“老爺心”― 国旗損壊法? なんでやねん! ―【エッセイ】二〇〇〇字
三笘が出られない!!
予選を前にそんな話を聞いた時は、「終わったな」と思った。ところが、なんということだ。次から次へと個性豊かな選手が現れる。一度冷めかけた熱が、いま最高潮になっている。
普段はコスモポリタン気取りの自分ですら、白粉を塗った顔の真ん中に赤い丸を描いて騒ぎたくなる。
「ニッポン! ニッポン! ニッポン!」
そんな熱狂の最中に、なんともシラケる話が現実になろうとしている。
国旗損壊法案である。
この法律、要するに「国を侮辱する目的で国旗を損壊したら罰する」ということらしい。恐れ多くも国家の象徴・日本国旗。粗末に扱うな、ってことだ。
モノを粗末にするのはいけない。子どもの頃そう教わったし、私もそう思う。
しかし正直に言えば、私だって物を捨てる。穴の開いた靴下も捨てるし(昔なら縫ってでも履いたけど)、断捨離と称して本や家具を処分することもある。自分の持ち物だからである。
だが国旗は、たとえ自分の所有物であったとしても別らしい。
「なんでやねん」
なぜここだけ関西弁なのか。理由はない。ただ、ツッコミを入れたくなるのである。
どうやら、「国旗=国」ということらしい。
つまり国旗を傷つけることは、国を傷つけることだという理屈である。自分のモノであっても。
さらに言えば、「国を敬え」と、無理強いされているような気分にもなる。
「ちょっと違うんじゃね?」
(あ、今度は若者言葉になってしまった)。
そもそも国旗とは何なのだろう。国家共同体の象徴である。多くの人が愛着を抱き、ときに誇りの対象ともなる。
だが同時に、一枚の布でもある。象徴だからといって、持ち主がどう扱うかまで国家が決めるべきなのだろうか。
私は日の丸が嫌いではない。むしろ好きだ。白地に赤い円。世界中の国旗を見渡しても、これほどシンプルで印象的なデザインは少ないと思う。余計な装飾もない。初めて見た外国人でも、一度見れば忘れないだろう。
君が代もそうだ。政治的な議論を脇に置いて歌詞だけ読めば、美しい和歌である。古今和歌集に収められた賀歌が千年以上の時を超えて歌われている。なかなか大したものだ。
だから私は、日の丸や君が代そのものに反感を持っているわけではない。
では何に引っ掛かるのか。
敬意を求められることである。好きと敬うは違う。愛着と服従も違う。例えば「お母ちゃん」を大切に思う。それは自然な感情である。
だが、「母親を敬え」と法律で命じられたらどうだろう。どこか奇妙な感じがしないだろうか。尊敬は命令で生まれるものではない。
日の丸も同じだと思う。
私は大相撲が好きで、よく両国国技館へ行く。とくに千秋楽が好きだ。表彰式になると国歌斉唱がある。その時、
「ご起立の上、ご斉唱ください」
というアナウンスが流れる。だが私は立たない。歌わない。別に反日ではない。君が代を憎んでいるわけでもない。ただ、みんなが一斉に同じ動作をすることに、どこか居心地の悪さを感じるのである。
今のところ捕まったことはない。当たり前だ。しかし、もしそのうち、
「起立し斉唱しないのは非国民だ。」
という空気が広がったらどうだろう。私が気にしているのは、そちらの方である。
私の父は少年兵に志願した熱き軍人だった。私も海軍仕込みのスパルタ教育で育てられた。その父が、酔うと天皇の話をした。
「天ちゃんは戦争犯罪人だ」
そして、新聞に載った天皇の写真へ唾を吐いたこともあった。当然、君が代は歌わない。日の丸も掲げない。
私が以前書いたエッセイに書いたように、日本はつい八十年前まで、決して普通の国ではなかった。
国のために死ぬことが美徳だった。異論を口にしにくい空気があった。日の丸や君が代への複雑な感情は、そうした歴史と切り離せない。
だから最近の政治の動きが気になる。国家情報局。スパイ防止法。緊急事態条項。そして国旗損壊罪。
それぞれに理由はある。治安のため。安全保障のため。国家を守るため。どれも反対しにくい理由だ。だが私には共通点が見える。国家を優先しようとする発想である。
私は昔から、「人権>国家」だと思っている。国家は人間のためにある。人間が国家のためにあるのではない。だから国旗を守るために人間の自由を制限するという発想には、どうしても違和感を覚える。
それは老婆心なのだろうか。
だが、年寄りには年寄りなりの理由がある。過去を知っているからである。
私は日の丸を否定したいわけではない。むしろ好きだ。嬉しい時に振る。感動した時に掲げる。好きな人が好きと言う。それで十分ではないか。
法律で守らせるものではない。
ついでに言えば、
もし、「日の丸」の赤い丸が「平和への熱き思い」を意味し、「君が代」の君が世界中の大切な「キミ」を意味するとしたら、そんな法律には大賛成である。白粉を塗った顔の真ん中に赤い丸を描いて、「ニッポン! ニッポン!」と叫びながら。
(ふろく)
《国旗と国歌の成立経緯》と《海外における国旗損壊規制》
以下のデータは、チャットくんに調査させたものです。
《国旗と国歌の成立経緯》
【日の丸(国旗)】
起源については諸説ありますが、太陽を神聖視する日本の伝統や、源平合戦の時代の軍旗などに由来するとされています。
近代国家としての国旗となったのは明治政府成立後です。1870(明治3)年、太政官布告第57号により、商船が掲げる国旗として日の丸が定められました。ただし、この布告は第二次世界大戦後に失効しており、法的根拠が明確でない状態が続きました。その後、1999(平成11)年に「国旗及び国歌に関する法律」が成立し、日の丸が正式に日本国の国旗として法律で定められました。
