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【美術展2025#98】遠い窓へ 日本の新進作家 vol. 22@東京都写真美術館

会期:2025年9月30日(火)〜2026年1月7日(水)

東京都写真美術館では、写真・映像の可能性に挑戦する創造的精神を支援し、将来性のある作家を発掘するとともに、新たな創造活動を紹介することを目的として、2002年より継続的に「日本の新進作家」展を開催しています。
第22回となる本展では、人と時代の流れ、場所、風習といった物事との結びつきから生まれる小さな物語に焦点をあてた5名の新進作家の作品を紹介します。今日、多様性の尊重やインクルーシブな社会が求められています。異なる価値観を持つ人々とのコミュニケーションや共に生きることの想像力が重要になっています。
街を歩くなかで、ふと窓に目が留まり、そこに暮らす誰かの気配を感じ、そこに紡がれているであろう生活を想像した経験もあるでしょう。窓は、今ここにいる私たちを、まるで遠く離れた世界へと導いてくれる装置のようです。窓から垣間見える暮らしを想像するように、作品もまた、私たちの知らない風景や物語へと思いをめぐらせるきっかけを与えてくれます。
5名の作家が表現する写真・映像作品との出会いが、遠い窓へ思いをはせるような距離感で、誰かや何かに寄り添う手がかりとなれば幸いです。

東京都写真美術館


展覧会タイトルは「遠い窓へ」

「窓」とは、内と外を隔てるもの、場所と場所の境界線。
「遠い」のは物理的距離なのか、時間的距離なのか、心理的距離なのか。
「遠い窓へ」思いを馳せるのか、実際にそこへ向かうのか。

さて、今展は5名の若手〜中堅作家を取り上げた展覧会。
その中で特に2名の作品が気になった。


・寺田健人

《想像上の妻と娘にケーキを買って帰る》シリーズと数点の《trace his scent》シリーズを合わせて《あこがれの日曜日》と題した展示を行なっている。

幸せそうな笑顔の男性。
写真には(妻であろう)女性や(子であろう)女児の生活の痕跡が写っているのだが登場するのは笑顔の男性のみ。

タイトルが《想像上の妻と娘にケーキを買って帰る》なので、そもそも妻も娘も不在なのだ。
だが、その存在が、元から「いない」のか、以前は「いた」のかはわからない。

私には現在、妻と娘が「いる」
日曜日には家族で出かけることも多いし、たまにはなんでもない日にケーキを買って帰ることだってある。
そんな家族の中で、私は父であり夫であるのだが、子がいなかったら私は「父」ではないし、妻がいなかったら私は「夫」ではない。
はて、そうするとこの《想像上の妻と娘にケーキを買って帰る》という男性はいったい何者なのだ?

私にとって、妻と娘が「いる」現状は「幸せ」だ。

独身時代の妻と娘が「いない」感覚はわかるが、結婚して妻と娘が「いる」以降は「いなくなってない」ので、「いた」感覚はわからない

妻と娘が「いない」世界線と、「いた」世界線を想像してみた。

「いる」幸せを知らないのであれば、「いない」中での幸せもあるのかもしれない。
「いる」幸せを知っていれば、「いた」という状況は悲しいことなのかもしれない。

が、世の中には「いる」ことが辛く不幸な人もいるかもしれない。
「いた」状況になることで幸せになる人もいるかもしれない。
そもそも「いない」ほうが幸せと考える人もいるかもしれない。

私の思う幸せが誰かの幸せとは限らないし、誰かの思う幸せが私の幸せとも限らない。
いろいろな幸せの形があるのだろう。
比べる必要もない。
自分が幸せと思える人生を送りたいと思った。

Bluetoothなどを用いていかようにも無線で撮影できる方法があるだろうに、作品中には取ってつけたようにリモートシャッターのコードが写っていたりして、わかりやすく「幸せを演じている」写真として提示されている。

だが、世の中の一見幸せそうに見える家族だって、一皮剥ければもしかしたらドロドロした内実を隠すように「幸せを演じている」という家族もあるかもしれない。

あなたが「幸せ」と感じていることは本当に「幸せ」なことなのか?
と問われているようにも思えた。

私は「幸せ」だよ。
そう、「幸せ」な、はず。


作品には幾つものレイヤーがかかっているように思えて色々と考えてしまった。

芸が細かい
これは、…本物?



・甫木元空

《窓外》より


余命宣告された母を撮った4年間の記録。

すでに余命宣告されているが、
まだ日常生活を送ることができる
新たに生まれる命
徐々に薄れていく命
母の命が消えた後も、日常の風景は続く
季節は巡り、空も海も、続く


ドラマチックな事象が写されているわけでもない、言ってしまえばどこにでもある日常のスナップ写真を並べただけ。

けれども見入ってしまった。

私は幸いなことにまだ両親ともに健在だ。
だが離れて暮らしており、母は最近軽い物忘れも増えてきたそうだ。
すでに高齢なのでそう遠くない将来、別れはやってくるのだろう。

どこにでもある日常を写した作品に、自分の人生を当てはめてみる。
私が幼少だった頃の母、私が反抗期だった頃の母、結婚して家族ができた頃の母、孫が誕生した頃の母。
そして、余命宣告された母を想像してみる。
その母に対する自分を想像してみる。

ふいに涙が込み上げてきてしまった。

子が生まれ、親が死に、孫が生まれ、やがて自分も死ぬ。
どこにでもありそうな人生。
だけど自分しか体験することができない人生。

いつか訪れる、母がいなくなる日は私にとって忘れることのできない日になるだろうが、目の前の季節や風景は昨日と変わらずに続いていくのだろう。


地球が誕生して以来、繰り返されてきた人類の生と死。
人々は生まれて死ぬが、地球は回り続ける。
そこまで壮大な火の鳥的世界観でなくとも、だけど誰の人生にもそれぞれのドラマがあり、そしてやっぱり目の前の季節や風景は昨日と変わらずに続いていくのだ。


今回私が取り上げた2名の作品は期せずしてどちらも家族をモチーフにしていた。

冒頭で、「窓」とは「隔てるもの」「境界線」と記したが、私にとって「窓」とは「つなぐもの」でもあるのかもしれないと思った。



その他の作家も名前だけざっくり紹介。

・スクリプカリウ落合安奈


・岡ともみ


・呉夏枝



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