ようこそ!フォーチュンカフェへ #1 背中が継ぐ技 ~ブラジル×マンデリン~
《あらすじ》
駅前の路地裏に、ひっそりと佇む〈フォーチュンカフェ〉。
扉をくぐると、古本と珈琲の香り、そして「顔の味」に合わせて淹れられる一杯が迎えてくれる。
メニューはない。
あるのは、その日の“看板のことば”と、“ことばみくじ”。
技を継承に悩む職人、「書く」夢を諦めていた主婦、恋に踏み出せないふたり──。
迷いを抱えた人々がこのカフェを訪れ、小さな言葉に救われていく。
一つの言葉が、あなたの心もそっと押し出す。
ほんの一杯の珈琲と、たったひとことが、誰かの未来を変える連作短編。
午後の陽が傾き始めたころ、一人の男が古びた木製の看板の前で足を止めた。
路地裏の小道に、ひっそりと佇む小さな店。
アンティーク調のランプが吊るされた木枠の入口の上には、手書き風の文字でこう書かれていた。
――フォーチュンカフェ(Fortune Café)
その下に添えられた小さな黒板には、白いチョークでこう書かれている。
本日のひとこと:『あなたの思いは誰かが受け継ぐ』
「へぇ、妙なこと書くじゃねえか。」
歳の頃は六十代後半。
日焼けした肌に深く刻まれた皺。
つばの広い帽子を指で持ち上げながら、男はしばらくじっと文字を見つめていた。
おもむろに、木の扉に手をかける。
カラン――。
鈴の音とともに広がるのは、古本と珈琲が混じり合ったような、どこか懐かしい香り。
店内には木のぬくもりが満ち、低くかけられたジャズが静かに耳をくすぐる。
カウンターの奥に立つのは、年のころ二十代後半ほどの女――
名をこと葉という。訪れる客の顔を読み、その人の「味」に合わせた珈琲を淹れる、不思議な店の店主である。
*
「いらっしゃいませ。ようこそ、フォーチュンカフェへ。」
にっこりと笑うこと葉に、男はちょいと顔をあげる。
「看板の言葉、気になってな。ちっと休ませてもらうぜ。」
「わぁ・・・看板、見て来てくれたんですね。」
こと葉は、目を細めて喜んだ。
「メニューはねえのかい?ねーちゃん。」
「私は『ねーちゃん』じゃなくて、こと葉と言います。」
あっけらかんと答える女。
「ここは、『店主のお任せ』なんです。どうぞ、そのままお待ちくださいね。」
男は苦笑した。
「ずいぶんと勝手な店だな。」
「でも、きっとお口に合うと思いますよ。」
にこやかに、こと葉が答える。
「おもしれぇじゃないか。やってくれ。」
*
店主らしき女がコーヒーを入れている間に、男はあたりを見回す。
男が見渡す店内には、古びた本棚、額に入ったトランプみたいなカード、古道具のようなコーヒーミル、そして・・・。
「おいおい、あれ、鉋じゃねぇか?」
こと葉はちょうどお湯を沸かし始めたところで、男の問いに振り返った。
「あ、それは鉋の形をした鉛筆削りなんです。お客様がプレゼントしてくださったものなんですよ。」
「鉋がねぇ・・・。」
男がそれを手に取り、指でなぞる。
小さいながら、刃の角度や台のつくりが、本物そっくりだ。
「でも、粋じゃねぇか。こういうもんを見つける目があるのは。」
こと葉は微笑みながら、ミルを回し始める。
「鉋ってのは削るだけじゃなく、木の性質を読んでやらなきゃならん。刃の入れ方一つで、台無しになるんでな。」
彼の声に、わずかに熱がこもった。
*
こと葉は、男の話を聞きながら豆を挽き、ゆっくりと湯を注ぐ。
香ばしく、どこか土の香りを思わせる香りが立ちのぼった。
「今日のブレンドは、ブラジルをベースに、マンデリンを少し。ローストは中深煎り。しっかりとしたコクと、風味。お客様の『お顔の味』に合わせてみました。」
「顔の味?」
「ええ。真面目で、不器用そうで、でも芯があって、最後までやりきる。そういう人って、珈琲に例えると、深みがあるんです。」
「ほぉ。」
口に含んだ瞬間、男の表情がふっとやわらいだ。
「悪くねぇ。」
「それはよかったです。」
こと葉は嬉しそうに微笑んだ。
やがて、男はゆっくりと語り出した。
