ようこそ!フォーチュンカフェへ 2nd☕第6話 創作の炎 ~コスタリカ・ラ・カンデリージャ(ハニー)~
書くたびに揺らぐ小さな火は、まだ消えてはいなかった。
フォーチュンカフェの一杯が、その火にそっと息を吹き返す。
十一月最後の土曜日。
昼までは日差しがあったのに、午後になると急に空気が冷えこんできた。
フォーチュンカフェ号がとまっている、市役所前の〈ふれあい広場〉では、冬の寒さが足元から這い上がってくるようだった。
ふれあい広場のそばにある図書館から、堀内文子は娘の瑠美と一緒に手をつなぎながら出てきた。
「ふぅ。」
「ママ。今日も読んでね!」
「はいはい。」
読み聞かせをねだる瑠美に微笑みを見せながらも、文子の心は曇っていた。
その曇りを吐き出すかのように、手に息を掛けた。
吐く息が白い。
指先がかじかむ。
「寒いね。」
娘に聞こえるか聞こえないかの声で、そっとつぶやく。
*
すると、娘が少し先のふれあい広場の端を指さした。
「ママ、あれ……可愛いね。」
小さな白い車体。
カエルのような目玉に見えるライト。
広い市役所前の広場には、不釣り合いな小ささ。
だがそのアンバランスさがかえってかわいらしさを際立たせていた。
「なんだろうね?」
文子は、そばに近づいてみた。
香ばしい珈琲の匂いがだんだんと濃くなってくる。
(カフェ?)
文子の頭の中に、昔出会った不思議なカフェのことがよぎった。
(え?)
——〈Fortune Café〉。
看板にはそう書かれている。
(フォーチュンカフェって……。)
文子の心が、大きく波打った。
以前たった、一度だけ訪れた場所。
だけど、心の奥に眠る“書く火”を思い出した場所。
あの時の、エチオピアとコナのブレンドが鼻の奥に蘇る。
瑠美の手を、ぎゅっと握り締めた。
「行ってみよっか。」
娘の手を引きながら近づいていくと、こと葉が顔をあげた。
文子を見た途端、ターコイズブルーの瞳が親しみで揺れた。
「あら、文子さん……ようこそ!フォーチュンカフェへ。」
文子は、偶然に驚きながら尋ねる。
「こと葉……さん?これって?」
「あ、お店、雨漏りしちゃって、今、クロさんに直してもらってるんです。その間は、こうやってミゼちゃんと一緒に旅をしています。」
“クロさん”
その名前も、文子は覚えていた。
『迷ってるなら、まずは手を動かせ。』
文子が、小学校以来やめていた、「物語を書く」こと。
それを、後押しをしてくれた『ことばみくじ』を書いた大工さん。
顔は知らない。
だが、文子が変わるきっかけをくれた人だ。
「そうそう、クロさんのお弟子さんの修一さんです。師匠の最終試験で、このミゼちゃんの改良をしてくれてるの。」
こと葉が嬉しそうに紹介する。
車の横のカウンターを修理しているのだろうか。
工具を持った若い男性が、こちらをちらりと見て会釈をした。
「ミゼちゃん?」
「そうなの、文子さん。この、フォーチュンカフェ号の名前。名前がついていると、もっと相棒感があるでしょ。」
「相棒感ですか……。」
嬉しそうに話すこと葉。
相変わらずの独特の雰囲気。
だが、文子は心の中が少し軽くなったような気がした。
*
「文子さん、またお出会いできたのも何かのご縁です。一杯いかがですか?」
「はい。お願いします。」
文子は、躊躇しなかった。
(きっと、ここで、こと葉さんに出会えたのは運命だ。)
「じゃあ、文子さんは私の“おまかせ”で。お嬢さんは何がいい?」
「あたし、ココア!」
無邪気に注文する瑠美。
「ありますか?」
おそるおそる尋ねる文子。
「ありますよ。少々お待ちくださいね。」
*
珈琲ができるまでの間、文子と瑠美は作業をしている修一の様子を見ていた。
カウンターの横で、工具箱から工具を取り出し調整している。
しばらくすると、朴訥そうな修一の声が響いた。
「こと葉さん、カウンターの改良できました。」
「ありがとう!修一さん。で、どこが変わったの?」
「前はカウンターの高さが変えられなくて、小さい子が取りにくそうだったので、誰でも手が届く高さにできるようにしてみました。」
「これって、高さが変えられるの?」
「そうです。前とは違って、高さは場所に応じて変えられるようにしています。」
「すごい!修一さん。これお客さん使いやすいと思います。」
絶賛すること葉に、無言で頭を掻く修一。
修一は、口下手なようだが仕事はできるようだ。
(“クロさん”のお弟子さんか。)
文子は修一の手をじっと見つめた。
『迷ってるなら、まずは手を動かせ。』
また、クロさんの『ことばみくじ』が文子の頭の奥で響いた。
(確かに、手を動かさなきゃなんだけど……。)
何かに迷うような文子を、こと葉のターコイズブルーの眼差しが優しく見つめていた。
*
「……文子さん。今日は“彷徨い味”のお顔をされていますね。」
「さまよい……味?」
文子が首をかしげる。
「はい。自分の本当の気持ちが見えなくなって、あちこち探しているときに出るお顔です。」
文子は思わず苦笑した。
(さすがね。)
図書館を出てから、胸の奥がずっとざわついていた。
それを、前回と同様、またこの女店主は見抜いたのだ。
こと葉は、カウンター奥の棚からとっておきの豆を取り出した。
袋の口を開けた瞬間、甘くてやわらかい香りがふわりと広がる。
