里見八犬伝聖地巡礼【下総二】伏姫桜・国府台城跡
2025年3月30日
南総里見八犬伝のクライマックスであり、八犬士が大活躍の対関東管領戦。
その中でも主戦力同士が激突する主戦場が、下総国「国府台の陸戦」。
物語では、犬塚信乃と犬飼現八の活躍で、関東管領に大勝利し里見家に平安が訪れ物語の終わりにつながるんだけど…。
史実では里見軍と北条軍が二度戦い、里見軍は敗戦して多くの死者が出たという。虚と実では、正反対の場所なのです。
馬琴先生も史実の「国府台合戦」を里見八犬伝の参考にしているから、市川周辺の国府台や行徳が物語にも数多くの舞台になっているはず。
きょうは国府台周辺の「里見八犬伝と戦国里見ゆかりの名所」お散歩、いざ出発🐚 ぷろぽ〜
市川歴史博物館と下総国分寺史跡めぐり
北国分駅から少し歩くと入場無料の「市川歴史博物館」。
様々な時代の展示がある中、室町後期「国府台合戦」の展示もありました。
道の駅いちかわでは「国府台城跡」の御城印とおにぎりをげっとして
下総国分寺の史跡を巡りながら、真間山に向かいます。
国分の台地もお寺が多くて、見頃の桜がとてもキレイ🌸
真間山弘法寺の伏姫桜
そしてついに、里見八犬伝の伏姫さまにちなんだ枝垂れ桜「伏姫桜」へ。
青い空に美しい枝垂れが映えて美しい〜✨ 映え〜🌸
ずっと見頃の伏姫桜が見たくて、ネットでチェックしまくりだったので、いいお天気に恵まれ、綺麗な桜が見れて、すごい感激ぃぃ😆
きょうここに来れて、本当によかったぁ〜😭 しみじみ…幸せのひととき

本殿でお参りし、日蓮宗の御朱印もいただき、広くてきれいな境内をお散歩。
桜ごしに見えるのは、丘の上に立つ「鐘楼堂」。
仁王門には、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも出ていた運慶作と言い伝えられている仁王像が、とても凛々しい。
境内には古墳時代の前方後円墳「弘法寺古墳」があり
奈良時代には行基菩薩が立ち寄られて「求法寺(ぐほうじ)」と名付け
平安時代に弘法大師(空海)が伽藍を構えて「弘法寺」と改称され、
鎌倉時代に日蓮の布教を受けて日蓮宗に改宗し、運慶作の像もあり…
なんかここって、歴史のスーパースター揃いの、すごいお寺なのかも😳

そして赤門をくぐると、里見の文字が見えたので近づいてみたら、里見の姫をお祀りする里見龍神堂が。なんだか霊験あらたからしい❣️

物語に出てくる伏姫さまも、スーパースターの仲間入り⁉️
とにもかくにも「伏姫推し」で、聖地巡礼としては、とてもうれしい
真間山 弘法寺でありました。
国府台城跡
里見公園の南斜面にある湧水「羅漢の井」。
日本中にいっぱいある「弘法大師清水伝説」の井戸のひとつ。
里見一族が国府台城に布陣した時の飲料水として使用されたという言い伝えが。
高台から見下ろす江戸川が、キラキラ光ってとてもキレイ✨
く〜〜、なんかキラキラ✨見てたら、クラクラしてきたじょ🤩
ぐ〜〜。なんかいろいろ歩き回ってたら…
「腹が…減った😱」(孤独のグルメっぽく😅)
桜の名所、里見公園では本日が🌸桜まつり最終日。
お花見されてる人がいっぱいの中、桜の下の空いてる場所を発見。

桜まつりの和太鼓の演奏を聴きながら、見上げれば晴天をバックに美しい桜。
最高のシチュエーションで食べるおにぎりは、もう至高ですぅ😋
お花見🌸最高❣️
なんてずっとほのぼのしてたいけど、きょうはまだまだ行きたいとこがめじろ押し。まずは里見公園の中を散策します。

里見公園展望台からは江戸川を眺める風景は、浮世絵に描かれるほどの美しさ。
歌川広重(初代)も国府台から江戸川を眺める浮世絵を描いています。
画題の「とね川」は現在の江戸川。やっぱりすごい崖だったんだなぁ。
お花見客がいっぱいの里見公園南東部に比べ、北西部はひっそりとした雰囲気。
小高い石垣の上には「里見広次並びに里見軍将士亡霊の碑」が。
第二次国府台の合戦では、里見軍は北条軍に敗北し、里見軍の戦死者は五千名と伝えられている、とても悲しい史跡。

となりの「夜泣き石」は、里見の姫が合戦で戦死した父の霊を弔うために、安房国からここ国府台へ。そばにあった石にもたれ父の名を泣き叫びながら、息を絶やしてしまったという言い伝えが。
夜になるとこの石から悲しい声が聞こえてくるために「夜泣き石」と呼ばれるらしい😢 悲しい伝説だけど、いわゆる心霊スポットですか⁉️😱
時代は不明だけど、土塁や石垣などの城の遺構が残っていて、転がっている岩にも、何かいわくがあるのでは⁉️なんて思ってしまう。
「里見茶屋」では軽食を販売していて。桜まつりの今は大賑わいで大行列。
ちょりっと興味があったけど、まだお腹いっぱいなので今回は通過。
起伏のある公園内には、いかにも人工的に作られた滝と小さな池の上に太鼓橋。
ここは大正時代に「里見八景園」という遊園地があって、ここはかつてあったプールの後らしい。

