日本円の臨終は近いのか
※本稿は経済情勢に関する分析であり、特定の投資行動を推奨するものではない。具体的な資産配分の判断は、各自のライフステージ・リスク許容度・必要資金等を踏まえて、必要に応じて専門家にも相談されたい。ただし「現状は深刻だ」という認識は、財務省自身の試算、日銀のバランスシート、長期金利の動向、為替介入の効果劣化、そして歴史的前例——すべての客観的データと整合する事実である。本稿の論旨に違和感を覚えるなら、その違和感こそが、最も警戒すべき認知バイアスである可能性が高い。
はじめに
2026年5月18日、日本の長期金利が2.8%に到達した。1996年10月以来、約29年半ぶりの水準である。同日、株安・円安・債券安の「トリプル安」が発生した。これは新興国の通貨危機の前夜にしばしば見られるパターンであり、先進国でこれが起きること自体が異例である。
そして同じ時期、為替介入の効果は明らかに劣化している。直近の介入は10兆円規模を投じてわずか5円程度しか円を押し戻せず、しかも1ヶ月足らずでほぼ元の水準に戻ってしまった。過去最大規模の弾薬を投入して、この程度の効果しか得られない。
金利、為替、財政——これらは別々の問題に見えて、実は一つの構造の異なる側面である。本稿では、この三つを一つの絵として描き直し、日本円という法定通貨が直面している危機について考えてみたい。
結論を先に言えば、私は日本の財政・通貨が「健全に着地する」可能性は極めて低く、何らかのエポックメイキングな出来事——ハイパーインフレ、財産税、預金封鎖、あるいはそれに準じる強権的措置——を経由して処理される可能性が現実的に視野に入ったと考えている。「もしかしたら」ではなく、「いつ・どの形で」を議論すべき段階に入ったというのが本稿の立場である。
介入の効果劣化——シャブ中毒の構造
過去数年の主な円買い介入と、その効果を並べてみる。
2022年9月、2.8兆円を投じて約5円押し下げ、効果持続は約1ヶ月。2022年10月、6.3兆円で約7円押し下げ、効果は数ヶ月(ただしこれは米国の利上げ転換と重なったためで、純粋な介入効果ではない)。2024年4-5月、過去最大の9.8兆円で約6円押し下げ、回復に約2ヶ月。そして直近、約10兆円規模を投じて約5円押し下げ、回復はわずか1ヶ月足らず。
投入金額あたりの効果で見ると、2022年9月は1円を押し戻すのに約0.56兆円で済んだものが、直近は約2兆円必要になっている。効率は3〜4倍悪化した。同じ量の薬を打っても、得られる効果がどんどん小さくなっている。
これはまさに薬物耐性の構造そのものだ。経済政策の世界では "policy addiction" や "diminishing returns of intervention" という言葉が実際に使われる。比喩としてではなく、メカニズムとして、為替介入は薬物依存と構造的にパラレルである。
耐性。同じ効果を得るのに、より大量の資金が必要になる。市場が介入を予測・織り込み済みにすることで、サプライズ効果が消える。
用量増加。2.8兆円から始まり、6.3兆円、9.8兆円、10兆円と、規模が膨らみ続けている。次の介入は15兆円か、20兆円か。だがそれを打っても、市場の戻りは更に早くなる可能性が高い。
離脱症状。介入を止めれば即座に円安が加速する。介入なしでは均衡が保てない依存状態。
根本治療の回避。本来必要なのは日銀の本格的な利上げ、財政規律の回復、構造改革という「断薬と治療」だが、痛みが大きすぎて踏み切れない。代わりに対症療法を繰り返している。
そして最終的には、薬物耐性が極限に達したときと同じ運命が待っている。オーバードーズか、痛みを伴う断薬か、そのいずれかしかない。そして日本の場合、すでに断薬は構造的に不可能になっている。残されているのはオーバードーズへの道だけかもしれない。
なぜ介入が効かないのか
効果劣化の理由は複合的だ。