「今日のおまかせは……コスタリカ・ラ・カンデリージャの“ハニー”です。」
「ハニーって……蜂蜜?」
「いえ、果肉の甘さをそのまま残した製法なんです。やさしくて、心の奥をそっと温める香り。迷っているときほどこの甘さが心を落ち着かせてくれますよ。」
こと葉の瞳は、文子の表情を確かめるように優しく輝いた。
湯を注ぐと、柑橘と花のあいだのような甘い香りが立ちのぼり、狭いカフェ号の空気が柔らかく満ちていく。
やがて、白い紙コップが文子の前に置かれた。
そして、すぐ横で見上げていた娘には——可愛らしい小さなカップに入った、少し薄口だが、温かいココアが渡された。
「はい、どうぞ。ココアはちょっと熱いかも。ゆっくりね。」
娘は嬉しそうに手を伸ばした。
それから一瞬、視線がさまよう。
「……ママ、あたし、すわるところない?」
あたりには、大人用の大きさの椅子しかない。
立ったままココアを持つ小さな瑠美には、動かしにくく、高さも使いにくそうだった。
文子も、はっとしたように言った。
「あ……ほんとだ。飲みづらいよね。」
そのとき。
工具箱を持っていた修一が、
ゆっくり振り返った。
修一は、そっと瑠美のココアを持った。
瑠美を支えて、文子の横の椅子に座らせる。
「お兄ちゃん、ありがとう!」
嬉しそうにお礼を言う瑠美。
「そっか、子どもが座る場所……。あるといいですよね。」
こと葉は、申し訳なさそうだ。
「いえいえ、大丈夫ですよ。すみません気を遣っていただいて。」
瑠美は、合わない椅子の前の方に腰掛け、ココアをこぼさないようにぎゅっとカップを抱えてココアを口にした。
「おいしい!」
嬉しそうに文子に伝える瑠美を、修一は無言で見つめていた。
瑠美の手元、
スツールの高さ、
文子の困った表情——
その全部を、順番に眺めた。
(子どもが“座れる場所”……か。)
修一の頭の中に、アイデアが浮かび上がってきた。
*
文子は、コスタリカ・ラ・カンデリージャをひと口ふくんだ。
甘さがゆっくりと喉を通ったところで、思い切って口を開いた。
「……こと葉さん。わたし、ずっと勘違いしてたんです。」
「勘違い?」
「ファンタジーが好きだから、上手く書けると思ってた。でも……違いました。」
文子は、カップの湯気の向こうに、自分の“創作の痛み”を思い出していた。
「頭の中には“こう書きたい物語”があるんです。でも書くと、全然違う。自分の文章が、不器用すぎて……。」
ふっと苦笑する。
「書いてると“違う”って思って直して、直したら“これも違う”ってなって……
いつまでたっても終わらないんです。泣きたくなるくらい。」
瑠美が心配そうに文子を見上げている。
「書き終わったらほっとするのに、すぐに『これでいい?』って不安になるんです。」
文子は小さく息を吐く。
「主人には書いていることは言えてないんです。“お前が小説?”って笑われるの……怖くて。」
文子は続けた。
「……でもね、そんな中で一つだけ当たった作品があって。」
こと葉が目を瞬かせる。
「当たった?」
「はい。小説投稿サイトで、偶然バズったんです。“いいね”が増えて、“続きが読みたいです”ってコメントもついて。あのときだけは……自分でも、ちょっと“書けてる気”がしたんです。」
そう言いながらも、文子の顔は沈んでいく。
「その勢いで……創作大賞に出したんですけど落ちました。一次にもかすりもしなかった。」
「バズった一瞬で“いけるかも”なんて思って。でも大賞には全然届いてなくて。いま思い返すと……あれは“勘違い”だったんです。」
こと葉のターコイズの瞳が、静かに輝いたように見えた。
「やめたくなるんですよ。ほんとに。でも……やめると今度は苦しくて。」
文子は、ふっと笑って言った。
「書いてるときがいちばんつらいのに、書き終わった瞬間がいちばん幸せ。……どうしようもない趣味ですよね。」
*
こと葉は、自嘲する文子を優しく支えるように言った。
「文子さん。
バズった火も、大賞に落ちた影も……
どちらも“外から照らした光”です。
外の光は、当たったときは眩しいけれど、少し角度が変わればすぐに消えてしまいます。
でもね——本当に人を動かす火って、“外”じゃなくて、“内側”にあるんです。
文子さんがさっき話していた痛みも迷いも、本当は全部、“燃やしたい相手”がいる証拠ですよ。」
こと葉は瑠美に視線を向け、やわらかく微笑む。
「そして……
文子さんの火はもう、
だれに向けて燃えるべきか、
ちゃんとわかっています。
文子さんの心の赴くままに。
『Tu, was du willst——汝の欲することをなせ』ですよ。」
『Tu, was du willst——汝の欲することをなせ』
文子が大好きな、「はてしない物語」の一節。
その言葉が、文子の心の内に立ち込めていた暗雲に一筋の光を射した。
顔を上げて、こと葉を見る。
こと葉は優しく微笑んでいた。
*
珈琲を飲み終えた文子に、こと葉が小さな紙片を差し出した。
「今の文子さんに必要な言葉だといいですね。」
文子はゆっくりと広げる。
濃い蜂蜜のような黄色のインク。
『大事な人が笑顔になる物語の“火”は、あなたの奥にある。』
「大事な人……。」
文子は、瑠美の方をそっと見つめる。
(そうだ、私は誰を喜ばせたかったんだろう?
