マニキュアのかわりに、歌を 妊娠日記[出産編]
2025年3月5日、帝王切開にて2918gの女の子を出産しました。

出産後は、新しいいのちに出会えてハッピーラッキー幸せい〜〜〜っぱい!
…とはなりませず、きちんと体調を崩し、丁寧にマタニティブルーズの様相をなぞり、一度は絶望の淵を覗きながら、ようやく少し落ち着いて出産後の数日間を振り返ることができるようになりました。
たぶん、通り過ぎると忘れちゃうようなありふれた小さな日々。でも、ちっぽけなわたしにとっては、(苦しかったことも含めて)とても特別な時間でした。
というわけで、これはわたしの人生的メモワール。まだ名前もない小さなあなたが生まれてからの、たった3日間のおはなしです。

出産は、予定帝王切開にて行われました。
これは逆子や体調が理由ではなく、以前同病院にて腹腔鏡下の子宮筋腫核出術をおこなっていたからです。ちなみに当時の時点で、「いずれ出産する際には、帝王切開になる可能性が高いです」と伝えられていました。それが、5年前のこと。余談ですが、この頃は『もうこの先あたし、普通分娩ができないのか…』と、それなりに葛藤したことを覚えています。(※なお術後の経過や状態によっては普通分娩が選択できる場合もあります)
そういうわけで、ある意味「XDay」が決まっていたわたしは、その日まで陣痛が来ないことを緩めに願いながら、夫婦ふたりきりの最後の日々を大切に過ごすことができました。

