【自己紹介】歌人になるまで
北海道は函館市の隣町、七飯町(ななへ)といふ、雪は降るが道内では比較的温暖で明治の初めに農業試験場が建てられた「西洋りんごの発祥の地」で知られる町に生まれる。
小2で父の転勤により東京都のほぼ真ん中、PARCOとキャベツ畑の共存するベッドタウン保谷市(現西東京市)へ引つ越す。中高六年間は坊主頭な野球部に所属し、どの監督からも「真面目」といふ評価を頂戴したと思はれる。グランド整備を一生懸命やつた名残で、今も掃除機掛けは好きで得意。
教師を目指し二浪して入つた大学を二年で去り、群馬県桐生市での学童保育支援員を経て、都内の大学院へ。研究の主題は「コミュニティースクール」へと行き着くが、指導教授の影響で日本文化論への興味も高まり、学外の萬葉集の勉強会へ参加。そして、修士論文のその指導教授の急逝を受け、つひに和歌を詠み始める。
論文が書けず院を中退後、カラオケダーツBARの雇われ店長、所謂発達障害児の放課後の支援(児童指導員)などの仕事をありがたく紹介してもらひ従事しながら、車の免許を取得し奈良県は橿原市や桜井市等へ単発的に旅に出る。
西日本での生活への憧れは止まず、岡山県北部の真庭市といふ山と川のきれいな街に移り住む。その後は高知県大豊町を拠点とした四国の旅などを経て、遂に歌集の編纂、そして歌人を名乗ることを決意し今に至る。
