【美術展2025#77】ゴッホ・インパクト 生成する情熱@ポーラ美術館
会期:2025年5月31日(土)~11月30日(日)
ポーラ美術館では、開館以来初となるフィンセント・ファン・ゴッホをテーマとした展覧会を開催いたします。
わずか37年の生涯のなかで、数多くの絵画を制作したゴッホの名声を築き上げているのは、うねるような筆触とあざやかな色彩による独自の様式、そして何よりもその劇的な生涯に対する評価であると言えるでしょう。わが国でも明治末期以降、個性と情熱にあふれたゴッホの作品や芸術に一生を捧げたその生き方は、美術に関わる者たちの心を揺さぶるだけではなく、文化、そして社会といった広範な領域にインパクトを与えました。
今日にいたるまで変わることのないゴッホからの影響を糧としながら、芸術家たちはそれぞれの時代にふさわしい新たな情熱を、どのように生成してきたのでしょうか。本展ではこのような歴史を振り返るとともに、現代を生きるわたしたちにとって「ゴッホ」がいかなる価値を持ち得るのかを検証します。
今年はゴッホの当たり年。
各地でゴッホ展が開かれる。
ここポーラ美術館のゴッホ展も「いわゆるゴッホ展」なのかと思いきや、「いわゆる〜」は前半部分で、中盤からはゴッホがどのように日本に伝わり、どのように後世に影響を与えてきたか、となって、後半は現代美術で締めるという内容だった。
さすがポーラ美術館、お見事。
前半の「いわゆるゴッホ展」。

壁面はテーマに沿って塗り分けられている。


1886
この雑誌の表紙の花魁を模写した作品はゴッホ美術館にある。
残念ながら今展の出品は無かった。

ゴッホ美術館
なぜか元ネタから左右反転した状態で雑誌の表紙になり、その反転状態をゴッホが模写したという異色作品。
元ネタ↓(こちらも出品が無かったので千葉市美術館のものを引用)

渓斎 英泉
千葉市美術館蔵
壁面には作家の言葉が書いてあったりして、より世界観に浸ることができる。

この時代の著名作家の作品が続く。

セザンヌ、ゴーガン、マティス、ブラック…等、これだけのストーリーを自館コレクションを中心として構成することができるというのは素晴らしい。
いよいよ今展の本題に入っていく。

当時の「白樺」は今でいうところの「美術手帖」的な存在か。
いずれにせよ情報源が限られていた当時、西洋美術への数少ないゲートウェイだった。
それこそ相当なインパクトがあったに違いない。

ちょうど茅ヶ崎市美術館で「白樺」をテーマにした展覧会が始まったばかりだ。
タイミングが合えばそちらも行ってみよう。行った↓
この時期、まだゴッホの呼び名が定まっていないのが面白い。

「白樺」にてゴッホと同時期に紹介されていたセザンヌ。

ポール・セザンヌ
ゴッホとともにセザンヌも当時の日本人画家に多大な影響を与えた。
影響与えられすぎてほぼほぼ似てしまっている感は否めないが。



雑誌の白黒印刷では物足りない人たちが実際にパリに足を運んだ。
最晩年のゴッホの診療を行なっていたガシェ医師の元にはゴッホ作品20点あまりが残されており、当時パリに行った日本人たちはガシェ家を訪れて医師から作品を引き継いだ息子から実物を見せてもらっていたそうだ。
なんと240名以上が訪問したという記録が残っている。

ガシェ医師はエッチングプレス機を持っており、ゴッホ唯一の銅版画はガシェ氏をモデルとしてそのプレス機で擦られた。



その後、版画家の長谷川潔がこのプレス機を入手し、弟子の駒井哲郎によって東京藝術大学資料館に届けられた。
現在、この貴重なプレス機は東京藝術大学の収蔵品となっている。
藝大とんでもないものを持ってるな。
・芦屋の《向日葵》
戦前の日本に招来されたゴッホの《向日葵》(1888年)は、『白樺』の武者小路実篤の依頼を受けて、1920年(大正9)に神戸の実業家である山本顧彌太が購入したものです。この招来にまつわる経緯は『白樺』誌上で紹介されており、到着の際には「ゴオホは到當来ました。大変なものです。ゴオホのものの中でも代表的のものといへるものだと思ひます。それは生々しく燃えてゐるとともに深い、何ともいわれない美しさを感ぜずにはおられません」と報じられています。
とはいえ、ゴッホによる《向日葵》 が一般に公開されたのは、わずか二回の機会にしか過ぎませんでした。東京の星製薬株式会社を会場とした「白樺美術館第一回展覧会」[1921年(大正10)]、そして大阪朝日新聞社を会揚とした「信濃橋洋画研究所展覧会」[1924年(大正13)]が開催された際のことであり、ふたつの展覧会の会期を合わせても、14日を数えるばかりであったのです。それでも、大阪でこの作品を目の当たりにした吉原治良のように、ゴッホによる本物の作品をはじめて体験した者たちは、その真価を深く心に刻み込むことになります。その後、1945年(昭和20)8月6日の空襲で焼失するという悲劇に見舞われた芦屋の《向日葵》は、日本における幻のゴッホ作品として、今日においても伝説的に語り継がれています。
空襲で消失したという幻の《向日葵》。
2023年に大塚オーミ陶業株式会社によって陶板にて再現された。
非常に良くできている。

