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【連載小説】少女よ、星になれ(3)

*第1話
*前回のお話(第2話)

✴︎

 星の美しい夜だった。冬の空は特に、澄んだ漆黒に光の粒がよく映える。その煌めきはささやかに、世界に夜の帳を下ろす。

 星を見るといつも思い出す、あの少女。もう何年も前に小一時間会話しただけの少女。彼女のことが、なぜか忘れられずにいた。今になって、彼女の気持ちがわかるようになってきたからだろうか。

 肩にかけたバッグから顔を覗かせる、ノートパソコンと無数の紙束。オリオン座、カシオペヤ座、北の空には北斗七星。こんな夜もあと何回かな、なんて。ぼんやりと星の数を数えながら、ふわりふわりと漂うように歩く。夜もすっかり更けた住宅街で、私は一人きりだった。

 一人きり。こんなときに限って、背後から近づく足音に気がついてしまうものだ。足音は確実に、私のもとへと駆け寄ってくる。不穏な予感が胸をよぎり、こんな最期も悪くないか、なんて何かを諦めようとしたそのとき。

「お姉さん!!」

 突然の背後からの声に飛び上がった。この声は、女……子供? 思わず振り返ると、そこには制服を着た高校生らしき少女が、激しく肩を上下させながら立っていた。

「……私?」
 あまりにも間抜けな声を上げた私に、少女は力強く頷く。

「お姉さん、あたしを星にしてください」
「……!」

 言葉が、出なくなった。こんな台詞を吐くのなんて、私の人生の中では彼女しかいないはずだ。

✴︎

「ずうっと探してたんですよ、お姉さんのこと」

 深夜のファミレス。彼女はオレンジジュースをストローで吸いながら、そして私はなぜかワインを口につけながら向かい合っていた。彼女は未だに興奮冷めやらぬといった様子で、困惑を隠せない私の表情を楽しげに眺めている。

 実に6年ぶりだった。私が前職で、まだ小学生だった彼女の事情聴取を担当してから。なんだか夢みたいな心地だ。見た目も雰囲気もぐっと大人びたあの子が、それでも瞳の凛々しさは変わらないあの子が、今目の前にいる。

「……生きてたんだね」
 ようやっと出てきた言葉はそれだった。彼女はぷっと吹き出し、くすくすと肩を震わせる。声を上げて笑わないところといい口元に手を添える仕草といい、今どきの子には珍しい品の良さは健在だ。

「お姉さん、やっぱり面白いですよね。他の大人とは全然違うもん」
「筒井でいいよ、もうお姉さんなんて歳でもないし」
「えー、あたしの中ではお姉さんなのに。でも、じゃあ、筒井さんで」

 会いに来て正解だったなぁ、と彼女は感慨深げに天を仰いだ。彼女の艶やかな髪は、ファミレスの安っぽいオレンジの照明をきらきらと受け止める。

 あたしを星にしてください、と確かに彼女は言った。6年前、星になりたいからと自らの命を絶とうとした彼女。今もこうして生きているということは、つまり彼女は星になり損ねたのだ。

「……星にしてほしいっていうのは、つまりどういうことなの?」
 誰かと向き合いじっくり話をするのも、前職から退いて以来かもしれない。彼女はぎこちなく姿勢を正すと、「それがよくわからないんです」と小声で口にした。

「星になりたい、という漠然とした思いは昔からずっとあって。いい加減星になんかなりたくてもなれないって、あたしも気づいてるんです。でも、どうしてもこの思いだけは消えてくれなくて」

 縋りつくような、切実な目。

「あたし、ただ死にたいだけなんでしょうか」

 彼女はあれから6年間も、このやるせない想いを秘めて生きてきたのか。そして何かの救いを求めて、私のもとへとやって来たのだ。

 彼女の制服は、このあたりでも有名なお嬢様進学校のものだった。裕福な家庭の一人っ子だから、おそらく中学受験をして入学したのだろう。そう、彼女はこの上なく幸福に生きることができる少女のはずなのだ。

 ふと、彼女が手元の腕時計を見やる。
「……そろそろ帰らないと、ママが心配しちゃうな」

 その表情があまりにも哀しげで、苦痛に歪んでいたものだから。私はほとんど無意識に、そして咄嗟に口走ってしまった。

「ねえ、かりんちゃん……うちに来る?」

✴︎

 私は何をしでかしてしまったんだ。夜もすっかり更けたワンルームに、女子高生──もちろん未成年──を招き入れているとは。前職のままなら、ゲンコツどころの騒ぎじゃない。公務員からただのOLになった自分に助けられた気分になったのは、これが初めてだった。

 彼女は元々友達の家に行くと親に連絡していたらしく、そのまま泊まる流れになったということでひとまず説明がついた。……のはいいものの。

「……ここで暮らしてるんですか?」
「いや、それはあの……ごめんなさい」
「謝らないでください、あたしは全然気にならないので」

 そんなはずがない。こんな汚部屋、彼女はきっと人生で一度も出くわしたことがないだろう。ただ日々を過ごすことに必死になっていたものだから、部屋の汚さなどここしばらく気にも留めていなかったのだ。

「とりあえず、軽くお片付けしましょう?」
 一回りも年下の女の子に窘められてしまった。こたつの上には積み上げられた本にコンビニ弁当の残骸、床に散らばる服と靴下、溢れんばかりのゴミ箱……改めて見渡してみると確かにひどい。

「いやほんと……前まではこんなんじゃなかったんだけど……」
 二人で目についたものを片付けつつ、思わず言い訳がましく呟いてしまう。

「筒井さん、お仕事変えられたんですよね? あたし、一度警察署に行って筒井さんの上司だった方とお話ししたんです」
「上司……? ああ、あのおっさんか……」
 あの人には最後までなんだかんだよくしてもらったから、辞めるときは少しだけ心残りがあった。

「あの方に、あいつが辞めた理由、もしかしたらお前に関係あるかもしれないぞって言われたんです。元々筒井さんに会うために署に伺ったんですけど、尚更会いたくなって。ちょっとストーカーっぽいことしちゃいました」
「どうしてそこまでして……」

 彼女はお菓子の空箱をゴミ袋に入れる手を止め、まっすぐ私を見つめてきた。

「筒井さんは、今まで出会ってきた大人と違ったから。あたしがあんな話をしても、止めませんでしたよね。あたしが死ぬことを」
「……」

 まさか、言えるわけがない。たかが小学生の理想を真に受けてしまったからだなんて。そのせいで前職に真正面から向き合えなくなり、人の人生に関わる仕事から離れることにしただなんて。

 幸せそうに笑う彼女は、同時に何かに怯え、苦しんでいる。そのことに気がついたのはつい先ほどのことだ。彼女が心の奥深くに抱えるもの。それが彼女に星になることを願わせ、今もなおその想いに苛まれているのだとしたら。

 どうすれば彼女は、私は救われるのだろう。命を絶つことで叶う願いが、救われる思いがあるのなら、それは完全なる悪なのだろうか。間違っているのだろうか。死は、救済にならないのだろうか。

 きっと私たちは、ここで一緒に答えを見つけるべきなんだ。

「かりんちゃん。ちょっとだけ、一緒に悪い子になろうか」

 彼女の表情が一瞬、華やいだように見えた。


*第4話(最終話)へ続く──

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