ようこそ!フォーチュンカフェへ #3 君がいてくれてよかった 【前編:彼のことば】~グアテマラ×ミントロースト~
珈琲と古本の香りがまじりあう、不思議なカフェがある。
名前は〈フォーチュンカフェ〉。
扉をくぐると、誰かの言葉があなたを待っている。
それは、偶然か、運命か。
「本日のおまかせ」を味わいながら、ふと胸に引っかかっていた言葉が、思いがけずよみがえるかもしれない。
小さな一言が、忘れかけた気持ちにそっと触れたとき、
未来は、少しだけ違うかたちで動きはじめる。
*
本日のひとこと:『どんなに小さなものでも、未来を変える力がある』
看板をじっと見つめ、吸い寄せられるように、彼の足は止まっていた。
駅前通りから一本外れた、路地の先。
「小さいってのは、僕のことか?」
昼下がりの空気に溶けるような、かすれた声だった。
自嘲気味に笑い、ドアを開ける。
カラン、と鈴が鳴った。
こと葉が顔を上げる。
「いらっしゃいませ。ようこそ、フォーチュンカフェへ」
「なんか、変わった雰囲気の店ですね。」
知也は店内を見渡した。
古い木の棚、並ぶ本、一枚だけ飾られたタロットカード。
「看板の言葉が気になって?」
こと葉にそう聞かれて、少し頷く。
「あれ、『指輪物語』ですよね。」
こと葉の顔が、明るくなる。
「ご存知なんですね。」
「まあ、そうですね。仕事柄。」
「え?お仕事ですか?」
「僕は、古本屋やってるんで。」
「へぇ。古本屋さん。」
「桜堂書店って知ってます?」
「あ!ファンタジー系の古本いっぱい置いてありますよね!」
「親父の代からやってるんですけど、『指輪』に囲まれて育ったようなもので。」
「で、看板の言葉が刺さって・・・ってところですね。えーっと・・・。」
「僕は、内村 知也といいます。」
「知也さんですね。わたしは、こと葉といいます。」
「こと葉さん……。」
「じゃあ、さっそく珈琲淹れますね。」
「え?」
「ここは『店主のおまかせ』なんです。」
「は、はあ」
知也は少し面食らいながら、カウンター席に腰を下ろした。
*
カリカリ。
豆を挽く音がする。
こと葉はちらりと彼の顔を見る。
「焦がしキャラメルと・・・ちょっとだけ、ミント。」
「え?」
「あなたのお顔の味です。」
知也は眉をひそめた。
「僕の顔の味?なにそれ。」
「わたし、人の顔を見ると、その人の『味』がわかるんです」
「え?」
「焦がしキャラメルは、ちょっと苦くて、でも温かい。ミントは、真面目な人が隠してる真っすぐさの味。たぶん、誰かのこと、『悪いことしたな』ってずっと引っかかってません?」
知也の表情が曇る。
図星だった。
「ばれてます?」
「珈琲は、そんな人の気持ちをほぐすんですよ。」
こと葉はミントの葉をすこしだけ指先で潰し、香りを立てた。
「今日のブレンドは、グアテマラに、少しだけミントを加えた特製ロースト。焦がしキャラメルのような深煎りに、ほんの少しだけ新芽の香りをつけてみました。」
カップが目の前に置かれた。
知也はひとくち含む。
やさしくて、苦くて、でも、不思議とすっとする味だった。
「おいしいです。」
「よかったぁ!」
こと葉がにこりと微笑んだ。
*
珈琲を少しずつ飲む知也。
言葉を交わさぬまま、しばし静かな時間が流れた。
すると、
「・・・・『もう来ない方がいい。』って言っちゃったんです」
と知也が切り出した。
こと葉は何も聞かず、ただ頷いた。
「その人が、僕の好きな本の話をとことんできる、初めての人で。」
「『指輪物語』ですね。」
「うん、その人、たまたま店に来て、指輪物語の棚をじっと見てて。気づいたら、二人で話し込んでた。どんどん、話が合って。すごく楽しかった。でも、途中で驚きました。」
「驚いた?」
「彼女、天垣理佳さんだったんです。」
こと葉は目を見開いた。
有名な女優だ。
何本も映画の主役を張っている引っ張りだこの女優だ。
「そりゃ驚きますね。」
「なんか、自分とは違う世界の人だって思ってしまって。話せば話すほど、僕は場違いな気がしてきたんです。結局、『もう店に来ないでください』って。」
言いながら、知也はカップを見つめていた。
「でも・・・ほんとにそれでよかったんだろうか・・・って。」
*
こと葉は黙って、棚の小引き出しから一枚の紙片を取り出した。
「よろしければ、これを。」
「・・・?」
「『ことばみくじ』です。珈琲代の代わりに書いてもらっています。次に来る誰かのために、言葉を残していってもらうんですよ。」
