【第1章】-俺が親の呪縛から解き放たれるまで-:俺の原点は、恐怖だった
📘 この物語は連載です。
🎮 あなたが開いているのは【第1章】です。
はじめから物語を読みますか?
▶ 序章:「親の呪縛」から解き放たれるまで
すでに前章をお読みの方、もしくは
ドラマを途中からでも楽しめちゃうタイプのあなたは、
このまま【第1章】をお楽しみください。
埼玉県で生まれ、青森を経て、今は千葉県に住んでいる。
俺の人生は、一見“普通の家庭”に見えるかもしれない。
でも、内側はまるで違った。
俺の親父は元自衛官。
外では立派に見えたと思う。
けれど家の中では、地雷原だった。
高圧的で、怒鳴るのが日常。暴力も日常。
とにかく「いつ怒るかわからない」という恐怖と、常に一緒にいた。
今でも忘れられない言葉がある。
「お前はケツの拭き方でも考えてろ」
「夜中ゴソゴソとゴキブリみたいなやつだな」
「何もできないやつだな」
これはもう、“呪い”だった。
自分には価値がない。
何もできないやつなんだ。
そう思わされて、育った。
母親は、静かで優しい人だった。
怒ることは少なく、俺をそっと見守ってくれた。
だけど、親父の圧が強すぎて、母の愛すら感じきれない時期もあった。
姉は7つ年上で、親父の暴力を直接受けていた。
高校を卒業してすぐ家を出ていったから、正直あまり記憶がない。
兄は4つ年上で、ゲームなどを制御できず、よく親父に怒られていた。
俺は、上の2人が怒られるのを見て育った。
怒鳴り声が響くたび、逃げ場を探していた。
部屋の隅、物音が届かない場所、心を閉ざすことでしか生き延びられなかった。
「怒られないように生きる」──それが、俺の生き方だった。
自分を出すのが怖かった。
何を言っても、どうせ否定される。
だったら、黙っていた方が楽だった。
このときの俺には、“自分”なんてなかった。
でも、小さな頃の俺にも、ちゃんと“子どもらしい”の時間はあった。
バスの列に誇らしげに並んだ記憶。
でも、注意されて下がった瞬間、割り込まれて悔しかった。
その怒りすら、誰にも理解されずに潰された。
あの時の「悔しさ」だけは、今でも忘れられない。
たぶん、あれが俺の中に“譲れないもの”を生んだ最初だった。
体が大きく、すぐ手が出る子だった。
暴力的な父の元で育った俺にとって、「力で通す」が当たり前の価値観だった。
それは中学まで続いた。
運動音痴だった俺は、小学4年で野球を始めて少しずつ変わった。
練習はつらかったが、体が動くようになり、自信に変わっていった。
でも、父との思い出は…ほとんどない。
野球が嫌いだった親父は、俺とキャッチボールすらしてくれなかった。
友達も少なかった。
怖がられていたのかもしれない。
「本当の友達」って何なのかも、今となってはわからない。
この頃の俺は、すでに“自分を閉じ込める技術”を身につけていた。
本音はしまいこみ、怒りや悲しみは拳で表現する。
それが、俺という人間の土台になっていった。
📘 物語は、まだ始まったばかりです。
▶ 【第2章】 -俺が親の呪縛から解き放たれるまで-:揺れる思春期、壊れかけた自分
📌 このnoteを読んでくれて、ありがとう。
もし何か少しでも心に残るものがあったなら、
他の記事ものぞいてもらえると嬉しいです。
📘 まとめ記事はこちら
(連載・自己紹介・有料記事すべて載ってます)
https://note.com/mashu_life_story/n/n8abdda507244
“スキ”や感想をもらえると、
不思議とまた言葉があふれてきます。
もし「また読みたいな」と思ってもらえたら、
フォローしてもらえると泣いて喜びます。
では、次のnoteでお会いしましょう。
── まっしゅ
いいなと思ったら応援しよう!
応援したいと思ってくれた方は、ぜひサポートお願いします!
いただいたチップは次の執筆のエネルギーにします🔥