究極のインダルジェンス─ショコラティエが見た膝枕
このnoteで公開している「ショコラティエが見た膝枕」は、2021年5月31日から朗読と二次創作のリレー(通称「膝枕リレー」)が続いている今井雅子作の短編小説「膝枕」の派生作品です。
「2025年のホワイトデーを前に公開します」と書いていたのに公開しそびれたまま8か月。クリスマスケーキが似合う季節に。
clubhouseでの上演はご自由にどうぞ。
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今井雅子作「膝枕」外伝 「ショコラティエが見た膝枕」
ショコラティエは腕を組み、考えていた。
ステンレスの天板に映り込んだ、その顔は迷っている。
久しぶりの大型注文である。
ひとつ1万3千円の品を130個。
税抜きで169万円の売り上げである。
ごくりとショコラティエの喉が鳴った。
これで今月の売り上げが立つという安堵の音である。原料費は高騰を続けるが、値上げをすると、客が離れてしまう。しかし、価格を据え置くと、利幅は減る一方だ。工房の月々のテナント料を払うのも苦しくなっている。
そこに舞い込んだ大型注文である。断る理由などない。だが、それでいいのかと囁きかける声がある。
依頼されたのは、「膝枕」だった。
「膝枕」とは、正座した女性の腰から下をかたどった通販商品である。その製造メーカーに、主力商品である「箱入り娘膝枕」をチョコレートで作れないかと持ちかけられた。
この手の相談はこれまでにもあった。口にするのもはばかられるあれやこれやを口に含むチョコレートにしたいと。「耽溺」を意味する「Indulgence」という店の名前が、淫靡な連想を招いてしまうのかもしれない。チョコレートのもたらす恍惚と性的な興奮を一緒にされるのは甚だ遺憾であり、いかがわしくはしたない依頼を持ち込まれる度に侮辱を覚えた。
すべて断った。
「そのようなゲスな願望を叶えるために、この腕を磨いてきたわけではない! チョコレートとショコラティエへの冒涜である!」
とは言わなかった。そのまま伝えると角が立つ。お高く止まりやがってと反感を買う。時には悪い噂をばらまかれる。客商売がやりづらい時代である。
「チョコレートのアロマと口溶けは、すでに十分官能的であり、これ以上の官能を足すことは、インダルジェンスを損ねてしまいますから」
己の事情ではなくチョコレートというものの本質を、断る理由にした。
作れるかどうかといえば作れるが、魂は売れない。金を積まれても断った。ショコラティエとしての意地だった。
だから今回もと思いつつ、迷う気持ちがある。
膝枕。
膝から下は下半身である。だが、卑猥と切り捨てて良いものだろうか。
「女性を性の対象として消費する商品ではありません。老若男女を問わず、癒しと自己肯定を与える崇高な存在。それが、わがカンパニーの膝枕です」
新島と名乗る担当者は、そう力説した。
新島が置いて行ったカタログを見ると、「おふくろさん膝枕」や「親父のアグラ膝枕」といった商品もあり、確かにエロとひと括りにできないラインナップだ。
しかし、「誰も触れたことのないヴァージンスノー膝が自慢の『箱入り娘膝枕』」はグレーだ。若さと白さと純粋無垢を売りにしている。
膝枕をチョコレートで作っても良いのだという理由をショコラティエは探している。正当化したいということは後ろめたさがあるということだ。久しぶりの大型注文。できることなら引き受けたい。だが、あいつも落ちるとこまで落ちたなと思われたくはない。これまで断ったあれやこれやと今回は違うのだといえる根拠が欲しい。
バレエシューズを注文されたときは、応じた。バレエを習っている孫の誕生日祝いにという依頼だったが、考えてみれば、バレエシューズは靴である。靴を口に入れるのは邪道ではないか。
バレエシューズを舐めるのがありなら、膝枕もありではないか。
飼っている犬を作って欲しいという依頼にも応じた。写真のピントが甘く、タワシかと思ったが、タケシという名の茶色い犬だった。ミルクチョコレートで色は近づけられた。飼い主は喜んでくれたが、考えてみれば、飼い犬を口に入れるのもかなり悪趣味だ。
飼い犬を丸かじりするのがありなら、膝枕もありではないか。
サッカーのゴールポストを前後させるように、相手によって都合よくルールを変えていることにショコラティエは気づく。この一線を越えたら引き受けられないという境界線が、あるようでない。
タワシをチョコレートでという依頼は、さすがに断ったが、オーダー品は、おいしい仕事だ。少々値段をふっかけても相手は納得する。コスパが良い。あの収入があるから、好きなものを作れていたとも言える。
しかし、オーダー品の注文は、めっきり減った。3Dプリンターが出回るようになってからだ。ショコラティエの腕がなくても、機械が出してくれるのだ。
ならば、膝枕も3Dプリンターで出せるのではないか。
実際、ショコラティエは聞いてみた。すると、担当者・新島は言ったのだ。
「プリンターで形を真似ることはできても、あの繊細な質感を出すには人間の腕前が必要です。ましてや膝枕に宿っている物語性を理解し、チョコレートに込めるには、芸術家的感性が求められます」
誰でもいいというわけではない。ショコラティエの評判を聞き、白羽の矢を立てたのだと。口説き文句だとわかっていても、頬が緩んだ。ひょっとしたら、すでに同じことを言って断られた後かもしれない。それでも、腕が鳴る。
まずは、モチーフについて知るとしよう。
