見出し画像

【美術展2025#38】硲伊之助展@アーティゾン美術館

会期:2025年3月1日(土)〜6月1日(日)

硲(はざま)伊之助(1895–1977)は、フュウザン会や二科会で若い頃より注目された画家でした。一時は文化学院や東京藝術大学で後進の絵画指導にあたり、晩年は色絵磁器の創作に熱意をもって取り組みます。制作活動のかたわら、クールベやゴッホなどの画集の編集や、『ゴッホの手紙』(岩波書店)の翻訳に携わるなど西洋美術の紹介にも尽力した他、師マティスの日本ではじめての展覧会(1951年)実現にむけて作家との交渉に携わる実務家としての一面もあわせもっていました。さらに、裕福な出自をもつ硲が自身の研究のために収集した作品の一部、マティス《コリウール》(1905年)やルソー《イヴリー河岸》(1907年頃)は、現在石橋財団に収蔵されており、当館にとってゆかりの深い作家の一人でもあります。本展は、油彩画、版画、磁器などの作品と資料83点、硲と関わりのある当館の西洋絵画コレクション17点、あわせて100点を展示し、硲の多様な側面を紹介する東京で初めての回顧展です。

アーティゾン美術館


上階の「ゾフィー・トイバー=アルプとジャン・アルプ」展から階を下る。

硲伊之助は若くして注目を集め、東京美術学校(東京藝術大学)で助教授まで務めたとのことだが、その作品に関して私は正直ほとんど馴染みがない。

さて。

序盤は時代を感じさせる哀愁漂う絵画が並ぶ。


東京都現代美術館蔵

どこかで見たことあるような気がする、と思ったら所蔵先は東京都現代美術館だった。
あまり記憶にないけれども、かつてあちらさんで見たのだろう。
それぞれ雰囲気はあるが、どこかの名画の亜流という感じは拭いきれない。


1921年のフランス留学を皮切りに、生涯で数度ヨーロッパに渡り、アンリ・マティスに師事した経験を持つとのこと。

作品にまつわる硲氏とマティスのやりとりが赤裸々に語られる。

《青い胴着の女》1935 アンリ・マティス

なんとアーティゾン美術館所蔵のこの作品の裏には硲氏がいた。

書簡も公開される

こういうの面白い。
昨年初頭に都美館で行われた「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」展でもモネと所蔵先とのやりとりの書簡が公開されていたが、そのような作品にまつわるストーリーによって、作品が「今ここにある」必然性が高まり、新たな価値や文脈が生まれ、違った角度から作品を見ることができるようになる。

アーティゾン美術館はそのような自館の所蔵作品の新たな価値付けや、新たな観点の提示がいつも抜群にうまい。

今まで何回も見てきたこの作品も、その影には硲氏がいたことを知る。

《縞ジャケット》1914 アンリ・マティス

細川家や原三渓なども絡んでくる。
まさにその時代のVIPたちの裏で立ち回った美術界隈の立役者だったのだ。


さらにその仕事は作品の売買だけにとどまらない。

硲氏は小磯良平の先輩だった。
藝大助教授の職を小磯氏に譲り、自らの持てる人脈を総動員し、終戦の数年後には日本初のマティス展、ピカソ展、ブラック展を実現し、さらにその後のゴッホ展のためにも尽力する。

硲氏がいたからこそ実現したマティス展。


こちらも硲氏がいたからこそ実現した。

この作品の裏にも硲の存在があった


こちらも同様に硲氏が裏で動いていた。


旧松方コレクション作品で現アーティゾン美術館所蔵の作品も、硲氏が石橋コレクションに繋いだ。
そして今ここにある。

もし硲氏や石橋正二郎氏の存在がなければ日本でのマティスやピカソの認知度はもっと低いものになっていたかもしれないし、ひいては西洋美術館や近代美術館の開館もずっと後の時代になっていたかもれない(もしくは無かったかもしれない)と思うと、戦後復興期に日本美術界に与えた意義は絶大だった。

そしてその功績をしっかりと作品を通してわかりやすく伝えてくれるアーティゾン美術館の企画力に、やはり今回も敬服するのだった。




【美術館の名作椅子】↓


【美術展2025】まとめマガジン ↓


いいなと思ったら応援しよう!

mata ありがとうございます。励みになります。