見出し画像

100%果汁の美味しさ

長く仕舞っておいたジューサーである。昔、バーでオレンジを絞って出してもらったカクテルが美味しくて大昔にどこかのバザーで買った。
時折使っていたが、この2年ほど使う気にならなかった。
父が亡くなる時に毎日絞っていったのである。もう2年前になる。

廃棄前に格安になるコーナーで2個100円で売っていたので久しぶりに飲んでみることにした。

やはり美味しい。

オレンジを半分に切ってプレスするのだ。

僕は調理のプロセスが大事だ。
食材が生命を失ってから口に入るまでの距離と時間だ。
食材の中には数え切れない「細胞生命=マイクロバイオーム」が存在する。いずれも細胞膜で囲まれて膜には無数のタンパク質が埋め込まれている。受容体・チャネルと呼ばれる細胞膜の内外を結ぶ路である。

細胞の内側にミトコンドリアを持つ細胞生命と持たない生命、分裂して自分を増やせる生命(大腸菌や乳酸菌、菌類と言われる「下等=シンプル」な生命)と遺伝子だけを持ち他の生命と協力して自分を増やす生命(ウイルス、精子を使って生殖する生命、種を経由して増える植物「高等=複雑」な方々)と僕は分類する。

長い進化(適応)の道筋で、生命は互いに協力して「その場所」に向き合ってきた。より効率的な発明を見つけたら「それ」を取り込んで「その場所」で生き抜こうとしていたのである。

生命は貪欲である。自分の内部に持たない代謝系を外部から借り入れて生きてきたのだ。「単純な欠乏症」がその証左である。

問題は、「単純でない欠乏/中毒症」である。

身体は単一の目的のために作られた「機械」ではない。

互いに相反するニーズをもった生命がディールを繰り返すコロニーなのである。同じ「海」に浮かび取り込み代謝して「海」を変える。
「医学・栄養学」は欠乏症と中毒症を明確に分けているが、身体というコロニーに生きるマイクロバイオームにとってはそう単純ではない。

かつて、「閉じられた世界」に私達は生きてきた。その時代にはありえない世界に生きている。
その結果が今の状況である。

ダブルのグラスに2配分程度しか採れない。食事の価値というのは値段ではは測れない。
グレープフルーツや果実物はこれで絞ると凄いハッピーなのだ。
ジンと合わせても美味しい。缶入りのものなど比較にならない。格別である。
もちろん絞った後の皮の内側も食べる。

濃縮還元ジュースは海外の安い労働力を使い絞り、水分を飛ばしてタンカーで運ぶ。昔はひどいものも多かった。水を加えて100%なのだなどという。フェイクを平気でやっていた。

牛乳にしても60度35分以上(パスチャライズ)の物と1秒120度などというとんでもない殺菌がある。経済的余裕がある時はパスチャライズを食べる。
乳は血液である。私達は「血」を食べるのだ。
果実も血なのだ。植物という生命のコロニーを満たす海が留まりマイクロバイオームがダンスするのだ。

「加熱工程」は食材の内のマイクロバイオームを殺す。賞味期限という商売人お知恵が生命を殺す。家族の食事は腐るものなのだ。身体の内側で代謝されるかそとで「腐敗・発酵」されるかの違いである。

フードサプライチェンは食材の中の「生命:立体構造を維持したタンパク・脂質」を破壊する。そんな食べ物こそが「身体というコロニー」をガタガタにする。
問題は、「身体というコロニー」は広大であり、一人一人出方が違うのだ。
「病因」の存在する「病」は病因と症状の間に対応関係がある。

とは言っても、オレンジなんぞ食べたことはなかったであろう。
温州みかんがご馳走であった時代が懐かしい(笑)。

マユが狂ったように走り回る。何が彼をこれ程に狂わせる。イヌは
野獣である。
靴下を人質に取られたので交換した。

いいなと思ったら応援しよう!

幸運な病のレシピ 厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。