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サンマが美味しい季節

料理でいちばん大事なのは「素材から皿までのプロセス」である。
「素材がどう作られたか」も重要であるが、それ以上に「素材から皿までのプロセス」が身体にとって重要なのだ。

適切に調理しなければ外見は「栄養たっぷり」でありながら「生命」を失った「食事」ができる。
「高温の加熱・乾燥・濃縮・抽出」は食材の内にある「生命:立体構造を維持したタンパク・脂質」を破壊する。
タンパク質はその立体構造のうちにミネラルを保持する。
そして立体構造の精密な形は細胞のうちに入るための「鍵」となる。

身体というコロニーで、脂質はヒロイン、タンパク質はヒーロー、糖質は身を飾るアクセサリー、三者は互いに姿を変え入れ替わりながらダンスする。


商品化された食事は、「大量に作り(賞味期間内に)売り切って」こそ利益が出る。

センターキッチン、材料の規格化、一括(大量)仕入れ、賞味期限を最長にするための殺菌的調理(バイキンを殺す調理は、素材自身の「生命:立体構造を維持したタンパク・脂質」を破壊する)、冷凍して配送後の解凍(野菜は調理されると細胞内の「生命」が散逸する)。トマトの様に冷凍しなくともあっという間に味が落ちる野菜もある。

まだ少しだけ頑張っている「食堂・飯屋・レストラン」も残っている。大事にお付き合いしたい。確かに少し値段は高いかもしれないし、クラクラするような味ではない。
けど確実に言えるのは店主もその食事をしているということである。

巷では、「発酵食」が「おお喜び」されるが、「腐敗と発酵」の間には区別などは出来ないのだ。フツーに作られた食事は時間とともに傷んでいく。
その過程は、空気中の一般的なマイクロバイオームが代謝している過程なのだ。「調理」の一部分だけを切り離してはならない。
「清」も「濁」も生命の有り様なのだ。

僕の小さい頃は「ニオイ」を嗅いで食べれるかどうか確認して食ったものだ。刺し身は新鮮な方が良いと思われがちだが、余った刺し身をワサビ醤油につけて数日おいて食べるのを父は好んだ。母は生臭いと嫌ったものだ。
今、僕は懐かしみながら妻と娘が残した刺し身を「ヅケ」にする。

食事の価値というのは、元気に生きて「コロリと死ねる」人生の終わりのことである。

毎日の食事こそが大事

今日はガスレンジで使える焼き機が届いた。以前も別な形のものを買ったことがあるがあまり良くなかった。偶然見つけたのでポチッとしてしまった。
ジックリと鳥を焼いた。油が落ちて煙がかかり美味しくなるのである。嬉しかった。
最後に醤油をつけて炙った。
洗うのがとても簡単である。これが一番嬉しい。

この値段は嬉しい。以前持っていたものは洗いにくくて、油が落ちてしまい使わなくなったのを覚えている。丁寧に魚を焼くのは難しいがこの道具は強い味方あである。考えてみるとガスレンジに魚焼き(グリル)が埋め込まれ便利になって、焼き具合を見ない様になったのだろうなあ。昔父は焼き網で焼いていた。炭火ができればいいのに(笑)。
次はサンマ、少し痩せているが、1匹130円であった。嬉しいのである。
丁寧に何度か上下をかえす。サンマのやけ具合は嬉しい。オーブンでは様子を見ながらかえすのが面倒である。これだと側についていなければならないが、見ながら返せる。
味噌汁はキャベツに小松菜に油揚げ。今の季節のキャベツはクタクタに煮たほうが美味しい。毎日の食事に汁は大抵つける。
白ごはんはサンマに合う。美味しかった。餃子は出来合いのもの。今度作らねば。

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幸運な病のレシピ 厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。