幸運な病のレシピ 2021年12月21日〜31日
アンティパスト ( 前菜 )

フードキャピタリズム(食事資本主義)というものを考えている。「売られている食事」が問題だということは多くの人が論じているが、添加物や農薬の可否的なものは議論になるが、素材から食卓までのプロセスに関しては何も論じられていない。逆に工場での流れ作業で次々に作られる食事を「素晴らしいもの」と讃じる。
しかしながら、TVの宣伝では割烹着を着たオッカサン女優が丁寧に作っている姿を刷り込もうとする。
多くの議論が、「消費者の知識の乏しさ」に原因が有るということになって終わるからである。「啓蒙主義」というのは、僕は大嫌いだ。何よりも、偉そうに人を馬鹿にする連中は何も解決をしてくれない。
問題は社会の構造にあるのだ。
50年前には食事は毎日家庭で作られていた。身体は常に入れ替わっていっている。「政治的に正しい栄養学」がいかに私達を苦しめているか考えればそのドグマが間違えていることはわかる。
社会を変えようなどという無理なことは考えないでいいと気がついた。自分の周り1kmの人たちと食事の価値を共有できればいいのである。
それぞれに一人では向かい合うことは出来ないが、共に頑張れば何とかなりそうな気がしてきた。


【2021年12月21日〜31日】この10日間はひどく苦しかった。酒が随分進んでメタメタであった。
先が見えないということは恐ろしいものである。とは言っても「百年のお裾分け」は止める訳には行かない。なにせ自分の80歳の時に食べるものを作る試みなのだ。
そんなに時間はないのだ。
Sさんと母が出会っていなかったら多分駄目だったろう。

一度、妻を連れて行ってすごく喜ばれた。その後から、妻との諍いが激しくなっった。これはよく分かる。ある意味の二重家族である。食事を作る人と食べる人というのは特別なコミュニティを作るのだ。
アンタは負け組だからなによっても失敗するのだからやめろという。死ぬ気でやっているといえば金が湧いてくるとでも思っているのかとずいぶんひどいことをいう。僕の自由になる金が少しあるので皆つぎ込む予定なのだ。しかし、何よりも、地域で目立つことをすることが気に入らないようである。地味にひっそりと暮らしていたい妻にとっては、町内会に喧嘩を売って、近所の年寄りに弁当売るなどというのは論外だということだ。

出刃包丁を持ってお前を殺して俺も死ぬと言うくらいだから尋常ではない(僕です)。
ご飯ができたので妻に「出来たよ」と言ったら、「お金がないから食べない」と言ったので、完全に切れた。幾度命をかけてやるから邪魔だけはしないでくれといっていたのにまったく分かっていなかったのだ。
妻も命の危険を感じたようで、少し大人しくなってくれた。この仕事が上手く行かなかったら死ぬから邪魔だけはしないでいてもらいたいと言っても嫌がらせを繰り返す。子供を味方にして、僕の作ったものを食べない、食事とは小さなコミュニティの中のディールの材料なのだ。

子供が高校の頃僕の作った弁当をまるまる残したりそのメッセージは強烈だ。自分はオヤジの言いなりにはならないぞと明確な意思を表示する。
食事は単なる栄養素を食べるものではない。ドッグフードのような食事を食っていれば、それなりの人生の終わりがやってくる。
僕は食事を作り食べるとき、世界と自分が結びついている事を感じる。

ソフトの仕事はもう見込みがない。大手が独占して下請けの仕事は来るが最低の時給である。もう一回、国体が無くなったら完全にアウトである。それでも頼ってくれるお客さんはいるから倒産させるわけには行かない。
死ぬ他ないのだ。
妻はシルバーさんでもなんでも仕事はあるというが、こんなクソッタレな社会ならば死んだほうがマシだ。

僕が考えている「百年のお裾分け」というのは、小さなコミュニティを作ろうとする試みである。「冷凍弁当」を売っている会社は地域の年寄りの年金を吸い上げて富を得て、商品を買ってくれた人たちには何も戻さない。
僕の「コミュニティ・スキーム」は作った人と食べる人が同じ地域に住んでお金が循環するのだ。食事も作った人が食べる。
かつて地域の経済は共に生きる人の集まりであった。それを考えている。

一回老人向けの食事を食べてみればいい。子供向けの給食なども同じようにひどいものだ。医者の太鼓判押してるものだから黙って食えば良いのだという。行政は「政治的に正しいクソッタレ」である。
医者や栄養士の太鼓判押してある食事は人生の終わりを施設で管だらけにされて年金は医療キャピタリストの「富のATM」となるのだ。
50年前に家族が作っていた、素材から丁寧に時間をかけて作る食事はピンコロの人生の終りを迎えさせてくれる。
Sさんに毎日食事を作って持っていって2ヶ月である。多分正解である。
娘さんも最近自分で作り出している。色々と忙しい中で時間を作って作るのだ。僕には最高の驚きであった。
2021年10月の末に話を聞いたときは、何を食べさせていいかわからないという。手の浮腫が進み、医者からは強いステロイド剤を処方され何種類かの食事を買って、悩んでいたのだ。Sさんは食事をもう作れなくて、ずいぶんひどい形で旦那さんを亡くして娘さんが少し離れた所から毎日通っていたのだた。母の友人ということもあり、面識はあったので僕の食事の長期モニターをお願いしたのだ。

娘さんは、てっきり作れないのかと思っていたのだ。作れるではないか。それも相当上手である。食事は大事だから、医者の指導通りに作らなければならないと勘違いをしていたのである。

Sさんの娘さんは、料理の作り方を「お父さんの母親」と暮らしていたときに見ていた。だから豆などを煮たら僕よりるかに美味しく煮る。
考えてみれば、僕らは「食事を家庭で作るのをみていた」最後の世代かもしれない。









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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。