硝子の共感覚 #41 (ガラスのシナスタジア) 九条と荒木、事件の旋律
前回
第三部:真紅の双生児(クリムゾン・ジェミニ)
第四章:影たちの協奏曲(シャドウ・コンチェルト)
1.奈落の聖域
パトカーのサイレンが遠ざかっていくのを、分厚いコンクリートの壁越しに聞きながら、九条は冷たい壁に背を預けて息を吐いた。
佐久間が二人を案内したのは、横浜の地下深く……かつて戦時中に掘られ、その後放棄された巨大な地下貯水施設だった。
空気がひんやりと湿っており、等間隔で落ちる水滴の音が、かすかな反響を繰り返している。
蓮「……静かですね」
九条が呟く。
彼の共感覚は、この地下空間の音を「深い海の底のような、穏やかな群青色」として捉えていた。
地上の至る所に張り巡らされた慧の「真紅のノイズ」から、ようやく解放された安堵感が広がっていく。
カチン、と小気味よい音が響いた。
佐久間が銀色のライターに火を灯し、仄暗い空間にオレンジ色の明かりを作る。
荒木「……佐久間さん。冬月は?」
荒木が、コンクリートの破片に腰を下ろしながら尋ねた。
佐久間「……海が見える、静かな場所に置いてきたよ。もう誰のノイズも届かない場所にな」
佐久間は短く答え、ライターの蓋を閉じた。その横顔には、二週間前の絶望を乗り越えた、氷のように冷たく鋭い意志が宿っていた。
荒木「助かったぜ、佐久間さん。だが、どうして俺たちの居場所が分かった?」
佐久間「お前たちなら必ず冬月の情報を基に、組織の足跡を追うと思っていた。俺はあの事件の後、組織の『掃除屋』たちを逆探知して、奴らの動向を探っていたんだ」
佐久間は懐からタブレット端末を取り出し、空中に青白いホログラムの地図を投影した。
2.都市を覆う蜘蛛の巣
佐久間「九条の言う通り、お前たちをハメたのは『慧』だ。奴は今、組織の表向きのダミー企業を使って、横浜の中心に新設された『みなとみらい統合通信塔』を占拠している」
ホログラムの地図の中心に、巨大な電波塔のモデルが浮かび上がる。
荒木「統合通信塔……まさか、街のインフラを乗っ取る気か?」
荒木が顔をしかめた。
佐久間「その通りだ。音尾夫妻から奪った『音響麻酔』のデータは、慧の特殊な声帯波形と結合することで、人間の脳の扁桃体を直接ハッキングする電波へと変異した。奴はあの通信塔を巨大なアンプにして、横浜全域のスマートフォン、街頭スピーカー、カーナビ……あらゆるスピーカーから『真紅のノイズ』を微弱に流し続けている」
佐久間の言葉に、九条は戦慄した。
蓮「微弱なノイズを無意識に聴かせ続けることで、市民の脳の安全装置を徐々に外しているんですね。そして、いざという時に特定の周波数を流せば……」
佐久間「ああ。さっきの倉庫のように、数十万人の市民が痛覚を失った『操り人形』と化す。警察も、軍隊も機能しなくなる。それが組織の狙う『完全な認知支配』だ」
佐久間はタブレットの電源を切り、暗闇の中で二人を見据えた。
佐久間「警察は今、防犯カメラの映像を根拠に、九条を『連続猟奇殺人犯』として全国指名手配した。お前たちは表の道を歩けない。……どうする? 逃げるなら、海外へのルートを手配してやるが」
3.反逆の旋律
蓮「……逃げませんよ」
九条の声は静かだったが、その奥には決して折れない鋼のような響きがあった。
彼は眼鏡を外し、暗闇の中でまっすぐに佐久間と荒木を見た。
蓮「慧は僕の半身です。そして、この悲劇の原点は、僕の父である九条一真と組織が犯した罪にある。……彼を止められるのは、同じ『音』の世界を知る僕だけです」
荒木「だが九条、どうやって止めるんだ? さっきの倉庫みたいに音叉を鳴らしたって、街全体をカバーできるわけじゃねえだろ」
荒木が腕を組む。
蓮「ええ。だから、根元(ルーツ)を叩きます」
九条はホログラムが消えた空間を指差した。
蓮「みなとみらい統合通信塔の最上階。そこに慧の音声を増幅しているメインサーバーと、放送設備があるはずです。そこへ僕を連れて行ってください」
荒木「放送設備をぶっ壊すのか?」
蓮「いいえ。破壊すれば、慧は別の場所に拠点を移すだけです。それよりも……」
九条の口元に、微かな笑みが浮かんだ。
蓮「あの通信塔のシステムを逆利用します。慧の『真紅のノイズ』が街を覆っているなら、そのシステムの中枢から、僕の『紺青の旋律』をぶつけ、逆位相で上書きする。街中のスピーカーを使って、彼の洗脳プログラムを完全に中和・破壊します」
佐久間「なるほどな」
佐久間が低く笑った。「奴の武器を奪い、奴の喉首を締め上げるわけか。悪くない」
4.見えない絆
荒木「だが、問題はどうやってそこまで辿り着くかだ」
荒木が立ち上がり、首の骨をボキボキと鳴らした。
荒木「警察に追われながら、通信塔を警備してるであろう組織の私兵どもと、洗脳された一般人を突破しなきゃならねえ。……それに、あのバケモノ弟も上で待ってる」
佐久間「警備の薄い地下搬入ルートの電子ロックは、俺が解除する」
佐久間がコートのポケットから、予備の無線機と拳銃を取り出し、荒木に投げ渡した。
佐久間「荒木、お前は九条の盾になれ。洗脳された人間を傷つけずに無力化できるのは、お前のそのバカみたいな腕力と手加減だけだ」
荒木は拳銃を受け取ると、ふっと鼻で笑った。
荒木「元刑事が、指名手配犯になって、殺し屋と組んで街を救う。……笑えねえ冗談だぜ、まったく」
蓮「……お嫌ですか? 荒木さん」
九条が尋ねる。
荒木「馬鹿言え。最高に胸が高鳴ってるよ」
荒木はニヤリと笑い、九条の肩をバンと叩いた。
荒木「俺の『オレンジ色』は、こういう時に一番燃え上がるんだろ?」
九条は目を丸くした後、嬉しそうに頷いた。
蓮「ええ。とても力強く、温かい色です」
佐久間が再びライターに火を灯す。
佐久間「行くぞ。夜明けまでに、この街の狂ったスピーカーを黙らせる」
地下の冷たい空気が、三人の男たちの熱気で微かに揺らいだ。
警察に追われる逃亡者。しかし、彼らの胸に絶望はなかった。
かつて血を流し合った彼らは今、互いの背中を預け合う最強の「影の部隊」として、真紅の塔への反逆を開始した。
【第三部 第四章・完】
次回
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