暗黙知について一歩踏み込んで考える - 暗黙知の4タイプと暗黙考・暗黙動へ
本記事は、AI時代だからこそ、企業・組織においてよく議論されるようになった「暗黙知」について、その解像度をあげるべく考察した記事です。
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はじめに
ここ数か月、様々な経営者との会合でも、暗黙知について議論する機会をいただいています。ある経済団体での議論では、2時間近くにわたり暗黙知に関する対話が続きました。多くの経営者の方々が、自社にとっての強みであり差別化の源泉は、組織と社員に宿る「暗黙知」にあると語っています。その一方で、暗黙知という言葉は広く使われているものの、実際にはかなり幅のある内容を含んでおり、もう少し解像度を上げて捉える必要があるのではないかという感触も、対話を重ねる中で強まっています。
暗黙知は、マイケル・ポランニー氏が Tacit Knowledge としてその概念を提起し、その後、野中郁次郎氏が SECI モデルとして、組織における知識共有と実践・開拓の循環を理論化したことで、日本でも広く知られるようになりました。
この暗黙知という言葉は定着しましたが、その指し示すものは、時代の変化とともに少しずつ広がってきたように思います。かつては、「知識とは、本や理論、明文化された手続きとして学べるものだけではない」という文脈で語られることが多くありました。読んだり知ったりしただけでは、まだ使える知識にはなっていない。表現されていないものを、実践を通じて身につけてはじめて、使える知識になる。そのような理解が中心にありました。言い換えれば、実践を通し身体化される知の側面に光が当たっていた時代だったのだと思います。
その後、日本における人口動態の変化とともに、熟練層が会社を離れ、ノウハウが十分に継承されないという問題が表面化しました。そこでは、暗黙知は「継承されにくいもの」「失われやすいもの」という文脈で捉えられることが増えていきました。
そして現在は、AIの進化を受けて、さまざまなビジネスプロセスを次の世代に向けて見直し、組み替えていく局面に入っています。この文脈では、暗黙知は企業独自の強み、差別化ポイントとして認識されつつも、AIと組み合わせにくい課題として語られることがあります。理由は、それがデータやルールとして十分に表現されていないからです。この変化・展開の著しいAI時代を生き抜くために、暗黙知を形式知化したいという要請はこれまで以上に高まっていると言えます。
ただ、だからといって、すべてを一方向に形式知化していけばよいのかというと、そう単純ではないはずです。本稿では、暗黙知についてもう一歩踏み込み、その中身を少し丁寧に見ていきたいと思います。
暗黙知とは - ポランニーの洞察
暗黙知(Tacit Knowledge)の概念は、ハンガリー出身の物理化学者であり、哲学者でもあったマイケル・ポランニーの思索に端を発します。彼は「我々は語れること以上のことを知っている(We can know more than we can tell)」と述べ、言語、数式、手続きなどによって表現できる領域の外側にも、人間の知の根があることを示しました。
ポランニーは、この構造を「近接項」と「遠隔項」という概念で説明しています。たとえば、盲目の人が杖を使って歩くとき、手のひらが感じているのは杖から伝わる振動や圧力です。これは近接項にあたります。しかし、その人の意識が向いているのは、手元の感覚そのものではなく、杖の先にある石や段差、障害物といった対象です。こちらが遠隔項です。人は細部の感覚を手段として用いながら、その先にある全体や対象を捉えています。ポランニーは、このような構造に理解の本質があると考えました。
この視点に立つと、熟練者が見ているものは、手順の断片や表面に現れた情報だけではありません。むしろ、そうした細部を通して、その先にある状況全体や本質的な変化を捉えています。暗黙知の核心は、言葉にしづらい感覚にあるというより、そうした感覚を通じて何を見抜いているのかという点にあるのだと思います。
野中郁次郎氏のSECIモデル