さて帝王切開の日は、淡々とやってきました。手術自体はそう大きなできごとはなくーーというわけでもないですが、麻酔をかけるまでが20分ほど、胎児の出産まで15分ほど、そして、最後の胎盤の娩出までも15分ほどと、全体として1時間半くらいの経過時間だったと思います。
ちなみに帝王切開手術は部分麻酔なので、手術室の音は全部聞こえていますし、なんならからだの感覚もあります。むしろ痛み「だけ」がない感じで、腹を引っ張られたり押されたりするのもちゃんと分かるのは不思議でした。
術中は、麻酔科のドクターが終始世間話をしてくれていました。きっとリラックスのためなんですが、ご自身のこどもの話や博多の飲み屋の話、果てはB29(エノラ・ゲイ)の空路についてまで(※わたしは広島出身なのでそのあたりの話題に明るいのです)、ずっとおしゃべりしてくれました。そうはいっても怖いし緊張してはいるのですが、終わりの見えない激痛に、場合によっては数十時間のあいだ耐え続けねばならない普通分娩とくらべると、このあたりは(あくまで見かけ上ですが)平和なものだったなと思います。
「はーい、もうすぐ生まれますよ。今からお腹押しますからねぇ」
麻酔科医からの声かけに続いて、ぎゅうぎゅうとお腹のあたりが押されます。すると突然、手術室内に大きな泣き声が響き渡りました。
ーーわあ、…………はじめまして。
「はい午後2時間54分、胎児娩出。生まれましたよ、おめでとうございます。お、ちょうどいいBGMが流れてるね。聴こえる?」
我が子の地球への入場曲は、福山雅治の『家族になろうよ』(オルゴールver.)でした。
さて、夫の待つ病室に戻ったのが夕方頃。部分麻酔なのでおしゃべりもできますし、家族にラインもできます。赤ちゃんとの再会も果たし、あらためて「ほんとに生まれてる」と思ったりして。ただ下半身の感覚は思った以上になく、「足、動かしますね」と言われてひざを曲げられたらしい自分の足が、まるで人形のように見えました。
それから、子宮腺筋症の影響から出血量がかなり多く(通常700〜1000ml程度のところ、2000mlほど出血していました)、貧血になっていることも告げられました。想定内ではありましたが、やはりどんな出産も命がけなんだなと、あらためて無事にいられることにほっとしたりもしました。
ちなみに、5年前の腹腔鏡下手術は全身麻酔だったのですが、どうもわたしは全身麻酔が合わない体質のようで、その後2日間ほど地獄の吐き気に苦しみました。今でもあれは人生でいちばんつらかった2日間で、それを思うと今回の手術は100倍はマシに感じました。痛いのは、仕方ない(切ってるし)。けど、とにかく吐き気だけは本当に絶句するほどつらかったし、夜が明けるのを毎秒毎秒まんじりともせず待ち続けたあの夜のことを思うと、まだ今回のほうが耐えられるような気がしました。
実際、今回の術後でもっともつらかったのは「眠れないこと」で、それはもはや想定の範囲内でした。もちろんからだもつらいのはつらいのですが、痛みは麻酔でシャットアウトされているし、飲水もすでに解禁され、トイレはカテーテルによって自動的になされるので、このときはどちらかというとストレートに「不眠のつらさ」が優勢だったように思います。ひと晩中、ただ右を向いたり左を向いたりするだけの夜が、ひたすらにゆっくり明けていきました。
さて、一睡もできないまま術後1日めがやってきました。まだ全身にあらゆる管が入っているので、ベビのお世話はあとまわし。まずはわたしが、トイレまで自力で歩いて行けるようになることが目標です。
夜中、まったく落ち着かず全身を動かし続けていたこともあり、下半身の麻痺ははやめに復活していました。朝ご飯のおかゆもすべて食べきり、午前中にはトイレまでの歩行もOKに。「うんうん、しっかり回復してるね」というのが、この時点での医療スタッフとわたしの共通認識でした。
そこで、本来はまだやらなくてもよかったベビのお世話を、“試しに”少しだけやってみたりもしました。抱っこの仕方、おむつの変え方、母乳のあげ方、そしてミルクの与え方…。ひとつひとつはそう難しいことではないのだけれど、そもそもおっかなびっくりだし、慣れない手技に少々戸惑います。
でも、まあほら、まだ慣れてないだけだから。
『………あれ?』
思えばこのあたりから、不調の兆しはあったように思います。
夕方面会に来てくれた夫が、帰宅する時間が近づいて来た頃。わたしはようやく、自分の異変に気づき始めました。
なんだか、動悸がするのです。
実はわたしはここ2年ほど、過度な負担がかかったときに過呼吸発作を起こすようになっていました。もともと(そうは見えないと思うんですが)強迫的な性格のうえ、ここ2年ほど人生の激動が続いたことで、からだとこころがついていかなかった部分があったようです。といっても大発作は年1程度なのですが、いわゆるパニック症状と呼ばれる状態に陥りやすくなっていたのは事実です。
で、どうも、「それ」がやって来そうな感じがあるんですよ。
これ、やばい、と思いました。でも、やばいと思うと余計にやばいんです、この症状って。だから、やばい、と思わないよう気をそらさなきゃ、と思うんですが、思えば思うほどに、動悸が激しくなってくるんですね。そしてもう、この、思考がぐるぐるしている状態こそがまさにパニック状態なわけです。ああ、どうしたらいいんだっけ。
ふと頭をよぎるのは、お昼のベビのお世話風景です。
ーーあたし、うまくやれる気がしない。
わたしは実は、絶望していました。ベビの世話をしたことで、いきなり現実を突きつけられたように感じていたのです。これから毎日、あのお世話をやっていくのか。来る日も来る日も?一体、いつまで?
しかも、さらに絶望を色濃くしたのが、自分自身が抱いたベビへの想いでした。
かわいい、と思えない。
あたしはもともと、乳幼児を無条件に「カワイイ」と思えるタイプの人間ではありませんでした。というかむしろ、新生児なんてみんな同じ顔に見えるし(赤ちゃんが集められた部屋を覗いてもどの子が自分の子かわかりません)、それだったら毛の生えたネコやイヌのほうが断然可愛く、なによりも、しゃべれない人間に相手に愛着が湧くこともこれまでほとんどありませんでした。(言い訳ですが、友人のこどもはちゃんと可愛いです。好きな友人が生んだ子なので)
それでも。なんとなく、ぼんやり期待していたのです。さすがに自分のお腹から出てくるのだから、多少は愛情が湧くものではないかと。だって、十月十日も一緒にいたんですよ。さすがのあたしも妊娠後期には「会いたい」気持ちも多少は盛り上がっていましたし、たとえばベビと出会った瞬間の感動が、その後のお世話に自分を駆り立てるのではないか、なんて、能天気に思い描いたりして。
でも。
実際には、出てきたその子を無条件にかわいいとは思えませんでした。わたしにとってベビは「初めて会ったひと」で、むしろあたしはこれからの負担の方を、強く感じていました。自分が幸せにこどもを育てられる未来が、全く見えて来ない。育てられなかったら、どうしよう。そんな自分勝手なことなんてあるだろうか。
自分には、こどもを育てられないかもしれない。
おさまらない動悸、浅い呼吸、強い不安と焦り、気を抜くと今にも過呼吸を起こしそうな恐怖ーーああ、だめだ。
ついにトイレで倒れ込みかけたわたしは、藁にもすがる思いで「すみません、あの、申し訳ないのですが、ちょっと今かなりやばいです」と、助産師さんに声をかけたのでした。
ところで。
わたしが出産した病院は、産婦人科がメインの診療科となっている病院です。もともと妊娠希望だったこともあり、婦人科の治療を産科のある病院でスタートしようと思ったのが6年ほど前だったでしょうか。規模もわりとおおきく、様々な分娩に対応しており、さらには産褥ご飯がかなり美味しいのが嬉しいポイント。そして、病棟スタッフは助産師さんが中心で、出産後の母と子のケアを助産師さんがすべて担っています。