第一に、市場の学習効果。介入は1回目こそ驚きで効くが、繰り返されるほど「結局戻る」という期待が織り込まれ、押し目買いの動きが早く厚くなる。今や為替市場参加者は「介入=絶好の押し目」として完全に学習し終えている。介入が逆にチャンスを提供してしまう構図に陥っている。
第二に、外貨準備の構造的限界。日本の外貨準備は約1.2兆ドルで世界トップクラスだが、即座に介入に使える流動性ドル資産は推定2,000〜3,000億ドル程度。残りは米国債等で、売却には市場インパクトを伴う。10兆円規模の介入を年に数回打てば、3〜5年で実弾が見えるレンジに入る。「いつ弾切れになるか」を市場が逆算できる段階に既に入っている。そして弾切れが見えた瞬間、攻撃側にとっては絶好の好機となる。
第三に、ファンダメンタルズの非対称性。介入は需給に一時的なショックを与えるだけで、円安の根本原因である日米金利差、貿易赤字の常態化、デジタル赤字(年間6兆円超で拡大中)、構造的な対外投資フローには何も作用しない。川の流れに石を投げ込んでも流れは止まらない。しかも川の流量は、年々増えている。
第四に、そして最も重要なのが、金融政策の縛りである。本来、通貨防衛の王道は金利引き上げである。だが日銀はそれができない。理由は次の章で詳述するが、要するに利上げをすれば財政が即座に崩れるからだ。手足を縛られた状態で為替だけ守ろうとしている。これは構造的に無理ゲーである。市場はこの「無理ゲー」を完全に見抜いている。
金利2.8%という現実——財政の臨界点
2026年5月、長期金利が29年半ぶりの2.8%に到達したことは、単なる債券市場のニュースではない。これは日本財政の臨界点が既に踏み込まれつつあることを示す警鐘である。
財務省自身が2026年4月17日に公表した試算が衝撃的だ。長期金利が大きく上昇するケースを想定した場合、国債利払い費は2026年度の約14兆円から、2035年度には45.2兆円に膨らむ——10年で3倍超になる。これは現在の防衛費(約8兆円)の5倍以上、消費税収(約23兆円)の2倍に相当する。
そして重要なのは、これがまだ「マイルドなシナリオ」だということだ。財務省試算は政策的に「市場を驚かさない」範囲で組み立てられている。実際には、より深刻なシナリオを想定すべきである。金利水準ごとに何が起きるかを分解してみる。
金利1.5〜2.0%レンジ(既に通過):利払い費は年20兆円前後。防衛費・教育費・科学技術予算といった政策経費を圧迫し始める。財政硬直化が進む。
金利2.5〜3.0%レンジ(現在のゾーン):利払い費は年30〜40兆円規模に向かう。一般会計予算(約115兆円)の3割を利払いが占める異常事態。新規政策の余地がほぼ消える。歳出削減や増税の議論が政治的に不可避になるが、これが景気を冷やしてさらに税収を減らす負のループに入る。
金利3.5〜4.0%レンジ(危険水域):利払い費が50兆円超。所得税収(約22兆円)と消費税収(約23兆円)を合わせても利払いに届かない計算になる。新規国債発行の大半が借換と利払いのためだけに使われる状態。市場は「日本は利払いのために借金している」と認識し、信認低下が加速する。ここで国債入札が札割れし始める可能性が高い。
金利4.5%超(破綻ゾーン):利払い費が60兆円超。税収全体(約75兆円)の8割が利払いに消える。これは構造的に維持不可能で、何らかの「劇的な処方箋」——日銀による国債買い切り強化(事実上の財政ファイナンス)、預金封鎖と財産税、金融抑圧、デフォルトに準じる債務再編、急性インフレによる債務減価——のいずれかが発動せざるを得ない。
そして問題は、金利上昇は連続的ではなく、不連続にジャンプし得るということだ。市場の信認が崩れた瞬間、金利は2.8%から4%、5%へと数日で跳ね上がる可能性がある。1992年の英国、1997年のアジア、2010年代初頭のギリシャ・イタリア・スペイン——いずれも同様の不連続な金利急騰を経験した。