野中郁次郎氏は、暗黙知と形式知の相互変換を通じて、組織の知識創造が進んでいく過程を、SECIモデルとして整理しました。SECIとは、共同化(Socialization)、表出化(Externalization)、連結化(Combination)、内面化(Internalization)の4つのプロセスの頭文字を取ったものです。
共同化とは、経験の共有を通じて、暗黙知が人から人へ伝わるプロセスです。たとえば、熟練者と若手が同じ現場に入り、観察し、真似し、空気感を含めて学んでいくような場面がこれにあたります。表出化とは、言葉、図、比喩、概念などを用いて、暗黙知を外に取り出し、他者と共有可能な形にしていくプロセスです。連結化とは、そうして表現された複数の知識を組み合わせ、体系化し、マニュアルや仕組みとして整理していくプロセスです。内面化とは、それらの形式知を実践によって身につけ、再び個人の暗黙知として取り込んでいくプロセスです。
SECIモデル全体を貫く重要な方向性の一つは、暗黙知を形式知へと変換し、個人に閉じた知を組織の知へと広げていく点にあります。表出化から連結化に至る過程を通じて、知識は属人的なものにとどまらず、時間的・空間的な制約を超えて組織全体へ広がっていきます。これは、再現性や継承性を高めるうえで意味のある視点です。
ただし、SECIモデルの重要な点は、すべての暗黙知を形式知に変換し尽くすことを最終目的としていないところにあります。どれほど丁寧に形式知化を進めても、言葉やデータの網の目からこぼれ落ちる文脈は残ります。機械の繊細な制御や、プロジェクト運営における機微の調整などでは、この部分が成果を左右することもあります。
そのため、ナレッジマネジメントの目的は、暗黙知をなくしてすべてをデータベース化することではありません。形式知化されたものを、内面化のプロセスを通じて再び個人の実践知へと変え、その豊かになった暗黙知を起点に、次の共同化へとつなげていくことにあります。知識創造とは、形式知化で終わるものではなく、暗黙知と形式知の往復運動を続けることによって深まっていくものだと考えられます。
また、この流れに対しては、AIの登場によって新しい補助線も引かれつつあります。人が完璧に言語化できない場合でも、AIが対話の相手となり、断片的な記憶や経験を引き出しながら構造化を助けることで、形式知化の入り口に立ちやすくなってきています。従来は言語化の負荷が高くて扱いにくかった知識も、問いの立て方や対話の設計を工夫することで、少しずつ共有可能な形に近づけることができます。SECIモデルの基本的な考え方を保ちながら、そこに現代のテクノロジーを組み込んでいくことは、これからの知識経営において一つの論点になるように思います。
暗黙知とはQWAN(名前のない質)である
暗黙知についての解像度を高めていくうえでは、熟練者が持つ暗黙知を、ニュアンスを含めた具体や詳細な情報の無意識的な蓄積として捉えるだけでは足りないのではないかと考えています。そこには、個別の工程をうまく進めるための知恵だけでなく、全体に秩序や調和をもたらす感覚、ある種の美学のようなものが含まれているからです。
この点を考えるうえで、建築家クリストファー・アレグザンダーが提唱した「QWAN(Quality Without a Name:名前のない質)」という概念は示唆に富んでいます。アレグザンダーは、1979年の著書『時を超えた建設の道(The Timeless Way of Building)』において、人の感情に深く響き、心地よさや生命感をもたらす建築や空間には、言葉では十分に表しにくい固有の質があると考え、それをQWANと呼びました。
QWANは、いわば熟練者が体現している「質」のあり方を考える手がかりでもあります。記述された機能要件を満たすだけでは届かない領域があり、そこでは部分と部分が関係性のうちに重なり合い、互いを支え合いながら全体を形づくっています。その全体性が、人に対して直感的な調和や納得感をもたらしているのだと考えられます。
