マニキュアのかわりに、歌を 妊娠日記[妊娠中期〜後期編]
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妊娠22週~28週|変わるもの、変わらないもの
11月に入った。
その少しあと、妊娠中の目標であり壁のひとつでもある、21週(妊娠中には実にいろいろな壁がある。9週の壁、とか、12週の壁、とか)を超えた。
妊娠22週0日めは、万が一胎児にトラブルがあった際に医療的な延命治療が施されるようになる境目だ(これより前は流産となり、延命治療をおこなうことさえできない。たった1日、ずれただけでも)。知らなかったが、妊娠中はつねにこの「胎児を生きたまま世に生み出せるのか」という不安が影のようにつきまとう。安定期に入ったからといって、安心できる日など1日もなかった。だからこそ、22週を超えたとき、それでもほんの少しだけ安堵したのだ。そうか、これからはこの子の命を生かすために、あたし「だけ」じゃない誰かの手を借りられるのかもしれない。
10月にはまだ少々不安定だった体調も、11月に入るとずいぶん凪いだ。それで、これまでは週ごとに出していたバーの営業時間を月のスケジュールとして出し、閉店時間も伸ばした。そして、12月での閉店を決めた。
ここからの2ヶ月間は、とにかく一生懸命はたらいた。体調も安定していたし、まだまだお腹も小さかった。なにより、お客さま相手の商売はやっぱり楽しかった。ときおりみんなでゲラゲラ笑っているときに、お腹のなかから「ぽこん」と蹴られた。それは間違いなく幸福な情景だった。ねぇ、うちの子も会話に参加してるつもりみたいだよ。
一方で、閉店が決まってからときどき投げかけられるようになった、「こども生んだらまた戻って来るの?」という問いかけにはうまく答えることができないでいた。というよりも、『ここに戻って来る』という前提で話をされることが、わたしにとっては不思議で不思議で仕方がなかった。
表面上は「生まれた子の素質次第ですかねぇ」と答えるようにしていた。それもあながち嘘ではなかった。というか、長年、神経発達症を持つこどもたちとばかり接してきたこともあるし、わたしと夫の特性をかんがみてもわたしがいわゆる定型児を生むはずがないという確信は実際にあった。特性を持つこどもの育児がいかに大変か、そしてわたし自身にそのようなキャパシティが整っていないか、そんなことは百も承知だった。
でも、こどものことなんかよりもわたしは、「わたし」が変わってしまう未来を想像することができないでいた。だって、こどもを生んでしまったらもう、「今のわたし」ではなくなってしまうのだ。やりたいことも、やるべきことも、きっとまったく別物に入れ替わる。楽しいと感じることも変わるし、憤るポイントも変わるだろう。使えるお金はぐっと減って、たぶん、付き合う仲間も変わってしまう。それってもはや、今のわたしとは別人じゃないか。どう考えたって「今のわたし」の延長線上に、その「わたし」はいない。
「復活したら、ワイン会やりましょう」
だからそんな言葉をかけられたとき、わたしは思わずハッとした。それは、『お店に戻って来るんですか?』という描けない未来の想像よりも、はるかに現実的で、実現可能性が高く、そして、「今」に対して地続きの提案だった。みんなでワインを飲もう。たとえば、次の夏とかに。
「え…お店やってなくても、会ってもらえるんですか」
当たり前じゃないですか!と、仲良しのお客さまたちが口々に答えた。みんなにとっては当たり前だったのかもしれないけれど、わたしはそれに驚いている自分に驚いていた。それでようやく、ああわたしはこんなにも、自分が変わってしまうことが怖かったのか、ということを知ったのだった。
「また、次のやどり葉で会いましょう!」
だからわたしは、再開を誓ってお店を閉じることができた。この言葉の半分は小さな嘘、そして、もう半分は希望だった。
こうしてWineBar「やどり葉」は閉店した。まるで、長い夢を見ていたような半年間だった。