現在の2.8%は、既にその不連続ジャンプの引き金圏内に入っている可能性がある。
なぜ日本は他国より圧倒的に脆弱なのか
同じ金利水準でも、日本が他国より構造的に苦しい理由がいくつもある。
第一に、債務残高の規模。政府債務GDP比は200%以上でG7断トツの最悪、世界でも例を見ない水準。米国(約120%)、ドイツ(約65%)と比べても格が違う。歴史を見ても、平時にこの水準の債務を抱えた国は事実上存在しない。戦時の英国(戦後250%超)が最も近い前例だが、それすら金融抑圧で数十年かけて処理された。
第二に、債務の借換構造。日本国債の平均残存年限は約9年だが、毎年莫大な額の借換が発生する。一度に全部高金利に置き換わるわけではないが、金利上昇は数年かけてじわじわ利払い費に効いてくる。今2.8%の金利は、4〜5年後の利払い費に確実に反映される。逃げ場がない。仮に明日から金利が下がっても、すでに発行された高金利債券の負担は10年単位で残る。
第三に、日銀のバランスシート問題。日銀は国債発行残高の約半分を保有している。金利上昇は日銀の保有債券の評価損を拡大させ、既に債務超過リスクが指摘されている。中央銀行が債務超過に陥った国の前例はあるが、その規模で世界最大の規模になる。中央銀行の信認毀損は、通貨の信認毀損に直結する。そして日銀が国債を売れば金利が更に上昇するため、出口戦略そのものが封じられている。日銀は事実上、永遠に国債を抱え続けるしかない。これは「事実上の財政ファイナンス」が恒久化することを意味する。
第四に、成長率の低さ。財政の持続可能性は「金利-成長率」で決まる。米国は名目成長率5%程度あるので名目金利5%でも何とかなるが、日本は名目成長率2%前後。金利が成長率を上回る局面が常態化すると、債務GDP比は雪だるま式に増える。これが2.8%の金利が日本にとって致命的な理由だ。日本はすでに金利が成長率を上回るゾーンに入った。
第五に、人口動態の絶望的な悪化。日本は世界で最も速いペースで高齢化が進行し、生産年齢人口は減少を続けている。社会保障費は毎年自動的に膨張し、税収基盤は縮小していく。これは政策で変えられない、純粋な人口学的事実である。今後30年、日本の財政は「黙っていても悪化する」軌道に乗っている。
第六に、為替への波及。金利上昇→国債価格下落→金融機関のバランスシート毀損(地方銀行・生命保険会社は国債を大量に保有)→金融不安→円売り、というルートがある。あるいは「日本財政懸念」自体が円売り材料になる。財政と通貨が同時に攻撃される構造にあり、どちらかを守ろうとすると他方が崩れる。
第七に、政治的決断能力の欠如。歳出削減も大規模増税も、現在の政治構造では実行困難である。政権が変わっても、構造は変わらない。短期的痛みを伴う改革に踏み切れない政治システムは、最終的に「市場による強制的な改革」を受け入れざるを得なくなる。自主的な財政再建のウィンドウは、すでに閉じつつある可能性がある。
日銀の詰み——なぜ利上げできないのか
ここで一連の構造が一本の線でつながる。
なぜ日銀が本格的な利上げに踏み切れないのか。なぜ円安を放置せざるを得ないのか。なぜ介入というドラッグでしのぐしかないのか。答えはすべて同じだ。金利を上げると財政が崩れるからである。
利上げで円を守ろうとすれば、利払い費が膨張して財政が破綻する。財政を守るために金利を抑え続ければ、円が崩れる。これが構造的な詰みだ。日銀は、為替と財政の両方を同時に守ることができない。そして両方を同時に攻撃された場合——それこそ現在の状況だが——どちらも守れない。
つまり「シャブ中毒」の本質は、患者の意志の弱さではない。本来の処方箋である利上げが、もはや使えない手段になっているという構造的な詰みである。患者は、薬を抜けば心臓が止まり、薬を続ければ別の臓器が壊れる、という詰みの状態に入っている。