「いろいろ変わった店ですね。」
知也は、苦笑しながら受け取り、紙を広げる。
カーマインのインクの色がすっと目に飛び込む。
『心の引き出し、開けてみませんか。好きだった気持ちがあなたを待っている。』
手が止まった。
指先が、かすかに震える。
「あ、ああ。」
知也の脳裏に、あの夕暮れの記憶が蘇る。
*
桜堂書店に、ふいに差し込んだ夕暮れの光。
その中に、一人の女性がふっと現れた。
「これ、ありますか?」
差し出されたスマホの画面には、『指輪物語』の原書の表紙。
長く店の奥にしまっていた一冊だった。
知也が奥からそっとそれを取り出すと、彼女の目がふわりと輝いた。
「すごい……。ここになければ諦めようと思ってたんです。」
その声に戸惑いながらも、知也は応じる。
「うちはファンタジー系にはちょっと力入れてまして。
『指輪』は……まあ、僕の原点みたいなもので。」
彼女は、嬉しそうに微笑んだ。
「わたしも、小学生のときから大好きで。
世界設定の細かさとか、読むたびに深くなっていく感じがたまらなくて。
何度も泣かされました。」
そう言って、そっと本の背表紙をなぞるように指を滑らせる。
気がつけば、二人は店の隅の椅子に並んで腰掛けていた。
外はとっくに暗くなっていて、照明の下、時間だけが静かに流れていった。
好きなキャラクターの話、旅の描写……。
「ガンダルフの言葉、刺さるんですよね」
「わかります、でも僕はサム推しで」
どちらからともなく、笑いがこぼれる。
ふと、理佳がつぶやいた。
「『君がいてくれてよかった』って、あれ、フロドの台詞でしたっけ。
あれが一番好きなんです。信頼って、言葉で交わすと重たいけど、
あの言い方だと、まるごと伝わる感じがして。」
知也は頷いた。
「僕も、その言葉が一番響きます。」
その瞬間、二人の間に漂っていたものが、静かにひとつに溶けた気がした。
誰かと「同じ物語を語ること」が、これほど心を安らげるなんて。
——あのときの彼女の顔。
ライトの下で、飾らずに笑っていた。
その表情が、いまも鮮明に残っている。
だからこそ、あの一言が、心の奥に今も沈んでいる。
「・・・もう来ないほうがいいです。」
なぜ、あんなことを。
名前を知った瞬間、まるで遠い光になった気がした。
ただ、手を伸ばすのが怖くて、自分から背を向けた。
あの時間が、ずっと続けばいいと思っていた。
けれど、その願いを口にすることさえ、自分には許されていない気がした。
*
「やっぱり僕、好きだったんだ。彼女のこと。」
小さな声だった。
「あんなに、『指輪物語』の話ができる人ほかになかったから。いなくなったら、ほんとうにさみしくて。」
「いつも、僕『指輪物語』の話をすると熱くなりすぎて、結局まわりは引いちゃうんです。でも、彼女は、一緒になって楽しんでくれて。それが本当にうれしかったんです。」
知也は深く息を吐いた。
「僕はなんてこと言ったんだ。」
たぶん、もう彼女は来ない。
あのとき、彼女の目は、なんて言っていたんだろう。
「まだ、大丈夫ですよ。」
こと葉がそっと声を掛ける。
「お互いのことを本当に大切に思っていれば、必ずまたお店に来られます。」
「・・・うん。店で待ってみる。」
「もう一度、彼女が店に来てくれるなら、その時はちゃんと伝えるよ。珈琲ありがとう。」
こと葉が、そっとガラスペンと白紙のカードを差し出す。
「次に来る誰かのために、ことばを残していってください。」
「そうだったね、珈琲代の代わりだったね。」
知也は、しばらく目を伏せていたが、やがて桜色のインクでゆっくりと書き始めた。
『君がいてくれて、よかった。』
そう書いて、カップの横にそっと置いた。
こと葉はそのカードを手に取り、大切そうに見つめた。
「きっと、届きます。その気持ち。」
*
店を出る前、知也は一度振り返ってこと葉に聞いた。
「この店って、偶然入るもんなんですかね?」
「偶然か、運命か。それを決めるのは、お客様です。」
こと葉は静かに微笑んで言った。
(了)
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いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。
物語があなたの癒しになれば幸いです。
チップはご無用です。一緒にドキドキしてくれた思いを伝えてくだされば・・・。それがうれしいです。