【連載小説】少女よ、星になれ(4)【最終話】
*第1話
*前回のお話(第3話)
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次の日、私は仕事を休み、彼女は学校を休んだ。というか、無理やり休ませた。彼女は「あたし一応受験生なんですけど……」と不服そうにしながらも、抵抗する様子は見せなかったのでいいだろう。私も上司から何かいろいろ言われたような気がするけれど、あまり覚えていない。
朝食はフレンチトーストにした。キッチンに転がっていた期限ギリギリの食材たちを、ちょうどいい具合に消費できそうだったからだ。食パンを卵液に浸している間、彼女は部屋の掃除を続けてくれていた。
フライパンに乗せたパンが甘い香りを漂わせはじめた頃、彼女がキッチンを覗きに来た。タンスの中に眠っていた私のジャージを身に纏った彼女は、いい意味でいつものお上品な佇まいとのギャップがある。
「筒井さん、テーブルけっこう片付きましたよ」
「ありがとう。ごめんね、ほとんどやらせちゃった」
「いいんです。掃除ってなんだか落ち着くから」
さりげなくもどこか晴れ晴れとした笑顔を残し、彼女は戻っていった。
フレンチトーストはあんまりうまくできなかったけれど、焦げかけた部分を口に入れて苦笑する彼女を見ていたら、なんだか無性に心に淡い光が灯ったのだった。
昼間は部屋で映画を観たり本を読んだりして、夕方には公園を散歩した。いつもの平日とは違う、穏やかな時間の流れ。彼女は道行く散歩中の犬を見てはしゃいだり、ブランコを漕いだりして楽しそうに過ごしていた。おそらく見る限り、心の底から。
帰り道、楽しかったあ、と彼女は言った。
「ずっと楽しくいようと思って生きてきたんです。お勉強は楽しい。友達といるのも楽しい。あたしが楽しんでいれば、パパもママも喜んでくれるから。でも、今日は本当に楽しかった気がする」
私も、と小さく返すと、彼女は花が咲いたように笑った。この気持ちに嘘はなかった。ああ、そうか、これでいいんだ。妙に納得した心地でいた。生きるって、これでいいんだ。
「それにしても、全然悪いことしてないじゃないですか、あたしたち。学校休んだだけ」
「うーん、確かにそうね。あ、そうだ」
思いつきでコンビニに寄り、日本酒と甘酒を買った。「甘酒じゃそんなに悪くなれなさそう」と彼女には笑われたけれど、これでよかった。
帰ってきてからそのお酒を手に、二人でベランダに出た。冬の夜は体が芯から冷える。しかしそれぞれの飲み物のおかげか、外気にさらされても凍えることはなかった。透き通るような夜の空。私たちはしばらく黙って、杯に口をつけていた。
すると彼女が、言葉を探すように、おもむろに口を開いた。
「あの日から、パパもママも変わっちゃいました。常にあたしの様子をおそるおそる窺って、あたしが何か言うと過剰に反応して。
パパが帰ってくると、きまって二人が喧嘩するようになりました。あたしの前では何もないように振舞ってるけど、二人の会話はベッドの中からでも聞こえるんです。あんなことが起きたのはお前の育て方が悪いんじゃないのか、あなたがなかなか帰ってこないからでしょ、って」
甘酒の水面に波が立つ。杯を持つ手は、震えていた。
「パパが単身赴任から帰ってこなきゃいいのに、なんて思ってしまった日には、自分が憎くて仕方なくなりました。優しいパパが、仲のいい二人が、大好きだったはずなのに……」
彼女の肩が震える。思わず抱き寄せようとしたけれど、できなかった。少なからず彼女と同じ想いを抱いている罪悪感、背徳感が、彼女の想いを受け止める手を止めてしまう。
「だから、やっぱりあたしは元気で幸せなふりをしなきゃいけないんだって思ってました。誰も心配させないように、もう二度と家族に悲しい顔をさせないために。
でも、あたしが本当に幸せにならなきゃ、誰も救われない」
筒井さん、と彼女は私を見上げる。
「今日みたいに生きていけたら、わざわざ命を絶たなくても、星になれるのかもしれませんね」
6年前、彼女は言っていた。星になってしまえばいい子でなくてもいいし、毎日が楽しく幸せであるように過ごす必要もない。その苦しみから逃れる方法が、彼女にとっては星になることだった。
星になる。それは自由の象徴だった。今縛られるものの何もかもから解放されて、ただ宙を漂う存在になること。その姿に憧れて、切実に焦がれて、彼女は屋上から飛び降りようとした。彼女はただ、自分だけの自由を手にしたかった、それだけだった。
私もこの数年間、幾度も死んだほうがましだと頭を抱える夜を越えてきた。ただ耐えるだけの日々に希望なんか見出せるはずがなくて、そのたびに彼女のことを思い出した。どうすれば救われるのだろう、星になれたらどんなにいいだろうと。
けれど、生きていても星みたいに漂うことはできる。できたのだ、実際。
「どうして生きてるのかなんてね、金稼いでうまい飯食って酒飲んで寝るためなのよ」
「それ、誰かの受け売りですか?」
少女は悪戯っぽく笑う。まるで星みたいな瞳が、このまま夜空に溶けていくんじゃないかと錯覚した。
「あたし、いい子でいるのやめます。誰かのために生きるのはやめます。自分のせいで家族につけてしまった傷は、もしかしたら二度と消えないかもしれないけど。でもこれからは、あたしがいちばん楽な方法で、星みたいに生きていきます」
「もう、本当に星にはならなくていいの?」
このときの、彼女の屈託ない笑顔が忘れられない。
「だって、今日みたいな日がまた訪れるって思ったら、死ぬに死ねないじゃないですか」
人生が闇に包まれて、何も身動きがとれなくなったとき。それならそこで星になればいい。何もできなくていい、何もしなくてもいい、世界は許してくれるから。ただ宙を見上げながら揺蕩っているうちに、気がつけば再び歩み出せるときが来るかもしれない。そうして人生をまるごと味わってからでも、本物の星になるのは、きっと遅くない。
[完]
*あとがき
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