そして市場は、この詰みの構造を完全に見抜いている。だからこそ介入が効かなくなり、長期金利が上昇し、円安が止まらない。市場の動きは「日銀には選択肢がない」という認識の表明である。日銀は既に通貨と国債市場の主導権を失いつつある。
投機筋アタックという最悪のシナリオ
ここで懸念すべきは、当局が自然に弾切れになる前に、投機筋が一斉攻撃を仕掛けてくる可能性である。そして私は、これが「あるかないか」ではなく「いつ来るか」の問題だと考えている。
ヘッジファンドが動く条件は揃いつつある。当局の弾の見通しが立つこと、当局の意思の弱さ(守る気はあるが守れない)、トリガーとなる材料(金利急騰、ホルムズ危機、財政懸念、政権の不安定化)、相対的に攻撃しやすい通貨であること——どれも該当する。
1992年9月16日、ブラックウェンズデー。ジョージ・ソロスは100億ドル規模のポンド売りポジションを構築し、イングランド銀行は270億ポンドを使い切り、最終的に1日で利上げを2度(10%→12%→15%)行ったにもかかわらず防衛に失敗した。英国はERMから離脱、ソロスは1日で10億ドル超を稼いだ。
当時のイングランド銀行も「ERM残留を望むが本格的利上げはできない」という同じジレンマで攻撃された。日本の今と構造が酷似している。違いがあるとすれば、英国にはERM離脱という制度的逃げ道があったが、日本には同様の逃げ道がないことだ。そして英国の債務GDP比は当時40%程度で、現在の日本の6分の1だった。日本が同じ攻撃を受けた場合の被害は、桁違いに大きくなる。
現代のヘッジファンド全体の運用資産は4兆ドル超で、当時とは桁が違う。協調した動きが起きれば、日本の外貨準備でも防げない規模の売り浴びせは技術的に十分可能だ。1997年のアジア通貨危機国も、ロシア、トルコ、アルゼンチンも、同じ経路で煮え湯を飲んだ。
そして重要なのは、国債と通貨が同時攻撃される可能性である。投機筋は円売り+国債空売り+日本株空売りという「ジャパン・ショート」のトリプル・ポジションを組める。攻撃が始まれば、為替・金利・株価が同時に崩れる。日銀は介入で円を守れば国債が崩れ、国債を守れば円が崩れる。選択肢のないジレンマに追い込まれる。
歴史的に、こうしたトリプル攻撃を受けて無傷で済んだ国は存在しない。
ホルムズ海峡という追い討ち
そして現在、もう一つの巨大なリスクが進行中である。ホルムズ海峡危機だ。
世界の海上輸送原油の約20〜30%、LNGの約20%がここを通過する。日本の中東依存度は原油輸入の約9割という極めて高い水準にある。一次エネルギー自給率約11%、食料自給率(カロリーベース)約38%という構造の国にとって、ホルムズ封鎖は単なる地政学イベントではなく、生活そのものを直撃する事態である。
そしてホルムズ危機は、すでに上で論じた構造に直接火を注ぐ。原油・LNG価格の高騰はインフレを押し上げ、それが長期金利の上昇圧力となる。実際、5月18日の金利2.8%到達の背景にも、ホルムズ情勢への懸念があったと報じられている。
円安と資源高は相互に増幅する。円安→輸入物価高→経常赤字拡大→さらなる円安。一方で投機筋の攻撃→当局の介入→外貨準備減少→介入余力低下→さらなる攻撃。そしてこの両方に、財政懸念→金利上昇→さらなる財政悪化、というスパイラルが加わる。
それぞれは管理可能でも、同時に進行すると制御不能になる。そして今、日本はこの三つのスパイラルがすべて同時に進行している局面にある。これは1973年の石油危機、1997年のアジア通貨危機、2010年のギリシャ危機を上回る、複合的な圧力である。
仮にホルムズが本格封鎖されれば、日本のインフレ率は容易に5〜10%超に跳ね上がる可能性がある。その時、日銀は利上げで対応すべきだが、財政の縛りでそれができない。インフレが加速する中で利上げできない中央銀行——これは新興国型の通貨危機の典型的な前夜である。
日本破綻のリアルなシナリオ
