ようこそ!フォーチュンカフェへ #2 汝の欲することをなせ(Tu, was du willst!)~エチオピア×コナ~
珈琲と古本の香りがまじりあう、不思議なカフェがある。
名前は〈フォーチュンカフェ〉。
扉をくぐると、誰かの素敵な言葉があなたを待っている。
それは、偶然か、運命か。
「本日のおまかせ」を味わいながら、あなたの心にそっと触れる〈ひとひらの言葉〉が、小さな風を起こすかもしれない。
*
入口の看板には、
本日のことば:『沈黙の底で、光を目指す意志が、そっと目を覚ます。』
と書かれている。
午後1時。
看板をじっと見つめる、三十半ばの女性がいた。
しばらく、じっと見つめる。
時計をチラッと見て、意を決したかのように店に入る。
カラン。
入口の鈴の音が響く。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
彼女——文子はぺこりと頭を下げて入って来た。
カウンター席の隅に座る。
しばらくの空白の時間。
(え?注文取りに来ないの?)
文子は、カウンターにいる女性を見る。
年のころは、少し下だろうか。
こちらをじっと見ている。
文子もじっと見る。
すると、女性はにっこりと笑い返す。
「え?注文は?」
「あ、うちは店主のおまかせなんです。」
「あ、はぁ。」
よくわからない。
しかし、メニューがないところを見ると、確かにそう言うことなのだろう。
「じゃあ、おまかせで。」
とだけ答える。
女店主は、しばらく文子の顔を眺め、そっとうなずいた。
湯を沸かしはじめる。
豆を計量し、ミルで挽く。
カリカリカリカリ。
店の中に、軽やかなリズムが広がる。
しばらくすると、珈琲の香りが広がってくる。
*
そんな様子を見ながら、文子はあたりを見回す。
店の奥には、古い本が入った棚。
壁の奥には、何かのカードが入った額が飾られている。
文子は、古い本の中に懐かしい本を見つけた。
(あ、『果てしない物語』!)
ミヒャエル・エンデの物語。
小学校6年生の時に読んだ。
あんなお話が書けたらいいなあ・・・なんて子ども心に思った。
『汝の欲することをなせ』
物語の一節が、ふっと浮かび上がる。
(わたしの欲すること・・・。)
その思いは、すっと心の暗闇に沈んでいく。
*
コトン。
目の前に、真っ白なソーサーとカップが置かれる。
汚れもなく、抜けるような白。
「今日のおまかせは、エチオピアとコナのブレンドです。エチオピアの華やかさと、コナのまろやかさ。『隠し味』の方の心の奥をそっと緩めて楽にします。」
「隠し味?」
なんのことだか意味が分からない。
驚いた顔をする文子に、こと葉は柔らかく笑いかけた。
「わたし、人のお顔や表情を見るとその人の『味』がわかるんです。」
「表情に『味』?」
ますます意味が分からない。
「まあ、まずは一口どうぞ。」
カップからは、柑橘にも似た甘い香りが立ちのぼる。そっと口をつけると、ふわりと心がほどけるような気がした。
「おいしいです。」
「でしょ!でしょ!」
無邪気に喜ぶこと葉を見ていると、文子は思わず微笑んだ。
その時に、再び浮きあがる思い。
(これか・・・。私が『隠していた味』って)
*
「お話してもいいですか?えっと・・・。」
「こと葉です。」
あっけらかんと答える女性。
「こと葉さん。わたし、思い出したの。ずっと心の奥に『隠して』いたこと。」
こと葉は、静かな笑顔で聞いている。
「あそこに、『はてしない物語』がありますよね。」
文子が本棚を指さす。
こと葉が、うれしそうに答えた。
「あ!気づかれました!わたしあの本が大好きでなんです!えっと・・・。」
「文子です。堀内 文子といいます。」
「文子さんも、好きなんですね!」
その笑顔で、文子の心の枷がさらに緩む。
「6年生の時に、あの本に出合って夢中で読みました。」
「そして、あんな物語が書いてみたいと思って・・・。」
──物語を書くのが好きになった。