SNSの見えない人?
そうじゃない、この子だ。
私はこの子が喜ぶから、物語を書きたいと思った。
この子のためなら、迷うことは全然苦じゃない。
私の欲することは、この子が喜ぶ物語を書くこと。)
心の中の暗雲に、光の槍がどんどん突き抜けていく。
図書館を出た時の、暗い気持ちはどこかに行ってしまった。
「瑠美、どんなお話が読みたい?」
文子に唐突に聞かれた瑠美はきょとんとしながらも、
「ママ、わたし、女の子が冒険するお話よみたい。」
そのひと言で、文子の胸の奥に、うずもれていた小さな炎がはっきりと見えた。
*
文子は、タブレットを取り出し、
小さなテーブルに置いた。
忘れないうちに出だしだけでも。
そう思う指先はもう、迷いがない。
瑠美が、ワクワクした目で見つめている。
「ママ、どんなお話?」
文子は微笑んで答えた。
「“秘宝『心の炎』”っていう宝物を探す女の子の冒険のお話。」
瑠美は「こころのほのお?」と目を輝かせる。
「そう。でもね、その宝物は——。」
文子はタブレットのキーボードに指を置き、一気に打ち込む。
【秘宝『心の炎』を探せ ミリアの大冒険】
むかしむかし——
この世界には、だれの胸の中にもあたたかくゆれる “心の炎” がありました。
ところがある日、空がどす黒くにごり、世界から 心の炎 がすぅっと消えてしまったのです。
世界をおさめる賢者は、こう告げました。
「失われた心の炎は、『遠き森』の奥にある“秘宝”となって眠っている。 だれか、それを探してきてくれないか。」
人々はみんな怖がって行きたがらず、
炎のない世界はどんどん暗くなっていきました。
そんな中——
ひとりだけ、勇気を出して手を上げた子がいました。
名前は ミリア。
「わたし、探しに行きます。」
娘が小さく声を漏らす。
「……ママ、面白そう!」
「ありがとう。続きを書くね。」
文子は嬉しくてたまらない気持ちで頷いた。
「そのお話……きっと、“これから書きたい人”の背中も、そっと押しますよ。」
「え?」
文子は思わず聞き返した。
だが、こと葉はただ静かに微笑んでいるだけだった。
ミゼちゃんのライトが揺れ、フォーチュンカフェの空気はやさしい甘さに満ちていた。
*
その夜。
文子の部屋の窓の向こうには、
十一月の冷えた風が静かに流れていた。
机の上のタブレットには、書きかけの〈秘宝「心の炎」を探せ〉の一行目が、光っているように見えた。
瑠美に第一章を聞かせると、大喜びしていた。
「また書いてね!」
と続きをねだりながら、いつの間にか文子の膝の上で眠っていた。
文子は、瑠美の寝息とタブレットの薄い光を見つめながら思う。
——ああ。この炎は、ちゃんと届いた。
文子の心に、新しい創作の炎が立ち昇るのが分かった。
*
フォーチュンカフェ号は、市役所前からゆっくりと移動していく。
ミゼちゃんのライトが、夜の道に光の線を描いていった。
見えないどこかの窓辺では、
今もひとり、画面の前で言葉を探している人がいる。
書きたいのに書けない人。
書きかけのまま止まっている人。
まだ書く勇気を持てないまま、
そっと胸に火を抱えている人。
文子が再び灯した炎は、
そんな見知らぬ誰かの夜の中にも、
かすかな光として漂っていく。
——どうか、届きますように。
まだ言葉を探しているすべての人へ。
あなたの中の炎が、
そっと息を吹き返しますように。
十一月の冷たい夜に、小さな炎がひとつ、またひとつ――
静かに灯りはじめていた。
(続く)
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いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。
物語があなたの癒しになれば幸いです。
チップはご無用です。一緒にドキドキしてくれた思いを伝えてくだされば・・・。それがうれしいです。