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看板を上げた。千客万来、笹もってこい。

看板を上げればお客様がいらっしゃってくれる仕事ではない。
4-5年くらい前に看板(と言ってもパウチしたプリント)が落ちてからそのままにしておいた。
この3年は結構な大騒ぎでもう会社を閉じようかと思っていたのだ。

街を歩けば、多くの地元に生きる自営業は同じ目にあっている事が見て取れる。今年はしんどかったが、少しだけ良い兆しが見える。来年はいい年になると良い。

思い立って、看板を上げる事にした。パウチしたA2を壁に貼ったがパンチがない、これではみすぼらしい(笑)。

そこで家にある廃材を使ってチョッと立派にすることにした。しかしカネがない。というよりも自分で作るのだが好きなのだ。

ペンキを塗って構想を練る。家の柱に打ち付けることはしたくない。随分考えた。
ネジは沢山ある。
ニスを塗って、乾いたら大まかに組んで収まりを見る。
両面テープにしようか悩んだがビスで止めることにした。かえってかっこいい。
ここまでここまで出来たら家に組み込むのである。
設計通りである。後で、気が向いたら長さを揃えてもいいかなと思う。
道路からも分かる。近所のアパートの人にもアピールできる(笑)。雪が振り始めている。
柱を挟むようにして紐で結んだ。後で針金にするとかっこいいでさろう。

小さい頃から、父の家仕事をてつだっていた。ノコギリの引き方や釘の打ち方を自然に覚えた。何よりも良かったのは、自分で作るということが楽しいということを知ったことだ。
小さい頃はめんどくさかったが、それは学びであり、本来の教育ということなのだ。
Mセンゲさんはその著書の中で教育を「銀行型」と「発見型:メタモルフォーゼ型」と分けて論じている。知識を「受け取ってそれを正確に繰り返すこと」と「今の自分から変わること」は大きな違いなのだ。この2類型は車輪の両軸である。

公的な教育は、同じ価値を再生産することを要求する。それは大事なことであるが、世界は変わるのだからそれに従って変わって行けなければ、遺跡文明のように消えていく。
進化という言葉に惑わされてはならない。生命はたゆまなく世界を変えて、その変わった世界に適応していくのである。

カンタに取り外せる。


高さは適当に切った(笑)。手づくり感満載である。

口うるさい妻も文句を言わなかった。

鉄工所が倒産して、もう一度ソフトの仕事を始めたのは娘が生まれた年だ。その娘も24歳である。

手作りの24年間である。苦しい年月であった。成功とは言えないかもしれないが、プロセスは最高に楽しかった。

僕は最高に幸せものである。


もう少し勉強しなければ。
雪の降り始めである。庭は水を含み生命は土の中で来年を待つのだ。

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幸運な病のレシピ 厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。