【連載小説】少女よ、星になれ(2)
*前回(第1話)
✴︎
うっとりと、さながら恋する乙女のように、彼女は目を閉じた。
「あたし、宇宙が好きなんです」
彼女の語り口はやわらかで、艶やかだった。
「小さい頃から、毎日宇宙の本を読んでいるんです。パパが5歳の誕生日に買ってくれたものです。もう何度も何度も読み返して、今はすっかりボロボロで」
それまでとは打って変わって、彼女の息づかいははつらつとしていた。その口調はゆるやかに崩れ、子供らしさが滲み出ている。それだけでもう、宇宙への熱意の強さを感じとることができた。
「宇宙って想像もできないくらい広大で、しかも今でもじわじわ広がり続けてるってことを知ったとき、びっくりしました。今でこそ地球人は宇宙を研究して様々なことをわかったつもりでいるけど、それもほんの一部でしかなくて。そのことに気づいたとき、思ったんです。人間って、なんてちっぽけなんだろうって」
一気にまくし立てたせいか、彼女の息は上がっていた。小さな肩がわずかに上下する。すると、それまで伏し目がちだった彼女が突然顔を上げ、まっすぐにこちらを見つめてきた。
「早く星になりたいんです、あたし」
何かを訴えかけるような、それでいて逆らうことを許さない目。こんなにも美しい“死にたい”を、私は今までに聞いたことがあっただろうか。
「きっとこんなこと言ったら、パパもママも先生もあたしの気がおかしくなったと思っちゃう。でも、あたしは地球という星に暮らすたった一人の人間なんかよりも、宇宙を漂うずっと大きな星になりたい。あたしは宇宙の光のひとつになりたいんです」
「……どうして星になりたいの?」
私の問いかけに、彼女は恍惚とした表情のまま答える。
「だって、星になってしまえばいい子でなくてもいいし、毎日が楽しくあるように過ごす必要もない。幸せでなくちゃいけない、なんてこともない。ただそこに在るだけでいいんです。あたしはきっと、それだけで満たされる」
早く星になりたい、その言葉は自由になりたい、という切実な意志として私の胸に届いた。これ以上ないほどに恵まれ、期待を預けられた彼女のただ一つの願いは、この星から解放されることなのだ。
そのとき突如、彼女が再び口を開いた。
「お姉さんは、なんのために生きてるの?」
「えっ……?」
「お姉さんには、死にたくない理由ってありますか?」
私がなかなか答えられずにいると、彼女は「ですよね」となぜかほっとした表情を見せた。
「生きる理由なんて普通はないんですよね。周りの人が悲しむからとか、やりたいことができなくなるとか、考えればそれっぽい理由なんていくらでも思いつきますけど、どれもピンとこなくて。それなら死んじゃいけない理由もないよね、なんて思ったんです」
そして彼女は屈託のない笑顔で、いとも残酷なことを言ってのける。
「だって人が一人死んだところで、宇宙にとっては蚊が潰れた程度、微生物が死滅した程度の感覚でしょう? 人間に限った規模で見ても、77億マイナス1。あたしたちの命なんて、所詮その程度なんです」
皮肉じみた言い方なのに、なぜか嫌味には感じられなかった。彼女はただ、人として生きることの窮屈さに疲れ、自分の小ささに絶望し、宇宙の広大さを崇拝しているだけなのだ。
「……死ぬのは、怖くないの?」
目撃者の証言によると、彼女はなんのためらいもなくフェンスを乗り越えようとしていたらしい。まるで公園の柵の向こう側にいる友達のもとへと駆け寄っていくような、そんな足取りで。
「怖くないです。それに今ならまだ、死んだら星になれる、この先があるって信じていられるから」
今日一番の清々しい笑顔が、そこにはあった。
✴︎
如月かりんという少女と話してから、1週間。私はまだ、彼女の笑顔や子供らしからぬ言葉の数々が忘れられずにいた。時折ぼんやりしているのか、上司にげんこつを食らうことすらある。
「なんのために生きてるの……か」
「どうしたお前、最近病んでんのか?」
突然の声に飛び上がると、いつの間にやら隣には上司が煙草をふかして立っていた。見た目も中身もおっさんくさくて厳ついけれど、なんだかんだ頼りになる存在ではある。
「お前、あの自殺未遂したガキと話してからどうも様子がおかしいぞ。なんだ、特に原因は聞き出せなかったんだろ?」
──そう。私は報告書に、確かにそう書いた。書けなかったのだ。彼女が私だけに打ち明けてくれた壮大な想いをあんな紙切れに書き連ねるのが、どうしても憚られた。つまり表面上は、成果を上げられなかった。
「どうして生きてるのってかァ、そんなの金稼いでうまい飯食って酒飲んで寝るためだろうが」
上司は何がおかしいのか、一人で豪快にガハハと笑っている。
違うんだ、彼女の想いはそんなんじゃない。もっと崇高で、果てしないんだ。
崇高、か。そのとき初めて、彼女の思想にあてられている自分に気がつく。思わず乾いた笑みが漏れる。大の大人が、子供の持論ごときに影響されてしまうだなんて。
ふと、頬にあたたかいものが触れる。
「……まあよくわかんねえけど、こっちも仕事に支障来されちゃ困るからよ。俺は話聞いてやれる柄でもねえし、とりあえずこれでも飲んどけ」
自販機で買ってきたであろう缶コーヒーを押しつけられた。結局相談に乗るのはめんどくさいんじゃないか。両手に包み込んだ缶の熱で、冷えた指先がじんわりとぬくもる。
外はすっかり暗くなり、休憩室の窓からでもわかるくらいには星が瞬いている。今日は空気が澄んでいるから、絶好の天体観測日和だ。あの子も今頃星を眺めているのだろうかと、妙な感傷に耽りながらコーヒーを一口啜った。
彼女にとっての「星になる」は、比喩でもなんでもなかった。あの思想が覆らない限り、そして子供である限り、彼女はきっと再び星になろうとする。
どこかで、それを待ち望んでいる自分がいた。つまり私は、小学生の自死を心待ちにする残酷な大人なのだ。こんなこと誰にも言えない、職業柄、それに人としても。だから彼女の夢は、私と彼女だけの永遠の秘密にするしかないのだ。
もし、彼女がそれをやり遂げた暁には。私は星となる彼女の自由を願おう。そして私も宙を想おう。今まで、彼女がそうしてきたように。
*第3話へ続く──
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