*
「俺ぁ大工なんだがな。もう歳でよ。そろそろ引き際ってもんを考えてた・・・。」
「けど、継がせようと思ってた息子は、自分には向いてねえって言うし、俺のやってきたこと、全部このまま終いにするのかと思うとよ・・・。」
「少し、こたえたんだよな。息子がだめなら、誰がいるっていうんで、探してみたんだが今いるのはほとんどが60代以上の大工でな。どうしようもない。」
こと葉は微笑んだまま聞いている。
「引き継げそうな若い方は、一人もおられないのですか?」
「――若いのはいるにはいるんだよ。腕も悪かねえ。ただ、なんつうかな、技術は教えりゃ覚える。けどな、こちとら何十年もかけて身につけた『感覚』ってやつぁ、教えるっつっても、なぁ、どうしたもんかね。」
こと葉は、静かにうなずいた。
男の言葉は、あまりに真っ直ぐで、少しだけ苦味を伴っていた。
「教えるって、難しいですね。」
「そうよ。こっちの腹ん中にある『感覚』なんて、口に出しゃ薄っぺらくなる。見て学べってのも今じゃ通じねぇしな。」
「でも、きっと伝わってます。今は分からなくても、じんわりと。ほら、この珈琲みたいに。」
こと葉が差し出したカップから、ふんわりとした香りが立ち上った。
「なんだろな、この味。なんつうか、よく知ってる味だけど、新しいもんが奥でひょっこり顔を出してるっていうか・・・。」
男が少し口ごもったときだった。
*
「よろしければ、どうぞ」
こと葉は棚の引き出しから小さなおみくじを取り出して手渡した。
「なんでぇ、これ」
「『ことばみくじ』といいます。この一言が、あなたの支えになれば。」
男は受け取り、開く。
『あなたを継ぐものは、あなたの背中をじっと見る。』
男はしばらく無言だった。
男の脳裏に、若い無口な男が、いつも鉋の練習をしていることが浮かんだ。
時折、自分の手元をじっと見ていることを思い出した。
そして、ふっと笑った。
「なるほどな。見てねぇようで、見てる、ってか。たしかに、アイツならやれるかも知れねぇ。誰でも若い頃はある。俺がどんな背中を、見せるかってことか。」
こと葉は、黙ってうなずいた。
男は立ち上がった。
「こと葉ちゃんとか言ったよな。珈琲ごちそうさん。いくらだい?」
こと葉は白いカードとガラスペンを差し出す。
「ここではお代の代わりに、『ことばみくじ』にひとこと書いてもらってるんです。」
「俺が?」
「はい。次にここに来る誰かの、支えになる言葉を。」
「何から何まで妙な店だな。」
男は少し照れくさそうに受け取り、手のひらにカードをのせ、しばし考えた。そして、墨色のインクで一文字ずつ丁寧に書いていく。
書き終えると、それをこと葉に預けた。
こと葉はそのまま受け取る。
そして、男が店を出ようと振り返ったときだ。
「おっと、こと葉ちゃん。ひとつ言っとくことがある。」
「え?」
「入り口の扉な、すこし軋みがある。蝶番がいたんでるようだぜ。」
「まあな、いつでも直しに来てやるよ。珈琲のお礼だ。タダでいい。気が向いたらここに連絡しな。」
男が名刺をカウンターの上に置く。
こと葉が名刺を手に取ると、そこにはこう書かれていた。
橋内 玄能(はしうち・くろしげ)/橋内工務店
木造建築・リフォーム一式
「『はしうち・くろしげ』さん、ですね。」
「珍しい読みだろうが、親父の遊び心でな。玄能(げんのう)って書いて『くろしげ』だ。クロさんでいいぜ。」
そう言って笑った玄能の横顔は、先ほどよりもいくらか柔らかくなっていた。
「また寄らせてもらうぜ、こと葉ちゃん」
カランカラン――。
扉の軋む音が、今度は少し優しく聞こえた。
そしてカウンターの上には、書かれたばかりの新しい『ことばみくじ』が一枚。
『迷っているなら、まずは手を動かせ。』
達筆ではないが、妙に味のある文字。
こと葉は微笑み、ことばみくじをカウンター脇の小箱に収めた。
了
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