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読書離れなのに活字離れでない恐ろしさ

前回は、「読書離れをどう読み解くか」について述べました。

今回、読書離れなのに活字離れでない恐ろしさについて述べていこうと思います。

「読まないおじさん」はどこでもいる

私の前回の記事を受け、kashiwaさんが下記記事を執筆されました。

上記にある、「②そもそも『ネットに載っているもの』すら君は読んでいないのでは??」には、根深く、かつ、恐ろしい話があるので、述べようと思います。
(※「君」とは「読まないおじさん」のこと。)

パワハラ描写があるので、苦手な方には辛いかもしれません。

ゼロ冊の人間と一冊以上の人間

上記記事にはこうあります。

ただし、彼のような人間に関しては別の懸念があります。
そもそも『本の内容が載っているサイト』を彼のような人が見ているのか?という疑問です。

上記記事より筆者引用。

(※「彼」とは「読まないおじさん」のこと。)

上記の疑問については、文化庁のデータで傾向が出ています。

「本・漫画・雑誌に限らない文字・活字に触れる情報に触れる時間」は増えています。(問11)

「減っている」が26.0%、「それほど変わっていない」が37.3%、「増えている」が35.3%です。

内訳を見ると、一冊以上の人間のほうが情報機器による活字に触れる時間も増えています。
(20.9%、39.9%、38.2%です。)

一方で、ゼロ冊の人間では情報機器による活字に触れる時間も減っています。
(29.0%、35.7%、33.8%です。)

しかしながら傾向なので、ゼロ冊の人間でも29.0%、35.7%、33.8%と増えてはいるのです。

この数字は何を意味するのか。

ゼロ冊の人間は、ネットで文字・活字に触れてはいるし、その時間は増えているということ。
けれどもそれ以上に、一冊以上の人間のほうが、ネットで調べているということです。

ゼロ冊で何を調べるか

ここから恐ろしい話に入ります。

ゼロ冊の人間と一冊以上の人間では、「ネットで調べる」の意味が違うのです。

ゼロ冊の人間で、まとめサイトを読む人間なら、まだ理解しようとする気があるだけ良いのです。
(下記記事の若手起業家のように。)

ゼロ冊の人間で最も恐ろしいのは、理解する気は全く無いこと、それにもかかわらず、承認欲求や自己愛性の権化であることです。

そういう人間が何を「ネットで調べる」のか。

攻撃材料なんです。

本を読んでいる奴より偉いということを証明することが何よりも優先されてしまうのです。

本を読む人間にケチをつけ、ドヤ顔でドヤることさえ出来れば、承認欲求だけは満たされます。

極めて恐ろしい話なのです。

ゼロ冊でも賢しらぶれる

何も読まずにケチをつけて、ドヤ顔でドヤることだけ出来ても、知識に深まりはありません。

けれども、勝った気になれるらしいのです。
(※私はしないので「らしい」です。)

「読む奴よりも優秀だから。」だとか。
「ちょっと調べただけで勝てる。」だとか。
(※勝ち負けの話ではないのに。)

そうやって自己正当化を続けていきます。
そうやって読まずに賢しらぶっていたところで、何も得られはしないのに。

ゆえに、勝ち負けで捉えて賢しらぶっていると、メッキが剥がれていきます。

知らない単語に知らないと言えないからです。

賢しらぶっている以上、正直に知らないなんて、まず言ってこないですね。

そうするとどうなるか。
単語だけ調べておく。
この単語にはこの単語をぶつけておく。
そういう小手先のことをするようになります。
そうしておけば賢しらぶれるからです。

賢しらぶれるなら、後のことはどうでもいいのがゼロ冊の人間なのです。

ゼロ冊の人間の「とにかく」

ゼロ冊の人間と一冊以上の人間は、調べる目的が全く違うものなんです。

ゼロ冊の人間によくあるのは、「とにかく」。

上記記事で例示されている『失敗の本質』だと、「とにかく戦前みたいなのは駄目ってことだ」で済ませようとします。

「戦前」という単語を入れるだけで賢しらぶれるからです。読む目的が賢しらぶることにあるからそうなってしまうのです。

まとめサイトでわかるから良い、と言いながら、まとめサイトの検索結果から単語だけ拾うのが、ゼロ冊の人間なのです。

単語さえ拾ってしまえばもう用済みになるので、ゼロ冊の人間がまとめサイトを熟読することは、ありませんし、あり得ません。

そして、「とにかくそれぐらい知っている」と、どれだけ早く言えるようになるかを最重要視してしまうので、一冊以上の人間を下だと思うようになってしまいます。

ゼロ冊の人間のメッキ

ゼロ冊の人間は承認欲求や自己愛性の権化であるため、単語を拾うだけで一冊読むぐらいの価値があると思えてしまうのです。

優秀なゼロ冊人間は、優秀でない一冊以上人間の読書よりも効率的な情報収集が出来るから良い、というふうに思い込めているのです。
ゆえに、ずっとゼロ冊であろうと平気でいられるようなのです。

けれどもゼロ冊の人間は本当は優秀でないので、単語拾いでメッキをするわけです。

読書離れなのに活字離れでない。

私はこれを、ゼロ冊人間の単語拾いによるもの、というふうに見ています。
単語拾いは単なるメッキでしかありませんので、ゼロ冊人間の価値が高まることはありません。

価値が高まらないのに承認欲求や自己愛性の権化なんですから、恐ろしい話なんです。

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