妊娠29週~35週|丸くなる
2024年の年末は、夫と結婚してからの10年間のなかでもっとも穏やかに過ぎた日々だ。
朝ゆっくり起きて、たっぷりのバターを使ったフレンチトーストを焼き上げる。朝の光の入る食卓に座り、夫の淹れた珈琲(デカフェ)を飲む。
あとの予定がないから、朝ご飯を食べるためだけの時間を過ごすことができる。急いで化粧をして、駅まで走って出かけていく必要もない。

折しも秋に引っ越しをしたばかりで、家が綺麗に片付いていたこともあった(それまで本当にひどかったのだ。しまえない物があふれ、洗濯物は床に散らばり、寝るだけのための家だったといって差し支えないほどに)
さらに、ここ数か月間は夫の仕事が過去最大級に忙しく、お互いに休息を必要としていたこともあった。「この生活もいいね」と、普段ないものねだりなどしない夫が珍しくしきりに述べていた。
そしてわたしは、それらの外的な要因だけではない変化も感じ取っていた。
ホルモンバランスが安定しているのだ。
そう。妊娠初期、急なホルモン変化によって突如として悲しみが去来し、泣きながらベトナムにいる夫に電話をかけていたあの頃。このままいくとわたしの情緒はどうなってしまうのか、果たして夫婦関係にどれほどの悪影響を及ぼすのか――と戦々恐々としていたことは実際には起こらず、むしろ事実はその逆であった。
胎盤が完成して安定期に入った頃から、ホルモン分泌の急な上昇や下降がなくなった。と同時に、こころがいつでも凪いでいるのだ。
わたしはいわゆるPMSと呼ばれる月経前症状が、特に情緒に影響するタイプだった。中学生の頃にはすでに気づいていたから、もう20年以上の付き合いである。
それでも、コントロールできないのだ。わかっていても、感情の発露を完全には止められない。同じ出来事が起きても、生理前かそうじゃない時期かによって行動化するかどうかが変わってしまう。たぶん、もともと感情調節に難があるところが、ホルモンバランスの変化によって「制御」がきかなくなるのだ。そんなことは十分にわかっているが、それでもこの20年間、うまく付き合えた試しがなかった。
「きみの情緒は、常にゆらゆら揺れている波のうえに浮いている小舟みたいなものなんだね」
とは夫の弁だがまさにその通りで、そのゆらゆら揺れる波をなんとか手なずけながら生きていくのが、わたしの人生だったといっても過言ではない。
ところがこの数か月、明らかにわたしの心は凪いでいた。もちろん日々の出来事に合わせて気分の上下はあるのだが、それはあくまで「出来事」由来の波であって、出来事が過ぎてしまえば忘れてしまえる程度の揺れだった。理不尽にゆらゆらと波打ち続けたり、まったく関係のない夫に「お皿洗ってって言ったじゃん!」などと急に怒り出したりすることがない。
丸い。
そう思った。ちょうどバーの閉店と同時に妊娠後期に入り、からだがどんどん丸くなっている時期だった。お腹が重く、頭はぼんやりとして、だんだん動くことが億劫になっていく。まるでそんな変化に呼応するように、こころもどんどん丸くなっていく。
これまで生きて来た中で、男に生まれたかったと思ったことは1度もなかった。女であることが好きだったし、たとえどっちに生まれたとて人生を楽しめる自信があった。けれど、「もしかして男のひとたちって、日々こんな平らな心持ちで生きてるの?」と思ったとき、生まれて初めて「うらやましい」と思ったのと同時に、そりゃあ、男女が分かり合えるはずがないわなと、世界の理の一端に触れたような気持ちになったのだった。
「あらあ。こんなに位置が変わることってあんまりないわよ。よく動いてるでしょう?とっても元気な女の子なのね!」
助産師がわたしのカルテを見ながら笑う。入院前に必ずおこなわれる保健指導のときだった。落ち着きがないのは、どう考えてもわたしの遺伝子だ。ほら、やっぱりそうでしょう?わたしも笑う。すみません、遺伝です。
そのまま、元気に出ておいで。
それは祈りにも似た気持ちだった。うちに帰ったら夫に報告しよう。きっと、笑ってくれるから。
あと2週間ほどで、正期産に入るのだ。

次回、出産/育児編へ続く…のか?
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