「何々を経験した世代」という世代論
前回は、90年代の政界の話をすると不思議な顔をされる私の容姿について述べました。
今回は、そこから考えた仮説について述べます。
「細川内閣を経験した世代」とは何か
私が前回をきっかけとして漠然と考えていたのは「経験した世代」とは何か、ということです。
細川内閣を経験した世代、というのは、狭義では33年前に有権者だった53歳以上になります。
(当時は18歳でなく20歳から有権者でした。)
そう考えてみると、53歳以上の市議が私に対して「若いのに詳しい」となるのは必然です。
これは特に53歳前後の市議で顕著になります。
私より若い(ように見える)のに詳しい。
何か変だ。違和感がある。
53歳前後の市議からすれば「私が20歳前後の時の内閣なんだけど」となるからです。
しかしながら、私はこう断言したいと思います。
有権者ではなかったけど、生まれてたよ。
「細川内閣を経験した世代」には、狭義の意味に限定しなければならない理屈はありません。
その当時に生まれていたら、経験した世代として広義の意味でカウント出来るはずなんです。
1930年代生まれは「経験した世代」
私がここまで言うのには理由があります。
1930年代生まれは「経験した世代」とされます。
1945年を経験した世代であると。
戦後の語り部活動で、「空襲警報が辛かった」や「ほぼ水のすいとんなんて美味しくなかった」と語る語り部は、1930年代生まれが主でした。
それ自体は構いません。
経験した世代だと思います。
けれども、戦中戦後の場合には広義の世代とし、細川内閣の場合には広義の世代としない、というのでは整合性が取れていません。
整合性の観点から言って、これはおかしな話だと私は思っているんです。
戦中戦後で少年だった人も。
細川内閣で少年だった人も。
同じ意味で「経験した世代」ではないですか。
私はそう言いたいのです。
経験した世代は「思い出す」
何故私がここまで言うか。
経験した世代は「思い出す」からです。
東日本大震災を思い返してください。
当時生まれていない人以外は。
震災時に子どもであろうが、未成年であろうが、思い出すことができるはずなんです。
そして、「そう言えばあの時にあれがあった」と「思い出して調べてみる」ことも出来るはず。
震災時に生まれていないとこれが出来ません。
震災後に生まれた人は「学んで調べる」です。
「思い出して」ではないのです。
細川内閣を知っている世代は広い
ゆえに私はこう言いたい。
細川内閣を知っている世代は広いのだと。
現在、報道各社の解説委員や論説委員の多くが、「若い人は多分知らないだろうけど」と思いこむことの多くは、実はそうでもない。
現在53歳前後ではなくても、細川内閣を経験した世代ではあるからです。
なんとなく覚えていて、後から振り返る、細かいところは新たに知る、そんな世代は広いのです。
私が幼少から選挙が好きだったことを差し引いて考えても、「細川内閣を経験した世代」は広義で捉えないと見誤ることになると思います。
