ステレオタイプとしての「悪代官」に前近代の縛りを見る
私は前回、メタファー(比喩)としての「悪代官」について述べました。今回はもう少し「悪代官」について述べることにします。
ステレオタイプとしての「悪代官」
ステレオタイプとしての「悪代官」は、時代劇に出てくる「前近代の」人物です。
近現代を舞台としている場合、「悪人」はいても「悪代官」は出てきません。
これは少し考えればおかしな話です。
私が前回拙稿で述べたように、メタファー(比喩)としての「善の殿様」が「悪の代官」を成敗する、という王道展開が好まれているからです。
そう考えていくと近現代においても、善の社長が悪の専務を成敗する、といった話が出てきても、良さそうな話ではあるのです。
しかしながら、すぐには思いつきませんね。
何故でしょうか。
前近代の殿様は民意で縛られている
私なりにその理由を考えてみました。
そして仮説に行き着いたのです。
前近代の殿様は不自由だからではないかと。
前近代の殿様は、民意で縛られているのです。
ここでいう民意とは、近現代における民主主義的過程のことではありません。
しかしながら前近代にも民意はあるのです。
一つは、領民の民意です。
前近代の武士は、中規模以上は領主です。
(小規模な場合には俸禄ですが。)
領主としては領民の民意から大きく外れることが出来ません。
もう一つは、家臣団の民意です。
家臣団としては、御家の存立を揺るがす人物には御家を継いでもらっては困ります。
ゆえに家臣団として、御家の取り潰しを防ぐため最善を尽くすことになるのです。
殿様が民意に反するとどうなるか
殿様が民意に反するとどうなるか。
「主君押込」です。引退させるんですね。
もう若様にお譲りくだされ、という話。
殿様の意思より御家の存続が大事ですから。
殿様は民意に反してはいけないのです。
ゆえに縛りに縛られている。
ゆえに「悪藩主」(悪い殿様)は生じにくいのです。
(勿論、例外はあります。)
もし、「主君押込」が失敗した場合には。
混乱を招いたということで、「取り潰し」です。
幕府によって御家が「取り潰し」になる。
ゆえに殿様は民意に縛られることになるのです。
本当は代官も不自由である
そもそも前近代は不自由なのです。
代官も含めて。本当は。
代官はあくまでも代行です。
代表代行や幹事長代理のようなもの。
代表の決定に反することは出来ません。
にもかかわらず、隠れて裏金をもらう。
裏金業者と癒着して悪行三昧をする。
そうすると、「わかりやすい悪」になります。
人物設定としては便利になります。
代表本人が成敗しにきたら、控えるか、偽者扱いするか、どちらかしかないからです。
「正当な本人」と「不当な代官」。
その対比がわかりやすさを生みます。
現実は複雑ですが、時代劇は単純。
勧善懲悪の構図として、悪代官は便利なのです。
