見出し画像

【美術展2025#88】ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢@東京都美術館

会期:2025年9月12日(金)〜12月21日(日)

フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)の作品は、今日までどのように伝えられてきたのでしょうか。本展は、ファン・ゴッホ家が受け継いできたファミリー・コレクションに焦点を当てます。
フィンセントの画業を支え、その大部分の作品を保管していた弟テオ。テオの死後、その妻ヨーは膨大なコレクションを管理し、義兄の作品を世に出すことに人生を捧げます。テオとヨーの息子フィンセント・ウィレムは、コレクションを散逸させないためにフィンセント・ファン・ゴッホ財団を設立し、美術館の開館に尽力します。人びとの心を癒す絵画に憧れ、100年後の人びとにも自らの絵が見られることを期待した画家の夢も、数々の作品とともにこうして今日まで引き継がれてきました。 本展をとおして、家族の受け継いできた画家の作品と夢を、さらに後世へと伝えてゆきます。

展覧会公式サイト


今年はゴッホの当たり年。
年を跨いでのブロックバスター展巡回の他、各地でゴッホに関連する展覧会が開催されている。

2年がかりで2期に分け神戸・福島・東京を巡回する大型展↓

現在第1期の神戸展が開催中。


そんな中、こちらは夏に大阪で行われていた展覧会の東京展。
東京展の後は愛知県美術館へ巡回する。

@東京都美術館


今展の展示作品はほとんどがゴッホ美術館からの貸出品。
館所蔵のゴッホ作品や手紙、ゴッホが収集した同時代の作品などを用いてざっくりと画業を辿るとともに、生前はほぼ無名だったゴッホがどのように美術史に名を残すまでになっていったかをゴッホ周辺の動向から探る。

会場構成はイントロ映像、1章〜5章、イマーシブ映像、となっているが、ゴッホ作品は第3章になってようやく登場する。
なかなか焦らす。


ゴッホの人物像としては、気難しい、癇癪持ち、粗野、扱いにくい、等々と散々な言われようだが、確かにいくつかの評伝を辿っただけでもその一端が垣間見える。

中学中退後、就職するも下宿先の婚約者がいる娘に恋をし、破棄を迫ったりしつつエスカレート。
もちろん玉砕し、その後勤務態度も悪化して解雇。
牧師になるべく勉強を始めるも、程なくしてお世話になっている叔父の娘にストーカーをかます。
その娘はゴッホにとって従姉に当たる上に、夫に先立たれたばかりの未亡人で、きっぱり断られるもやはりストーカー。
この一件で叔父のみならず父にもブチギレられ家を飛び出す。
伝道師になるべく養成学校に通うも資格は取れず、勝手に現場へ赴き職を得るもやりすぎで解雇。
その後も子連れ妊娠中の娼婦と無理やり同棲して破局したり、周囲の反対を押し切り年上の女性と恋仲に落ちるもその女性が服毒自殺を図ったり。
職も無く、絵も売れないので弟に金をせびり、親に迷惑をかけまくり、入退院を繰り返し、自分の耳をぶった斬って、しまいにはピストル自殺。

…なかなか波瀾万丈でパワー系の香ばしい人生。

今だったらなんらかの病名が付くのだろうが、当時はただのヤバい奴ということで片付けられてしまっていたのかもしれない。


ファン・ゴッホ家の家系図も展示されていた。
今までゴッホの家系図なんてそれほど気にしたことはなかったが、でかでかと展示されているので読み込んでみる。

本人 :フィンセント・ファン・ゴッホ
叔父①:フィンセント・ファン・ゴッホ
甥  :フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ
弟① :テオドルス・ファン・ゴッホ(テオ)
父  :テオドルス・ファン・ゴッホ
弟② :コルネリス・ファン・ゴッホ
叔父②:コルネリス・ファン・ゴッホ
甥の子:テオ

なんだこの一族…。
それともオランダの名付けルールはそんな感じなのか?