この観点に立つと、暗黙知とは、言語化されていない手順やコツの集まりであるだけではないのではないか、と。全体をどう見ているのか、どのような状態を「よい」と感じ取っているのか、そして何を守りながら細部を調整しているのかといった、質の判断基準そのものを含んでいます。そのため、暗黙知の中核には、単なるノウハウではなく、「こうあるとよい」と感じ取る秩序感覚があると見ることもできます。
アレグザンダーは、このQWANに具体的な方向性と構造を与えるために、パターンランゲージという方法を提案しました。これは、言葉にしづらい質を、繰り返し現れる関係性や構造として捉え直し、共有可能な形へと表出させていく試みです。そう考えると、パターンランゲージは、暗黙知を形式知化していくための実践的な方法の一つとして読むこともできます。
興味深いのは、この建築分野で育まれた考え方が、スクラムをはじめとするアジャイル開発やソフトウェアエンジニアリングの方法論にも影響を与えていることです。複雑で変化の多い環境下で、プロダクトを少しずつ適応的に進化させていくスクラムの実践は、固定化された正解をなぞるというより、試行錯誤を重ねながら、チームが暗黙知を働かせてプロセス知を育てていく営みと見ることができます。そこでも問われているのは、要件を満たすことだけではなく、全体としてどのような質を立ち上げるかという感覚なのだと思います。
暗黙知の4つのタイプ
暗黙知に関しては、多くの企業で形式知化の取り組みが進められています。ただ、暗黙知をひとまとめに扱うだけでは、実務上の打ち手がやや粗くなってしまうこともあります。筆者は様々なプロジェクトを通じた議論を通し、暗黙知は大きく4つのタイプに分けて考えると取り扱いやすくなるのではないかという考えに至りました。実際、それぞれのタイプを思い浮かべたとき、社内に具体的な人物が重なるという方も少なくないように思います。
第一のタイプは、「引き出し型(Repertoire)」です。これは、過去の膨大な経験、成功体験、失敗事例の蓄積に基づく知識です。複雑な状況に直面したとき、熟練者は毎回ゼロから論理推論を組み立てるわけではありません。記憶の奥にある多様な事例の中から、いまの状況に近いものを瞬時に呼び出し、それを踏まえて対応します。ベテラン医師による臨床現場での即時的な見立てや、熟練したシステムエンジニアが障害発生時に感覚的に原因のあたりをつける場面などは、このタイプに近いでしょう。業務上の細かなノウハウや、具体的なデータに裏打ちされた知識を多く持ち、現場で安定した質をつくり込むうえで鍵を握るタイプです。比較的、状況に応じて働くリアクティブな暗黙知といえます。
第二のタイプは、「型(Pattern/Framework)」です。これは、業務を安定的かつ高い水準で遂行するために、個人の中に深く内面化された独自のフレームワークやルーティンを指します。明文化されたマニュアルには書かれていない準備の順序や、複数のタスクを並行して進める際の認知的・身体的なリズム、「ここだけは外してはいけない」という要所の押さえ方などが含まれます。現場の親方や熟練したプロジェクトマネージャーのように、状況に応じて適切な進め方の型を提示できる人が、このタイプの代表例です。安定した業務遂行を支えるだけでなく、他者への指導にもつながりやすい暗黙知であり、リアクティブな側面とプロアクティブな側面の両方を持っています。
第三のタイプは、「つながり型(Connection/Relational)」です。これは、組織内外の人的ネットワークや、「誰がどのような知識やスキルを持っているか」というメタ知識、いわゆる Know-who に関わる暗黙知です。「このテーマなら、まずこの人に話を通したほうがよい」「この部署とこの企業をつなぐと話が進みやすい」といった関係性の地図を頭の中に持ち、誰と誰を結ぶと物事が動くのかを把握しています。そのため、社内外の人や組織をつなぐコーディネーターとして機能することができます。また、このタイプには、一見すると無関係に見える事象、データ、概念のあいだに潜む関係性を見出す力も含まれます。こちらも、状況対応にとどまらず、先回りして場を整える方向へ広がっていく暗黙知です。