で、あたし今回初めてわかったんですが、助産師さんって…………まじですごい。ほんとにすごい。これまでの人生でたまたまお世話になることがなく、「こどもを取り上げる役割のひとなのかな?」なんて風にぼんやり思っていましたがそれはもう助産師の仕事のほんのひとつで、ありとあらゆる不安がうずまく「ママと新生児」の日々に、でん、と寄り添い続けてくれる心強い存在でした。助産師さんがいなけりゃ、あたしは今回の出産後の数日間はおろか、今後の子育てさえも乗り越えられなかったかもしれません。
「やばいです」というあたしの訴えに、まず師長と副師長が話を聴きに来てくれました。そこでわたしは、今のあたしの現状と、「できれば夫に、もう少しでいいのでここにいてもらいたい」という希望を、なるべく淡々と伝えたーーつもりだったのですが、じっくり話を聴いてくださったふたりから返ってきたのは「よく話してくれたね。つらかったでしょう。今はまずは、なによりもママの回復を優先しましょ」という言葉でした。
このときまでわたしは、(それこそが不調だったことの証左ですが)自分の現状をわかっているようで、全然わかっていませんでした。助産師さんはそんなあたしに、今わたしがどのような状態になっているのかを教えてくれました。
「帝王切開っていっても手術をしてるのだから、そもそも体調は普通じゃないの。出産後ハイになるひとはやっぱり一定数いて、それはホルモンバランスもあるし、麻酔の副作用なんかも絡んでると思う。今は麻酔が効いてて痛みを感じにくいかもしれないけれど、やっぱり痛みによる影響も重なってると思うし、なにより、眠れていないこと、そして貧血もあるなかで、落ち着かなくなるのは当たり前のことよ。おかしなことじゃない」
「まずはママがどうやったら回復できるか、そのことだけを考えましょ。赤ちゃんのことは、そのあとでいいのよ。今は頑張らなくていい。病院にいるあいだはとにかく頼れるだけ頼って。赤ちゃんは元気なんだから、ママの回復、ちゃんと待ってくれるからね」
それでも、もちろんすぐに何かが変わったわけではなかったのだけれど(この日は夫が帰ろうとするとどうしても具合が悪化するため、結局泊まり込みをお願いすることになりました)、この夜ことが、のちのわたしの回復を、じわじわと確実に支えてくれることとなりました。
薬のちからも借りながら眠った翌日。前日と比べてあきらかに具合は良くなったものの、それでもまだまだ体調不良は続いていました。遠方からやって来てくれた両親への最初の言葉が、まさかの「具合悪いんよ…」だったほど。
でも、会う助産師さん会う助産師さんがみんな、「無理しないで」「頑張りすぎないで」「たくさん頼って」と言葉をかけてくれるのです。そして、それぞれの視点から、育児についてのいろんなお話を聞かせてくれました。
わたしは声をかけられるたび、少しずつ弱音を吐きました。そしてときに泣き、ときに一緒に笑いながら、少しずつ少しずつ、自分の状態や自分が思っていたことに輪郭を見つけていきました(実際、こどもを可愛いと思えなかったショックについて言語化できてきたのは、このあたりからでした)。長年心理士をやっていたはずなのにお恥ずかしい限りですが、あたしは「これは単に体調の問題だから、誰かに話したってしょうがない」とどこか思っていたんですね。ところが実際に話してみると、「話すこと(ちゃんと聴いてもらえること)」ってこんなにもちからになるんだと、あらためて深く実感したりしました。
その日の夜。
慣れない授乳を終え、明かりを落とした部屋のなか、ぐずるベビを抱きかかえながらふと視線を落とすと、ベビがじっとこちらを見つめているのが目に入りました。
…といっても、この時期の新生児は視線を自分でコントロールすることさえできず、常にキョロキョロと眼球が動いていますし、そもそも超至近距離しか見えていないので、実際に「あたしを見つめている」わけではないのです。それでも、濡れた黒目が不思議そうにあたしを捉えている、ように見えたその瞬間。
「ああ、会いたかった」
それは唐突に訪れた実感でした。
このしゃっくりも、この手足のじたばたも、あたしはよく知っている。そうか、あなた、お腹のなかでこんな風にやってたんだね。あなたに会いたくて、あたしは頑張ったんだよ。ずっとずっと会いたかった。この世界に生まれて来てくれて、ありがとう。
ーーかわいい。
ベビは………かわいい我が子は、あたしの腕に抱かれながら健やかに目を閉じていきます。いいよ、そのままネンネしてごらん。ああ、そうか、べつに最初から可愛くなくたっていいんだ。こうやって、少しずつ、少しずつ、初めましてからはじめていけばいいんだ。わたしたち夫婦が少しずつ夫婦になっていったように、わたしたち親子だって、少しずつ、少しずつ親子になっていこう。
なんだ、たぶん、大丈夫だ。明日には、わたしはきっと、もっと大丈夫になる。
こうして、一般的に「マタニティブルーズ」と呼ばれるのであろう最初の大波をなんとか越え、といっても今もそのまっただなかにはいて、ふいに涙がこぼれるものの、それでも最初の絶望はゆっくりと影をひそめ、未来への不安を少しずつ抱えられるようになってきました。
お世話はまだまだ慣れないし、夜は長いし、なんで泣いてるかわからないし、泣き声を聞くとあたしまで悲しくなるけれど、でも。まだ母親じゃないあたしと、まだ名前のないあなたとで、明日も一緒に生きていこう。
二度と戻らないかげかえのない日々だったねと、いつかのわたしが笑ってる気がするからーー

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