場改善の現地指導、時には通訳も含めて内にも外にも出る必要がありてんやわんやでした。

よく社長に「なんでそんなに仕事できねぇんだよ!」と怒られてましたが
いくらなんでも業務過多だったんじゃない?!と思ったりもします笑
けど、要領はいいほうじゃなかったですね。

当然、定時で帰れたことなんてほぼない。
会社を辞める8ヶ月前くらいからやっと定時帰りが増えたかなという感じ。


そして、
自分で売上をつくるのは得意だったのですが、、、
人の管理はホントに向いてないなと感じていました。

トヨタ自動車OBを一緒に作った最初の研修が初年度で2,000万くらい売り上げていたことを退職間際まで気づいてませんでした。
あの時は自分が作った研修の営業することに必死で売上件数しか見てなかったんですよね笑。
いま、思うと結構すごいやんと思えます笑

そんな私にも特に目をかけていた部下がいました。
通訳担当をしてくれている女性なのですが、


私と入社時期が近かったこともあり
製造業のこと、TOYOTA生産方式のこと、現場改善とは?を一緒に学んで成長していった仲でした。


私が上司になってかなり時間も経ち
彼女にも部下ができました。

現場通訳がないと、
事務作業があっても平気で休むマイペースさにはヤキモキしていましたが、やるときはやるヤツだったので信頼もしていました。

田舎からご両親が会社訪問に来てくれた時には彼女の活躍をうんと伝えて喜んでもらったこともありました。
前の会社は従業員の両親が子どもの様子を見に会社訪問してもらえるってよくある光景だったんですよね。
激務ってだけで、会社としては結構気に入ってました。


本人が働きやすくなるために成長の方向性としてゼネラリストとプロフェッショナルどちらを目指したいか?確認して評価内容を社長の承認を取った上で変更したり。

など、かなり目をかけていたつもりでした。

まぁ、冷静になってみたら自分、けっこうイヤな上司だったろうな〜とも思ってます。
本来はお互いさまって面もあったんじゃないかな?


しかし、忘れもしないあの日。


翻訳業務で期限が近いものもあり、間に合うかな?とちょっと心配な状況。
これが間に合わないと以降の印刷など全ての工程に影響がでる。

なのにコイツ定時で帰ろうとしてやがる!!!

「おい!定時で帰って納期、間に合うのか?」

そしてあのひとことです。


「私は残業したくありません!あなたの方が給料高いんだからあなたがやればいいんじゃないですか?」


なにかがプツッと自分の中で切れてしまった気がします。


もう人間の管理なんてうんざりだ。


朝7:35に起きて
18時に定時退勤する部下や同僚を見送って
20時まで残業して
外で食事を済ませて家に帰らずに
行きつけのBARのカウンターで残業して
23〜25時になったら帰宅して
風呂入って寝る。

そしてまた7:35に起きて出勤する。

自分がなんのために頑張ってたのか。

家に帰ったら絶対自分は仕事しない。とわかっていたので、仕事を進められるように外で残業していました。
当時はBARのカウンターでいっつも残業しているヘンなやつで定着してましたね笑 好きだったなぁ、あのBAR。


会社にはいけるのに土日はほとんど動かない身体に絶望しながら、スマホで会社メールのチェックはする。


もう限界だ。

こんなやつらのために人生を消耗したくない。

この頃のセミナーでよく引用していたことばがありました。
「はやくいきたければ、ひとりでいけ。
とおくにいきたければ、みんなでいけ。」

法人70社くらいに向けたセミナーだったので
組織でやっていくには後者が大事ですよね、と伝えていましたが
内心、自分は全力で前者の道を進むと心に決めていました。

その時から起業することを決めました。

組織のためにリーダーシップを身につけるのではなく
自分のためにマーケティングを全力で磨く。

そうしよう。

お金、働く場所、時間の自由を手に入れるんだ。


ジブンのチカラで。


そこから上海から地元宮崎に戻り、実家で起業がスタートします。

とはいえ、やめることを伝えてから実際に退職するまでは結局1年半くらいかかっていた気がします。

どうです?めちゃくちゃダサい理由で起業しました。

けど、起業する理由なんて実はそんなにキレイじゃないことが多いんじゃないかな?

なんて思います。


あなたが起業した理由はなんでしたか?
起業しようとしている人はどんなきっかけで起業を考えてますか?

コメント欄に書いてもらえたら嬉しいです。

noteのシェア、いいね!もめちゃくちゃ喜びます。




PS.

とはいえ、起業1年目は年商40万円のポンコツスタート。笑

この話については↓に書いてます。


起業1年目で年商40万円だったのが
2年目で一気に1,000万を超えられたたったひとつの気づき。
については、↓から見れます。


かなりふざけたメルマガもやってます。
私の挑戦の実況報告とか、日々思うことなどを不定期配信してます。
基本的に無益です。笑

友達と部屋着でしゃべってる感覚で書いてます。
メルマガ「ひゅうがの部屋着。」の登録はコチラ↓

https://liotaslab.ck.page/e9bf162991

いいなと思ったら応援しよう!