第四のタイプは、「発想型(Idea/Inspirational)」です。これは、直感やひらめき、創造的思考の源泉となる、より高度な暗黙知です。混沌とした不確実な状況から新しいコンセプトを立ち上げたり、既存の業界の前提をずらしたり、これまでにない視点を提示したりする際の基盤になります。このタイプは、独立して存在するというより、「引き出し」「型」「つながり」が高い水準で重なり合うことで立ち現れてくるものと考えたほうが自然かもしれません。豊かな経験の蓄積、安定した思考や実行の型、多様な人や知識との接続が結びつくことで、新しい発想が生まれやすくなるからです。その分、ブラックボックス化しやすく、形式知化が難しい領域でもあります。4つの中では、最も能動的な暗黙知の領域といえるでしょう。
このように整理すると、「発想」レベルの暗黙知をそのままマニュアル化することは難しくても、その背後にある「引き出し」「型」「つながり」を分解しながら整理していくことは可能です。創造性そのものを直接固定化するのではなく、それを支えている下位の構成要素を可視化していくことが、現実的なアプローチになります。そして、それらを高い次元で統合できる存在が、いわゆるスタープレイヤーと呼ばれる人たちなのかもしれません。

暗黙知から暗黙考へ
「暗黙知」という言葉は、「知」という語があるがゆえに、どうしても「知っていること」に焦点を当てやすい表現です。ただ、熟練者の力の本質は、知識を持っていることそのものよりも、それをどう働かせているか、どのように見て、考え、判断しているかという過程にあるのではないか、という見方もできます。そこで、ここでは「暗黙考(Tacit Thinking)」という概念を補助線として提案してみたいと思います。
暗黙考とは、意識的な言語化を経ずに行われる高度な認知プロセスの総体です。たとえば、認知科学や意思決定研究の領域で知られるゲイリー・クラインらが提唱した「自然主義的意思決定(Naturalistic Decision Making)」の枠組みでは、専門家は限られた時間と情報の内で、分析的に比較検討を重ねるというより、蓄積された経験に基づく直観を働かせながら、実行可能で妥当な判断に到達すると考えられています。着眼点の鋭さ、判断の速さ、思考の運び方の確かさ、そして危険を察知する感覚などは、いずれも暗黙考の表れとして捉えることができます。
暗黙考の重要な機能の一つは、破滅的な失敗を避けるための「危険察知」です。これは、いま起きている状況が、自分の中にあるメンタルモデルの「通常のパターン」からわずかにずれたときに生じる違和感として現れます。熟練者は、明確な言葉で説明する前に、何かがおかしいと感じ取ることがあります。この感覚は曖昧な勘として片づけられがちですが、実際には、長年にわたる経験の蓄積と、状況認識の精度に支えられた認知の働きと考えるほうが適切です。
ここで、ポランニーの「近接項」と「遠隔項」の考え方を重ねると、暗黙考の理解はさらに深まります。熟練者は、手元の操作、数値、断片的な兆候といった近接項を見ていながら、その先にある目標状態や全体の質、進行中のシステムの健全性といった遠隔項を同時に見ています。表面に現れている情報だけを追っているのではなく、その背後にある全体像を見通しながら判断しているのです。どこを見て、何を異常と感じ、何を保とうとしているのか。その「見え方」の構造を明らかにすることが、暗黙考の抽出につながります。
実践的な方法としては、熟練者の行動を動画で観察し、何を見ているのか、どこに注目しているのか、どのタイミングで判断を切り替えているのかを記録するアプローチがあります。行動そのものだけでなく、視線、間、ためらい、確認の順序などを丁寧に追うことで、表面には現れにくい思考の流れが見えてくることがあります。
また、「ShadowBox Method」と呼ばれる手法も参考になります。これは、実際の判断場面に近い状況を用意し、熟練者がその局面で何に注目し、どのように判断したのかを段階的に言語化していく方法です。新人や中堅との違いを比較することで、着眼点、判断の優先順位、見落としやすいリスクの捉え方などが明らかになります。その結果として、熟練者のノウハウを新人がより効率よく身につけていくための手がかりを得やすくなります。