〈出典〉
・外務省「国旗・国歌」
・国旗及び国歌に関する法律(平成11年法律第127号)
【君が代(国歌)】
「君が代」は、平安時代の和歌を歌詞として用いた国歌です。歌詞の原型は『古今和歌集』巻七「賀歌」に収録されています。
わが君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで
現在の歌詞は、この和歌から「わが」を除いた形です。
〈出典〉
・『古今和歌集』巻七・賀歌343番
〈「君」とは誰か〉
最も議論になるのは「君」の意味です。
平安時代の和歌では、「君」は天皇に限定されず、主人や恋人など、敬意を払う相手を広く指しました。しかし、明治時代に国家の儀礼歌として採用された際には、事実上、天皇を意味するものとして理解されていました。当時の日本は大日本帝国憲法下にあり、天皇が国家元首として統治権を総攬する国家体制だったためです。戦前の学校教育や政府の説明でも、「君」は天皇を指すものとして理解されることが一般的でした。
一方、戦後になると、「君」は日本国および日本国民統合の象徴である天皇を指す、あるいは敬意を表する相手一般を指す、と解釈する立場も生まれています。
このため、「君が代」は現在も政治的・思想的な議論の対象となっています。
〈出典〉
・第145回国会 衆議院本会議「国旗及び国歌に関する法律案」審議録
・日本国憲法第1条
・大日本帝国憲法第4条
〈作曲の経緯〉
明治初期、日本には公式の国歌がありませんでした。
1870(明治3)年、イギリス人軍楽教師ジョン・ウィリアム・フェントンが、薩摩藩出身者らの提案を受けて最初の旋律を作曲しました。しかし、この曲は定着しませんでした。
1880(明治13)年、宮内省雅楽課の林廣守を中心に、奥好義、林広季らが新たな旋律を作成しました。さらにドイツ人音楽家フランツ・エッケルトが西洋音楽として編曲し、現在の形となりました。
〈出典〉
・文部科学省「国旗・国歌について」
・外務省「国旗・国歌」
《海外における国旗損壊規制》
国旗を損壊した場合の扱いは国によって大きく異なります。
ただし、日本でしばしば誤解されるのは、多くの国の規制が単純に「自国の国旗への批判を封じる」ことを目的としているわけではないという点です。
民主主義国では、国旗の保護と表現の自由との関係が常に問題になります。【アメリカ】
アメリカでは国旗への敬意を求める法律は存在します。
しかし1989年の Texas v. Johnson において、連邦最高裁は「国旗焼却も政治的表現であり、合衆国憲法修正第一条によって保護される」と判断しました。
さらに1990年の United States v. Eichman でも同様の判断が示されました。
このため現在は、自国の国旗を焼却したり損壊したりしても、原則として刑事処罰はできません。表現の自由を優先する代表例とされています。
〈出典〉
・Texas v. Johnson, 491 U.S. 397 (1989)
・United States v. Eichman, 496 U.S. 310 (1990)
【ドイツ】
ドイツ刑法90a条では、ドイツ国旗や国家の象徴を侮辱する行為を処罰対象としています。
ドイツではナチス体制の経験から、「戦う民主主義(wehrhafte Demokratie)」の理念が重視されており、民主主義秩序そのものを守る考え方が強くあります。
そのため、日本やアメリカとは異なる歴史的背景があります。
〈出典〉
・ドイツ刑法(Strafgesetzbuch)第90a条、第104条
【フランス】
フランスでは国旗への重大な侮辱行為について処罰規定があります。
一方で、1789年のフランス人権宣言以来、表現の自由を重視する伝統も強く、この問題は現在も議論の対象となっています。
〈出典〉
・Décret n°2010-835 du 21 juillet 2010 relatif à l'outrage au drapeau tricolore【日本】
日本では長らく刑法92条により、「外国国章損壊罪」が規定されています。
処罰対象は外国の国旗などであり、日本の国旗は対象外です。これは外交上の礼譲を守るための規定であり、国民による政治的表現を処罰する趣旨ではありません。
そのため、日本では長年にわたり、「外国国旗は処罰対象」「日本国旗は処罰対象外」という状態が続いています。
日本国旗の損壊行為を処罰対象とすべきかについては、これまでたびたび議論されてきましたが、表現の自由との関係から慎重論も根強くあります。
〈出典〉
・刑法第92条(外国国章損壊罪)
・日本国憲法第21条
〈まとめ〉
なお、各国の制度はそれぞれの歴史的経験や憲法秩序を背景としており、単純な比較はできません。
国旗や国歌は国家の象徴である一方、民主主義社会では国民による批判や異議申し立ての自由も尊重されます。そのため先進民主主義国では、「国家の尊厳」と「国民の表現の自由」のどちらを優先するかについて、今も結論が分かれています。
特にアメリカでは表現の自由が優先され、日本でも長年、自国の国旗損壊を刑事処罰の対象としてこなかった歴史があります。
この問題は単なる愛国心の問題ではなく、「国家と国民の関係をどう考えるか」という民主主義の根幹に関わるテーマでもあります。
民主主義国では、国旗の保護よりも国民の表現の自由を優先する考え方も根強くあります。特にアメリカでは、国旗焼却さえ政治的表現として保護されています。