ここで、「日本破綻」を具体的に描いてみる。これは予測ではなく、構造から論理的に導かれる起こり得るシナリオである。
シナリオA:金融抑圧型の「静かな破綻」
日銀は事実上の財政ファイナンスを継続し、金利を人為的に低く抑え続ける。インフレ率は3〜5%で持続するが、預金金利は0.5〜1%に据え置かれる。実質金利は恒常的にマイナス。
国民の預金は名目では減らないが、実質購買力は年3〜4%ずつ削られていく。10年で約3割、20年で約5割の購買力が静かに消える。これは第二次世界戦後対GDP比で250%の政府債務を抱えた英国がとった処理法である。国民は破綻に気づかないまま、貯蓄を失う。
新NISA等の株式投資で資産を増やせる層と、預金しか持たない層との格差は爆発的に拡大する。社会の二極化が極限まで進む。
シナリオB:通貨危機型の「急性破綻」
投機筋のアタック、または何らかのトリガー(地政学イベント、政権崩壊、大震災、金融機関破綻)で、円が急落する。1ドル200円、250円、300円が数ヶ月で進行する。
輸入物価が爆発的に上昇し、インフレ率は10〜20%に達する。日銀はインフレ抑制のために利上げを強いられるが、その瞬間に財政が崩れる。国債入札が札割れし、長期金利が5%、7%へと跳ね上がる。
政府は緊急措置として、預金引き出し制限、外貨送金規制、財産税、新円切替などを順次発動する。1946年の戦後新円切替・財産税の現代版である。家計金融資産2,200兆円のうち、現預金1,100兆円の相当部分が事実上の徴収対象となる。
預金封鎖と財産税は、現代日本では「ありえない」と思われがちだが、1946年に実際に行われた前例がある。当時の財産税率は最高90%。預金は封鎖され、月の引き出し限度額が設定された。新円への強制切替で、旧円は実質的に紙くずになった。同じことを現代の政府ができないと考える根拠はない。法的枠組みは既に存在し、必要なのは政治的決断だけである。
シナリオC:ハイパーインフレ型の「終末的破綻」
最悪のケース。日銀の信認が完全に崩壊し、円が国際市場で「使えない通貨」と認識される。輸入が決済不能になり、エネルギーと食料の供給が滞る。
インフレ率は年率50%、100%、それ以上へと加速する。預金は1年で価値の大半を失う。国民は外貨・実物資産・暗号資産に殺到するが、すでに資本規制で外への退避路は封じられている。
これは戦後直後の日本(1946-49年のインフレ率は累計で約100倍)、ワイマール・ドイツ、近年のジンバブエ・ベネズエラと同じ経路である。日本だけがこのリスクから免れているという根拠は、構造的に存在しない。
どのシナリオが最も可能性が高いか
私の見立てでは、シナリオAが基本路線で、シナリオBが現実的な分岐リスクである。シナリオCは確率としては低いが、何らかのトリガー次第ではゼロではない。
そしてシナリオAとBは、二者択一ではなく連続している。Aで何年か凌いだ後、何らかのトリガーでBに転換する、という経路が最も自然である。日本は既にAのフェーズに入っており、Bへの転換点が近づいているのが現在の局面と読める。
歴史が示す着地パターン
歴史的に、政府債務GDP比が極端に高い国がどう着地したかを見ると、健全な財政再建で抜け出したケースは事実上存在しない。すべて以下のいずれかである。
戦後の英国(債務GDP比250%超)は、長期にわたる金融抑圧でゆっくり処理した。預金者は数十年かけて静かに貧しくなった。
戦後の日本(債務GDP比200%超)は、ハイパーインフレと預金封鎖・財産税で一気に処理した。国民の戦時国債は紙くずになり、家計資産は実質的に没収された。
ジンバブエ、ベネズエラ、ワイマール・ドイツ、近年のトルコ・アルゼンチンは、急性インフレ・通貨崩壊で処理。中産階級は壊滅した。
健全な歳出削減と増税で乗り切ったのは、第二次大戦後の米国くらいで、これは高成長と人口ボーナスという例外的な条件があった。日本にはその条件がない。人口減少と低成長という条件は、米国型の解決を構造的に不可能にしている。