このように見ると、暗黙知を扱うとは、蓄積された知識を取り出すことだけではありません。熟練者がどのように状況を見て、何を手がかりに判断し、どのような全体像を保とうとしているのかという、思考の運動そのものに近づいていくことでもあります。暗黙知を「知っていること」としてだけではなく、「暗黙のうちに考えていること」として捉え直すことができれば、継承や育成の方法も、もう少し豊かに設計できるように思います。
暗黙知から暗黙動へ ー 主体性と共感・共鳴に支えられた伝達
さらに一歩踏み込むと、「暗黙知」や「暗黙考」だけでは捉えきれない領域として、「暗黙動(Tacit Acting)」という視点が重要になってきます。暗黙動とは、思考や判断が、どのように具体的な身体的行動や社会的な働きかけへと変換されるのかという、「実践の様式」を指すものです。
暗黙動を理解するためには、その行動を支えている主体性、当事者意識、貢献しようとする意思、そして共感や共鳴といった要素に目を向ける必要があります。さらに掘り下げていくと、なぜその主体性が生まれるのか、なぜその人はそこまで動こうとするのか、という問いに行き着きます。そこでは、その人の考えや想い、動機の深い部分、言い換えれば価値観や美学のようなものまで見ていく必要があるのかもしれません。
暗黙動を支えるのは、行為者が抱く「何が望ましいか」「どうあるべきか」というアレグザンダーのQWANにつながる信念です。野中郁次郎氏が提唱した「フロネシス(Phronesis:賢慮)」、すなわち個別の状況において全体の善を見極めながら判断し、実行する力は、この価値観とも深く結びついています。信念に裏打ちされた行動は、不確実な状況の下でも判断の軸を失いにくく、周囲に対して説得力やリーダーシップをもたらします。
暗黙知は、図書室に保管される静的なアーカイブ情報とは異なり、極めて動的で実践的な性質を持ちます。そのダイナミズムは、「主体性」「行動」「貢献」という三つの要素の相互作用として理解することができます。
まず、暗黙動には、個人の主体性が色濃く反映されます。同じ職場環境で同じ経験をしたとしても、そこから何を受け取り、何を自らの知識体系に組み込むかは、人によって異なります。その違いを生むのは、信念、価値観、美意識、あるいは問題意識です。暗黙動は強い目的指向性を持ち、状況への「貢献」という形で発動します。続いて、暗黙考が、行動という実践の文脈の中で立ち現れます。複雑な課題に直面し、それに対処しようとする思考過程の最中において、暗黙知は導かれ、その価値を発揮し、経験として個人の中に刻まれます。熟練者が無意識のうちに行っている作業手順の工夫や道具の独自の調整なども、「よりよい結果を出す」「致命的なエラーを防ぐ」といった、全体への貢献に向けられた適応行動からの一連の結果と見ることができます。
そして組織において、個人の内面にとどまっている暗黙考、ひいては暗黙知が他者へと伝わり、集合知へと育っていくための駆動力となるのも、「貢献しようとする意思」と、それを伴った「行動」です。暗黙知は、その性質上、言語による明示的な伝達が難しいため、教える側と学ぶ側のあいだに、信念や共感に支えられた実践が必要になります。
この知識移転の過程において中核となるのが、「共感(Empathy)」と「共鳴(Resonance)」です。熟練者が、初心者のつまずきや苦悩に対して、自分自身の過去の経験を重ね合わせながら共感し、自らの身体に刻まれた知恵を分かち合おうとすること。そして初心者が、熟練者の表面的な技術だけではなく、その背後にある哲学や美意識、仕事に向き合う姿勢にまで心を動かされ、それを自らの身体と精神に取り込もうとすること。この双方向の感情的・精神的な同期が起きたとき、暗黙動は成立し、暗黙知は業務スキルの移転という枠を越えて、組織の文化やDNAとして継承されていくのではないでしょうか。

自律分散と共有から自己進化システムへ - ヒューマンスケールと「学習する組織」
暗黙動に支えられた知識移転について、もう少し考察を進めてみたいと思います。