書くことは、胸の奥の「ほんとう」を楽しく紙の上に表すことだった。
でもある日、友だちにノートを読まれて、笑われた。
「なにこれ、変な作り話。」
「きもーい。」
「ネクラだよねえ。」
「こんなお話書いても、何の役にも立たないじゃん。」
──それ以来、物語を書くのが怖くなった。
嘲笑されることが、何より怖かった。
でも、書きたい気持ちは、ずっと胸の奥にあった。
大人になり、結婚して、子どもができて、日々の家事や育児に追われて——
「時間がない。」
「今は無理。」
「また、今度。」
そんなふうに言い訳して、物語を書いていない。
それでも、最近ふと思ようになった。
恋をして、結婚して、子どもができて・・・。
あの頃より、もっと誰かの気持ちに寄り添える話が書けるんじゃないか、と。
でも、またあのときの痛みが頭をもたげる。
誰かに笑われるくらいなら、何も書かないほうがいい。
書きたい思いが浮かび上がるたび、——そんな風に、ずっと自分の奥に隠してきた。
ふだんは、夫にもあまり自分の気持ちを話せないのに、初対面のこと葉にこんなにも滔々と話し続けている自分に気づく。
こと葉はずっと静かに話を聞いくれた。
*
文子が話し終わると、こと葉が優しい笑顔で言った。
「Tu, was du willst——汝の欲することをなせ、ですね。」
その言葉が、文子の五体に染みていく。
温かい気持ちが噴き出してきた。
涙がこぼれた。
「あ、え?泣いてる。ご、ごめんなさい。」
謝る文子に、こと葉はそっとペーパーナプキンを渡す。
涙を拭いていると、こと葉がそっと小さな紙を渡した。
「なんですか?これ?」
「『ことばみくじ』です。」
「あなたの未来を拓く言葉だといいですね。」
『迷ってるなら、まずは手を動かせ。』
文子の心が強く動いた。
いままでの、言い訳がガラクタのように吹き飛んでいく。
「また書いてみる。」
独り言のように呟く。
こと葉は、しばらく文子の顔を眺め、そっと頷いた。
——長い睫毛の奥の眼差しが、何かを見通しているようだった。
*
カップの中のコーヒーは、少し冷めていた。
文子は最後の一口を飲み干し、席を立つ。
「ごちそうさまでした。おいくらですか?」
「うちは、珈琲のお代の代わりにこれを書いてもらっています。」
「え?」
「次に来る方のために、文子さんの言葉を。」
「じゃあ、さっきの『ことばみくじ』も?」
「そうなんです。あれは、クロさんっていう大工さんに書いてもらいました。」
「大工さんが?確かに、書きそう!」
文子はなんだかうれしくなった。
こと葉から、『ことばみくじ』の白紙とガラスペンを渡される。
少し考えてから、カーマインのインクでこう書いた。
『心の引き出し、開けてみませんか。好きだった気持ちがあなたを待っている。』
「じゃあ、ありがとうございました。また来ます。」
こと葉は、ほんの少しだけ、意味ありげに微笑んで見送った。
*
その晩。
文子の家。
子どもが眠ったあとの静かなリビング。
文子は引き出しの奥から、古いノートを取り出した。
表紙には、子どもの字で自分の名前が書かれていた。
ページの途中、ビリリと破かれた跡。
震える指で、セロハンテープを取り出す。
そっと、破れた部分を貼り合わせる。
何年も触れなかった傷跡が、少しずつ閉じていくような気がした。
「ママ、なにしてるの?」
声に振り返ると、子どもが眠そうな目で立っていた。
「ママね、お話づくりをするの。」
子どもはしばらく考えて、にこっと笑った。
「ママのおはなし、ききたい!」
文子は子どもと一緒に、ノートのページをめくり始めた。
了
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いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。
物語があなたの癒しになれば幸いです。
チップはご無用です。一緒にドキドキしてくれた思いを伝えてくだされば・・・。それがうれしいです。