ショコラティエは、作業台の上に置かれたダンボール箱に目をやった。先ほどから視界に入っていたが焦点を合わせないようにしていたその箱は、膝枕チョコレートの参考にと担当者・新島が置いて行ったものだ。
「取扱注意」のラベルが貼られた箱を開けると、女の腰から下が正座の姿勢で納められていた。
箱入り娘膝枕である。
ごくりとまたショコラティエの喉が鳴った。
「ホワイトチョコレートより色白なんだね」
ショコラティエが声をかけると、膝枕は正座した両足を微妙に内側に向け、恥じらった。見た目も手ざわりも生身の膝そっくりに作られている。さらに、感情表現もできるようプログラムを組み込まれている。だが、膝枕以外の機能は搭載していない。膝を貸すことに徹しているのだと担当者・新島は話していた。
レースのスカートと、そこから飛び出した膝頭の白さが眩しい。そっと指で膝頭をなでてみる。思いがけないやわらかさに、感嘆の息が漏れた。
ショコラティエは箱入り娘の膝に倒れ込んだ。マシュマロのようにふんわりと頭が受け止められる。白いスカート越しに感じる、やわらかさ。レースの裾から飛び出した膝の皮膚の生っぽさ。天にも昇る気持ちだ。
この膝があれば、もう何もいらない。
ショコラティエは、たちまち箱入り娘の膝に溺れた。自分というものが溶けていく恍惚を覚えた。
「ダメヨ。ワタシタチ ハナレラレナイ ウンメイナノ」
夢かうつつか、箱入り娘の声が聞こえた。
これぞ、インダルジェンス。
チョコレートの官能を膝枕が超えた。
ショコラティエは弾かれたように頭を起こし、立ち上がった。この溺れるような沈み込みをチョコレートで表現したいという衝動が、この膝に沈み込みたいという欲望に打ち勝ったのだ。
膝枕の感触がまだ頬に残っているうちに、ショコラティエはホワイトチョコレートを溶かし始めた。
あの白さを、あの形を、チョコレートから生み出すのだ。3Dプリンターにも、そこらのショコラティエにも出せない質感を出してやろうではないか。物語性とやらを込めてやろうではないか。
腕を試すのではない。世の中を試すのだ。作り手が機械であるか人間であるかの区別もつかない奴らを溺れさせる膝枕を作ってやろうではないか。チョコレートで。
究極のインダルジェンス。
ショコラティエは奮い立った。ホワイトチョコレートを溶かし、テンパリングし、膝を折った片足を260本作り、その両膝を揃え、130組にまとめた。
こだわったのは膝頭の白さと丸みだった。雪が降り積もった白銀の丘の丸みを求めた。
130時間後。手のひらに載る小さな箱入り娘膝枕が130個、完成した。
260個の白く丸い膝頭が並ぶ光景は圧巻であった。
ごくりとショコラティエの喉が鳴った。
疲労と達成感がない混ぜになった音である。
なんと美しい。
そして畏れ多い。
ショコラティエは130時間の間、休むことなく動かし続けた両手を胸の前で合わせた。この眺めに立ち会うために、来る日も来る日もテンパリングを繰り返し、腕を磨き、インダルジェンスを追い求めてきたのだ。祈りを捧げたその指先で、ショコラティエは小さな丸い膝頭をそっと撫でた。どこにも引っかかるところがなく、なめらかで、つややかな肌。チョコレートであることを忘れさせる、やわらかな丸み。うっとりする質感に目を閉じた瞬間、言いようのない感情がこみ上げた。
誰にも渡したくない。
箱入り娘膝枕は、誰も触れたことのないヴァージンスノー膝が自慢なのだ。誰にも触れさせてなるものか。ましてや撫で回し、舐め回し、歯を立て、飲み下すなど、断じて許されない。あってはならない。
誰かをとろけさせるくらいなら、この私が。
ショコラティエは130個の膝枕を熱にかけ、溶かした。
税抜き169万円の売り上げが溶ける。
130個の膝枕を形作っていた260本の足は形を失い、白いチョコレートの海となった。
ショコラティエは再び膝枕に取りかかった。形を作っては溶かし、作ってはまた溶かし、ようやく形が定まったのは、13日目の朝だった。
この膝に早く身を委ねたいという衝動がこみあげるのを、ショコラティエは、ぐっと押しとどめ、チョコレートが固まるのを待つ。だが、
もう我慢できない。
徹夜を重ねたショコラティエの頭が傾いた。ホワイトチョコレートの膝枕はショコラティエを受け入れ、溶け合った。
この膝があれば、もう何もいらない。
「インダルジェンス」
恍惚の声とともに、ショコラティエは白い膝に深く深く沈み込んだ。
あとがき
スマホのメモ帳に書きつけていた思いつきを膨らませた。
謎多きメモ。
耽溺 インダルジェンス 膝枕を贈る
TaKNEEguchi TAKNEEGUCHI
1万3000円
頭を載せるわけにはいかない 狂おしい 13万円
膝を食べる 膝を舐める
誰かを溶かす前に、私が溶かすのだ。
パティシエは膝枕の形をしたチョコレートを溶かした。膝枕は形をなくし、再び、チョコレートの塊となった。
「13個ずつ、130個ずつとまとまった数をお買い上げくださるので」
「13軒目です」
買い物履歴を見ると、共通項が浮かび上がる。
大量の製菓用ホワイトチョコレートと、色白の膝枕ひとつ。
書いてみると、「茶碗焼きが見た膝枕」に近い話になった。自分の手で作り出した膝枕に自ら沈み込むパターン。手間ひまかけた分、愛着も湧き、思い入れが深くなる。身を削って仕上げた作品は自分の一部であり、自己陶酔も相まって、沈み込みが深くなるのかもしれない。
作り上げたものを誰にも渡したくないという心情は、劇作家協会リーディングフェスタ2024で取り上げていただいた短編「納期」に通じるものがあると思う。
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