つまり日本の出口は、論理的に絞られる。金融抑圧か、急性インフレか、預金封鎖と財産税か、あるいはそれらの組み合わせである。健全な財政再建のシナリオは、もはや経路として存在しない。
このことは、財務省も日銀も学者も、内心では理解しているはずである。だが公に語ることはできない。なぜなら、それを語った瞬間に市場が反応し、危機が前倒しで現実化するからだ。「語られない真実」として、それは政策決定者の腹の中にだけ存在している。
法定通貨制度そのものの劣化、その中の円
より大きな構図で見ると、これは円だけの問題ではない。
中央銀行が無制限に発行でき、政府の財政赤字をマネタイズし、有事には預金凍結や資本規制をかけられる。この性質は法定通貨すべてに共通する。ドルも、円も、ユーロも、人民元も、構造は同じだ。
世界の中央銀行は3年連続で年間1,000トン超の金を購入しており、World Gold Councilの調査では76%の中銀が今後5年で金保有を増やすと回答している。減らすと答えた中銀はゼロだ。中央銀行が買っているのはゴールドであって、人民元やユーロではない。法定通貨という制度そのものへの不信が、制度の外側にある資産への需要として現れている。
そして長期金利の上昇は、日本だけではなく世界中で進行している。これは「ドル覇権の劣化」を超えて、法定通貨制度全体の構造的劣化が金利市場で顕在化している、と読むこともできる。
その中で円は、最も先に・最も深刻に劣化が顕在化する通貨である。ドルは基軸通貨という特権で延命できているが、円にはその特権がない。日本は先進国で最も早く崩れる国になる可能性が高い。これは悲観論ではなく、ありのままの事実を曲解せずに見れば誰にでもわかることである。
皮肉な話だ。かつて「Japan as Number One」と呼ばれ、世界の工場として君臨し、円高に苦しんだ国が、いま円安と金利上昇と財政膨張に同時に苦しみ、最終的に預金封鎖と財産税で国民の資産を没収するかもしれない。1946年に一度経験したことを、80年後にもう一度繰り返す。80年周期説そのものである。歴史は繰り返す、というより、構造が同じなら結末も同じになる、ということかもしれない。
個人として何ができるか——もはや「投資」ではなく「防衛」
ここから先は、政策論ではなく、生活防衛の話になる。そして「念のため」のレベルではなく、現実的な確率に備えるレベルの話である。
通貨分散。円建て資産の比率を大胆に下げる。新NISAでの全世界株式・米国株式投資は最低限の防衛策(ただし、私個人的にはあまりNISAなどは当てにならないと思っている。日本政府が用意した制度の中にある資金は財産税などが施行されれば容易に没収できてしまうからである)。問題は、ある程度の比率を超えて外貨資産を持たないと、円の減価から守れないことだ。家計金融資産の30〜50%を外貨建てに置く、という水準も、現状を考えれば過剰ではないかもしれない。
実物資産。ゴールドは「制度の外側にある実物」として、通貨危機局面で機能する代表例。物理的に保有できる金は、預金封鎖でも届かない。ただし保管性は高いが移動性に難があり、大量保有には現実的限界がある。
ビットコイン。賛否はあるが、「制度の外側にある数学的実装」として、特に資本規制や預金封鎖といった深刻な局面で機能する選択肢として注目されている。中央銀行が金を買っているのと同じ論理が、個人レベルでビットコインに向かう動きとして表れている。国境を越えて瞬時に移動でき、政府が物理的に没収できないという性質は、シナリオB・Cの局面で決定的な意味を持つ。
国外資産。海外口座、海外不動産、海外証券。資本規制が発動される前に、一定の資産を国外に置いておく選択肢。実行のハードルは高いが、シナリオB・Cが現実化した場合、これだけが資産を守る手段になる可能性がある。