なお大塚オーミ陶業株式会社とは、大塚製薬を含む大塚グループのひとつであの大塚国際美術館の作品制作も担当している。
もし芦屋の《向日葵》が現存していたらどのくらいの価値になったのだろう。
SOMPO美術館(当時東郷青児美術館)のひまわりも1987年当時の絵画史上最高額を大幅に更新する53億円で落札されてバブル経済の象徴のように扱われたが、今にして思えば安い買い物だったと言えるだろう。
社会的な話題だったので当時小学生だった私でも記憶にある。
その後、高3時に初めて目にして、お〜〜〜っと思ったもんだ。
バブル崩壊後も手放さなかった握力は素晴らしい。
戦後、ゴッホブームが訪れる。

いよいよ後半の現代美術。
・福田美蘭

福田氏の《ゴッホをもっとゴッホらしくするには》が伝作品と並ぶ。
ちなみに伝作品とは1935年に大原美術館が購入し、1984年に贋作認定された《アルピーユの道》のことだが、セットでよく貸し出してくれたな。
この福田作品《ゴッホをもっとゴッホらしくするには》は、贋作認定された伝作品を基に、もっとゴッホっぽくしちゃえと福田氏がイジった迷作名作。
私は以前から福田氏を「美術界のコロッケ」だと思っている(いい意味で)。
ちなみに伝作品の方は撮影不可。
大原美術館は8月に行ったが(時系列的には6月に行った今展の方が先なのだが)あちらでも普段から2点並べて展示されているのだろうか。
なお児島虎次郎亡き後、伝作品の購入に関わったのは式場隆三郎だそうだ。やっちまったな〜。
・森村泰昌

ゴッホに扮した森村氏が繰り広げる映像作品《エゴ・シンポシオン[ゴッホの章の抜粋]》が面白かった。(映像作品なので撮影不可)
森村氏も美術界のコ…いや、なんでもない。
ちなみに現在、東京都現代美術館では森村セザンヌが展示中。

東京都現代美術館
・桑久保徹

小山登美夫ギャラリーに所属し、近年各種媒体で名前を目にする機会が増えてきた桑久保徹。
現代美術に立ち向かうための方法として、自分の中に架空の画家を見いだし、彼に描かせるという演劇的アプローチで制作活動をスタート。あえて今や古典的ともいえるゴッホのような油絵具の厚塗り技法を用い、現代的心象風景を物語性豊かに描く独自の世界は、国内外で高い評価を受けました。
《アトリエ》をタイトルにした作品が並ぶ。

左の《アトリエ》は自身のアトリエを描いたものだろうか。

右の《共同アトリエ》はタイトルの通り何人かの画家がアトリエを共有している。






巨匠たちとともに《共同アトリエ》に自身の名を連ねる覚悟。
一枚のキャンバスに画家の生涯を描く「カレンダーシリーズ」から、ゴッホを扱った作品。



桑久保氏は多摩美時代の一学年下の後輩に当たる(とはいえ特に親交があったわけではないが)。
先日の平塚市美術館での原良介氏然り、昨今あちらこちらで目にする先輩後輩同年代の活躍。
筆を折らずにアートと心中する覚悟を決めた人たち。
継続は力なり。
素直に尊敬する。
ゴッホの生涯は37歳で幕を閉じる。
「画家って生きてる内は評価されないんでしょ?」のイメージは間違いなくゴッホから来ているが、美術史上の最重要人物の一人としてその名は後世に燦然と輝き続け、ここ日本にもゴッホの残したDNAは脈々と息づいている。
ゴッホが存在しなかったらその後の美術史は違ったものになったかもしれないと思うと、やはりゴッホ・インパクトの大きさに感嘆せざるを得ない。
とても面白い企画展だった。
このまま館内をハシゴする↓
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