通称もテオドルス→テオ、コルネリス→コル、ヨハンナ→ヨー、ってこれまた安易な。
カツオ→カツ、ワカメ→ワカ、タラオ→ター、みたいにはならんだろうよ。


そんな一族に嫁いだヨーの年表を見る。

ヨーの年表

1862年(0歳) 誕生
1885年(23歳) ストゥンプフと恋仲に
         その後テオ(28)と出会う
1887年(25歳) テオ(30)のプロポーズを断る
1888年(26歳) ストゥンプフと破局
         テオ(31)の求婚に応じる 
         ゴッホ耳切り事件
1889年(27歳) テオ(32)と結婚 
         ゴッホ発作・入院繰り返す
1890年(28歳) 5月 息子誕生を機にゴッホと初対面
         7月 ゴッホ自殺(37)
         
10月 テオ(33)心身不調で入院 
1891年(29歳) 1月 テオ死去(33)
         なんだかわからない謎の絵を
         全て引き継ぐことに…


対面前にもきっとゴッホの数々の奇行は耳にしていたであろうが、なんと初対面から2ヶ月後にゴッホ自殺
数ヶ月後に夫も死去
かくして初対面からわずか1年も経たないうちにヤバい義兄の残した大量のヤバい絵を引き継がなければならなくなってしまう。
「テオは兄の才能を早くから見抜いていた」みたいな美談もあるが、とはいえテオはその絵を世に出すことが全くできなかったわけで。
それをヨーはなんとかしなければいけなくなってしまったわけで。

私もヨーになったつもりで想像してみる…。
なんというハードモード、これは無理ゲー…。

だが、あるものでなんとか生き抜かなければならない。
ということでうまいことやりくり。

結果、美術史の中でトップレベルの偉人ランクに名を連ねるまでに。
すげ〜。

もし相続時にヨーが諦めて手放したり処分したりしていたら、その前にテオがヨーと出会っていなかったら、ゴッホが誰からも援助や助けが得られずにそもそも絵を描くことができていなかったら。
その後の世界の美術史が今とは違うものになっていたかもしれない。

そしてゴッホの存在は近代以降の日本美術史にも多大な影響を及ぼした↓

そう思うとヨーやその息子の功績は計り知れない。
(と、結果的に後世では美談になっているが、実際は単純にそう言い切れずに偶然が重なったり運が良かったりという部分もあったのだろうが…)


いずれにせよ、現代でも作家が絵を描くだけでは美術史は更新されない
ギャラリスト、キュレーター、作家に影響を与えた者、作家から影響を受けた者、コレクター、鑑賞者…。
全てがいて美術史が更新されていくのだと改めて思った。

そう考えると私たち一介の鑑賞者も美術史の立派な担い手なのだ、エッヘン🧐


最後にイマーシブ映像コーナー。

来てない作品を入れないでほしい

…う〜ん。
せっかく本物の作品を見ていろいろ感じたり考えたりしたのに、最後にそれをザ〜っと洗い流されてしまった感じ…。
これ、必要なかったんじゃ…
せめてテンション高めるために展示の最初に置く、とかならまあなんとかいけたかも。

最近あちこちでイマーシブ映像を散見するが、見られないものを見る(仏像の内側とか)、入れない場所に入る(非公開のお堂とか)、とかなら価値のある体験になるだろうが、すでにあるもので勝手にストーリーを作られてしまうと、それはもう誰かが考えた別のものになってしまうと思うのだ。

イマーシブ映像で感動したり、それきっかけで美術に興味を持ったり、という人もいるのかもしれないので一概に否定はできないのだが、少なくとも私はそう思ってしまった。

フィクションを作るなら逆にこのくらいやってほしい↓


最後にもやもやが残ったが、展覧会自体は貴重な作品をまとまって見ることができる稀有な機会だった。


都美館の壁や椅子の色味がゴッホ仕様に見えた。

前川國男ベンチ

ま、キリコ展の時にはキリコ仕様に見えたりしたのだが。



【美術館の名作椅子】 ↓


【美術展2025】まとめマガジン ↓


いいなと思ったら応援しよう!

mata ありがとうございます。励みになります。

この記事が参加している募集