実生活の備え。エネルギー・食料の輸入価格高騰、物流停滞、買い占めパニックに備えた家庭備蓄。最低でも数週間〜数ヶ月分の食料・水・薬・燃料。これは地震対策の延長ではなく、経済ショックへの備えとしての意味を持つ。
そして最も重要なのは、現金(円)の役割の再定義である。日常生活の決済手段としては円が引き続き必要だが、価値保存手段としての円の役割はゼロに近いと考えるべきである。「銀行預金が一番安全」という昭和の常識は、もはや危険な誤解である。預金は守られているように見えて、最も毀損されやすい資産になりつつある。金融抑圧では実質購買力が静かに削られ、シナリオBでは封鎖と財産税の対象になり、シナリオCでは紙くずになる。預金の「安全性」は、戦後の高成長期という特殊な条件下でのみ成立した幻想だった。
時間軸も意識すべきである。シナリオAは既に進行中、シナリオBへの転換点は今後10年以内のどこかで来る可能性がある。10年後では遅い。今すぐ動き始めるべきである。
終わりに——もはや「臨終が近いか」ではなく「どう看取るか」の段階
完全な通貨危機・財政危機までの距離は、まだもう少しあるかもしれない。日本には対外純資産という最大の防御要因があり、国内貯蓄も厚い。明日にも崩壊する、という話ではない(ただし対外資産の大部分は民間の資産であるということは留意しておくべきである)。
だが、確率が低いが影響が極めて大きいリスクは、確率の低さで安心するのではなく、影響の大きさに備えるのが合理的判断である。そして私の見立てでは、ここで論じてきたリスクは、もはや「確率が低い」とすら言えない水準に達している。
長期金利が29年半ぶりの2.8%に到達したという事実、財務省自身が利払い費の3倍化を試算しているという事実、介入の効果が明確に劣化しているという事実、外貨準備に有限性があるという事実、投機筋にとって攻撃しやすい条件が揃いつつあるという事実、ホルムズ危機という追い討ちが進行中であるという事実、日銀が金融政策の自由度を完全に失っているという事実、利上げと財政が両立不可能な詰みの構造にあるという事実、人口動態が解決を構造的に不可能にしているという事実、そして1946年に一度同じ経路を辿った前例があるという事実——これらは観測可能な現実であり、悲観論者の妄想ではない。
「円資産の寿命」という言葉を、「円という通貨が消える」という意味で使うなら大げさかもしれない。だが「円資産だけで生活と財産を守りきれる時代の寿命」という意味で使うなら、その時代は確実に終わりに近づいている。あるいはもう、終わっているのかもしれない。
何もしないこと自体が、現状では最大のリスクテイクである。「日本だから大丈夫」「先進国だから大丈夫」「これまでも何とかなってきた」という安心感は、すべて構造分析の前では崩れる。ジンバブエやベネズエラの国民も、危機の前夜には同じことを思っていた。
通貨の臨終と財政の臨終は、同じコインの裏表である。両方が同時に進行しているのが現在の日本である。臨終は突然来るのではなく、徐々に呼吸が浅くなり、最後に止まる。いま起きているのは、まさにその「徐々に浅くなる呼吸」の段階に見える。そして呼吸が止まる瞬間は、誰にも予測できない。
問うべきは、「臨終は近いのか」ではない。臨終は構造的に確定している。問うべきは「どのような形で看取るのか」、そして「自分と家族の生活を、その看取りの過程でどう守るのか」である。
その日が来てから慌てるのか、来る前に備えるのか。歴史は、慌てた者は失い、備えた者は生き残った、と教えている。1946年の預金封鎖と財産税を生き残ったのは、金や外貨や不動産といった「制度の外側の資産」を持っていた者だった。同じ構造が、今再現されようとしている可能性がある。
備えよ常に。これは大袈裟な煽りではなく、構造から導かれる合理的な結論である。
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