そもそもの前提として、ポランニーは、科学的推論や客観的とされる実証の過程においても、その土台には科学者個人の身体的経験、直感、美的感覚、そして対象に向かう情熱といった「個人的知識(Personal Knowledge)」があると指摘しました。言わずもがなではありますが、この見方に立つと、暗黙知はヒューマンスケール、すなわち人間の身体的・認知的な限界に適合した規模に根ざしており、組織の内部に自律的かつ分散的に存在していると考えることができます。形式知がデータベースや文書として一元管理されやすいのに対して、暗黙知はそれを体現している「人」に属しています。特定の環境や文脈の中で、個々人が微細な問題解決を積み重ねることによって形成されるため、強い文脈依存性を持っています。
逆説的ではありますが、この自律的・分散的な性質は、環境の複雑さに向き合ううえで有効に働きます。完全にマニュアル化されたプロセスは、想定外の事態に直面した際に、柔軟さを失ってしまうことがあります。しかし、現場の最前線に熟練者が存在していれば、その場での判断や調整が可能となり、組織全体として適応力を保ちやすくなります。暗黙知は、目には見えにくいものの、組織にレジリエンスをもたらすネットワークの結節点として機能しているとも言えます。
暗黙知を形式知へと移していくということは、野中郁次郎氏がSECIモデルで示したように、自律的・分散的に存在する知を、対話と実践を通じて共有し、議論し、学び直し、再び現場で活かしていくことです。同時に、その自律・分散による暗黙知のさらなる発生を防ぐわけではありません。むしろ促進し、さらに対話と実践を通して共有していく。そのスパイラルは、企業が「学習する組織」へと変わっていく過程でもあります。形式知化とは、知識を固定することではなく、自律分散と全体共有という振り子と、学習の循環を組織の中に生み出すことだと捉えたほうがよいのだと思います。
その意味で、暗黙知のマネジメントは、暗黙考と暗黙動の理解と実践を通じて、「組織の持続的な成長」という目的へ接続される必要があります。個人の内面に宿るQWAN(名前のない質)の追求から始まり、その暗黙考が共同化を通じてチームの暗黙動として共鳴し、パターンランゲージやAIの力を借りながら表出化・連結化され、再び個人の内面に取り込まれていく。このSECIモデルの循環が組織に定着していくことは、外部環境の変化に受け身で対応するだけの集団から、自らの内部から新しい価値や適応力を生み出し続ける組織へと変わっていくことを意味します。ここでいう「自己進化システム」とは、そのような自己更新の力を持つ組織の姿を指しています。
暗黙知を戦略的に活用できる組織は、データやAIといったテクノロジーを、コスト削減や効率化のための道具として扱うだけでなく、人間の創造性、直感、身体的な知恵を広げるための基盤として位置づけることができます。暗黙知の「人間中心」的な本質を理解し、その抽出と共有の仕組みを組織文化の水準まで根づかせていくこと。それが、予測しにくい複雑な時代において、企業がしなやかに生き残り、模倣されにくい競争力を育てていくための道筋になるのではないかと思います。
終わりに:AI時代を生き抜くために
AIが広く普及し、誰もが似たようなツールを使う時代になると、同質化や均質化の罠に陥る可能性があります。同じようなデータを、同じようなAIで処理すれば、似たような答えが返ってくることは自然です。そこでは一定の質は確保されるかもしれませんが、それだけでは差異は生まれにくくなります。
だからこそ、企業は、自らの暗黙知を明示的な知識へと変換し、それをAIのコンテキストとして活かしていく必要があります。ただ、それは情報を整理して与えれば足りるという話ではありません。組織として何を強みとし、どのような価値を大切にしてきたのかという固有性の追求がなければ、この同質化の流れから抜け出すことは難しいはずです。組織固有の暗黙知、すなわち「引き出し」「型」「つながり」「発想」、そして暗黙考・暗黙動をAIと組み合わせていくことで、模倣されにくい循環型の知的生産の土台が形づくられていきます。
暗黙知をどう活かし、どう育てていくかは、AI時代における企業の競争力を左右する論点です。それは技術導入の問題だけではなく、人間とは何か、組織とは何かをあらためて問い直す営みでもあります。暗黙知の探求は、AI時代だからこそ、いっそう丁寧に深めていく価値があります。
