流産した子の出産予定日…アキラさんと“星の王子さま”
稽留流産後、宮川彬良さんのエッセイを読んで分かった「命」のこと。
もうすぐ出産予定日である。
生まれて来られなかった我が子の。
流産したのは去年のことで、もう涙することもほとんど無くなった。
なのにここに来て、不思議な縁を感じる出来事があった。
エッセイで知る、アキラさんの過去
最近、図書館で本を借りた。
それが、作曲家宮川彬良の『「アキラさん」は音楽を楽しむ天才』というエッセイ。
今年の始め、アキラさんのコンサートに行き、この上なく感動したので借りてみた。
作曲家としての半生を綴ったもの。
ディズニーランドの「ワンマンズドリーム」や、Eテレ「クインテッド」について等々。
本の最後の方に、一つだけ他と違う雰囲気のタイトルの章があった。
それが、“ぼくの「星の王子さま」”。
その章の中で、アキラさんは自身の初めての赤ちゃんを「王子さま」と呼んでいた。
その赤ちゃんを、生後2ヶ月で、乳幼児突然死症候群(SIDS)で亡くされていたことを知った。
消え失せしもの、それが「命」である。これは確かなことだ。いや、失ったからこそハッキリ見えてくるもの、それが「命」なのであった。あの日王子さまは、命の塊としてぼくらの目の前に現れた。そしてあっという間に姿を消したのだ。
読みながら涙が出てきた。
自分の流産の悲しみがぶり返した、という感覚ではなかった。
「だからあんなに、アキラさんのコンサートは心に響いたのだ」と分かったからだ。
「音楽は命」 コンサートにて
アキラさんのコンサートはとっても楽しかった。
有名なクラシックや日本の唱歌をキャッチーに編曲し、ユーモラスな解説を加えてくれた。
その中で印象に残っているのが、「音楽は命」という言葉。
中山晋平作曲「シャボン玉」の解説でのこと。
アキラさんはこの曲を、「生まれたばかりの子どもが死んでしまった曲だと確信しています」と言った。
私はドキッとした。
この時、流産後3ヶ月の時期。
アキラさんの口から、子どもの死を、音楽に深みを持たせる為のただのコンテンツ、トピックとして扱う言葉が出てこないか、少しだけ心配した。
でも、アキラさんは続けてこう言った。
あの世とこの世を繋げてくれる身近なものが、音楽。
音楽は、命そのもの。
音楽は、余白や行間、言葉にならない想いも表してくれる。
きっと、命についてずっと考えてきたんだなと感じる言葉だった。
何があったのかは知らないけれど。
曲は3分間、とってもとっても優しい音が響いていた。
天まで届け、良い音届け。小さな子どもたちにも届くように。
そんな思いが込められている演奏だと思った。
この会場に、私と同じように子を思った人がいるのかもしれない。
そんな私たちを癒すコンサートだった。
(私が行ったコンサートでは、ボーカルは無かった。)
私がまだ向き合えない「命」と音楽
エッセイを読んで、アキラさんが「音楽は命」と言ったわけがやっと分かった。
そうか、アキラさん自身が生まれたばかりの子を亡くしていたのか。
ほんの数十日であったが、王子さまはそこに「命」という「お金では買えない、眼には見えない摩訶不思議なもの」が確かに存在することを、改めて教えてくれた。あまりにも鮮やかな光を伴って見せてくれたのだ。証明してくれたと言ってもいいだろう。「ほら、これが命だよ、パパ」と言わんばかりに。
私は自分の子を直接見ることは無かった。
けれど、流産を経験してたくさんのことを知った。
悲しくても人生は続くこと
自分以外にも悲しい思いをしている人がいること
人の痛みを想像すること
そして、流産する前と後では、どうしてももう同じ自分ではいられない。
毎日必ず、どこかで流産のことが頭に浮かぶ。
そしてそれが日常になった。
作曲をする時、あるいは作品を作る時、知らず知らずの内に、ぼくは“我が家の王子さま”の示した「命」の方向に向かって車を走らせ、船の舵を切り、飛行機を操縦している。
私にはまだ、進むべき「命」の方向がわからない。
まだ惑う時期なんだと思う。
子どもどうしよう、仕事どうしよう。
私は何も出来ないダメなやつだ…
向き合いたくない気持ちで頭がいっぱいになったら、音楽を聴く。
ドビュッシーの「月の光」
ヴィヴァルディの「冬」
チャイコフスキーの「花のワルツ」
ラフマニノフの「愛のシンフォニー」
泣きたくなるくらい美しいメロディ、脳を刺激するロックな響き。
音楽ってすごいなぁ。
そうやって、私は自分を励ますのだ。
時間と、しこりが通り過ぎるのを待つ
アキラさんは、星の王子さまになぞらえてエッセイを書いた。
偶然にも、子どものアルバムを作って本棚に置いた時、私は隣に「星の王子さま」の文庫を置いていた。
優しい本を隣にしてあげたくて。
不思議な繋がりを感じ、今改めて「星の王子さま」を読み返している。
出産予定日が過ぎれば、また一つ、しこりが無くなっていく気がする。
「あぁ、本当だったら生まれる頃なんだな」という思いは、もうすぐ終わり。
そうして一つひとつ、しこりを通り過ぎていく頃に、進むべき「命」の方向が見えるのだろうか。

おわり
