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「木瓜(ボケ)酒」を作った秋の日

母は友人の多い人だった。編み物機械の販売や和服の内職をしていた。農家の人や多くの友人がいた。この木瓜の木は誰かに頂いたものであった。
庭の端においたので小さくて、花もつかないので不満であった。

周りには菊が生えている。根は絡み合い生命はダンスする。実をつける者もいるし芋を太らせる者もいる。全て環境に対しての適応である。植物自身は、種を蒔いていることも次の世代の事も何も知りはしない。ただ、いまを生きているだけなのである。
擬人化は生命を見過させる。

木瓜の実は硬いし食べても美味しくないそうである。そのままに朽ちさせようかと思ったが、お酒にすることにした。
果実酒は面白いものだ。硬い実なので半年とか一年かかるという。来年もまた実ったら積み重ねていこうかと思った。
効用は何かあるのであろうが、余り気にしない。
庭に溢れる生命(マイクロバイオーム)が実と言う姿をとって現れるのだ。
どんな香りを持つものになるのか楽しみである。

もう既に皆あちらに行ってしまった。にぎやかに過ごしているであろう。

2016年に母が亡くなってから庭を僕がいじり始めた。木瓜の木のことは覚えていたのでもっといい場所に移した。数年前から少し花がつくようになってきて、この場所が気に入ったのだろうか。
花は少し咲いたのだが、こんなに実がつくとは思わなかった。

時折、よその庭の見事な木瓜木に花がたくさん咲いているのを見る。ああなるのかなと思うこともある。
しかし、こんなに実のついているのは見たことがない。何年かおきに実がつくのだろうか?生命は不思議である。

今年は、実がなった。チョッと驚きである。しかし、「ボケ」とは面白い名前である。

果実酒に使う容器はたくさんあったのだが、みな実用的なもので気に入らなかった。そこでネットをさすらった(笑)。いい感じの容器があったので、ポチッとしてしまった。反対されるに決まっているので黙って買った。

黙って買った時は時は到着が怖い。どうせ請求が来れば感づかれるのだが。

今日は妻のパートの日で、午後いない。隣家に持っていくつもりだったので、その時間に来てくれれば良いのだがと思ったが鉢合わせした(笑)。
安い品でも売上がない僕には大金である。

ムッとしていたが、言葉にして怒リはしなかった。

大きさが不安であったが、来年また継ぎ足せるかなと思いこれにした。容器はたくさんあるのだが、どれも事務的で気に入らないものであった。
7リットルなので、1.8リットルのホワイトリカーが2回分は入る(笑)。
容器が来たので、木に残っていたものを外した。一つは残しておいた。
木瓜の実は一つ自然に落ちた。ローズマリーの花は長く咲く。イチジクは不作、今年3個目である。農家の方にネギと唐辛子いただいた。紫蘇の花が盛んに種をつけている。
全部で10個である
丁度綺麗に入った。ヒタヒタに焼酎に浸った。
妻の冷たい視線を背中に感じながら黙々と作業した。
仏壇に丁度いい。あの木瓜が実をつけたよと線香を上げた。仏壇というのは、自分がいずれ行く所を思わっせてくれる。年をとり、多くの友を失いやがて自分を知る人間もいなくなる孤独を考えさせる。この酒を誰が飲むであろうか。

何も言わないで、仏壇に持っていったら、少し怒りが収まったのであろうか。焼き鳥が気に入ったのであろうか?

爆発しないままに作ったおかずを持ってパートに行ってくれた。

瓶が来る前に焼き鳥を作っていた。焼き機を買ったときも噴火チョク前だったが美味しいものを作ることで不問にしてもらえる。そういえば、石焼き芋の石も黙って買った(笑)。


ああ、人生を生きるのは辛い。

「おでん」と「栗ご飯」を作って妻がパートから帰るのを待つことにした。

#木瓜酒


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幸運な病のレシピ 厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。