里見八景園って、ゴロが里見八犬伝に似てるよね〜😅
大正時代も「里見八犬伝」は人気だったのかな? すごいな〜❣️
里見公園の北の端には古墳時代の史跡「明戸古墳」。
江戸の古地図にも同じ場所にあるから、ずっとここにあるのかな?
「国府台合戦」当時も、史跡は守られていたのかな?
このような歴史的な史跡は、ずっと守り続けてほしいなぁ😊

国府台城縄張り図は城郭団てつさんの図を引用 空撮画像はGoogleマップより
おうちに帰ってから、国府台城縄張り図を見て検証したら、遺構がよく残っている北西部が「本丸」、そして国府台城跡碑やお花見した広場は外郭だったみたい。
北西に広がっていた曲輪は、住宅や田畑になって、北端の丸山は現在では「丸山古墳」になっているようです
国府台天満宮
里見公園北東に隣接してるのが「国府台天満宮」。
太田道灌が創建し、現代でも「辻切り」という民俗行事が行われている。
悪霊や悪疫を侵入するのを防ぐため、ワラで大蛇を作って地域の出入り口の四隅の辻を、霊力によって遮断することから「辻切り」と言うんだって。

里見公園の入り口でも、木に巻かれた国府台辻切り(東)を発見。
ちょりっと可愛くて4体コンプしたくなったけど時間切れ。無念。
それにしても、弘法寺の茶室といい、この天満宮の創建といい、市川を散歩しているととにかく「太田道灌」のレジェンドっぷりが目につく。
でも、このエリアの超重要人物であるはずの太田道灌。
なぜか『南総里見八犬伝』の世界では、存在が薄い気が…
忖度された太田道灌
八犬伝のラスボス・扇谷定正は実在の人物としてガッツリ悪役で登場するのに、なぜその有能な家臣であったはずの太田道灌は、作中で「巨田備中介持資」として、チョイ役(しかも主君と不仲で前線から干されている設定)にされてしまったのか?
実は、馬琴先生が太田道灌の扱いにめちゃくちゃ頭を悩ませていた形跡が、物語の初期(第二十二回)に見え隠れするのです。
高田衛先生の名著『八犬伝の世界』でも指摘されているが、最大の理由は「江戸幕府への配慮(用心)」。
太田道灌といえば、言わずと知れた「江戸城」を築いた人物。
もし物語で道灌を大活躍させて、江戸城を舞台にした大合戦なんて描こうものなら、当時の幕府から「現政権への反逆か!?」と目をつけられ、一発で出版差し止め(発禁処分)になってしまうかも。
だから馬琴先生は、江戸城や太田道灌を物語のメインに絡めることを、慎重に、用心深く避けたのかな…なんて想像してみたり。
それに、気になるのが「太」の一字問題。
八犬伝の世界において、文字の形は運命を左右する超重要パーツ。
もし作中に「太田」という苗字の超大物が登場してしまったら…?
「太」という文字は、点(、)を右上に動かせば「犬」という字に(太→犬)。
八犬伝の世界において、文字の形は運命を左右する超重要パーツ。
名前に「太」を持つ重要人物が、犬士たちと運命的な結びつき(あるいは特別な因縁)を持たないはずがない。
読者だって「おっ、この『太』田って奴、絶対に犬士と何かあるぞ!」と深読みしちゃうこと間違いなし!
だからあえて序盤で“巨田”にして「太田一族はこの世界にいません」って宣言した。幕府への忖度と、物語の構造を守るため…ということかな。
馬琴が生きた時代の出版事情を考えると、この「用心深さ」も少し見えてくる。
NHK大河ドラマ『べらぼう』(2025年放送・江戸時代の出版人・蔦屋重三郎を主人公にした時代劇)主人公 蔦屋重三郎の史実でも、老中 田沼意次が失脚した後、実権を握った松平定信。風紀の取り締まりと称して、財産の没収など、蔦重も幕府に弾圧される時代が訪れる。
大河ドラマでどう描かれるか楽しみにしているのですが。
里見八犬伝があれだけ坂東(関東)のいろんな土地を舞台に飛び回っているのに、なぜか「江戸城(周辺)」だけがポッカリ空白地帯になっているのも、すべては馬琴先生の「絶対に作品を守り抜くぞ」という命がけのディフェンスだったのかな?
なんて想像するのも、ちょっぴり楽しい。
そんな制約の多い時代に、関東各地の伝説や歴史を縫い合わせ、
壮大な物語として残してくれた馬琴先生には、感謝しかない✨🙏
そして、虚から実に戻り「国府台の合戦」古戦場めぐりをしてみたいと思います。
じゅん菜池緑地公園
現在は池には鴨などの水鳥が住み、湖畔には桜が咲き乱れ自然が豊かで平らなため、お散歩やランニング、ワンちゃんのお散歩など、皆さんの憩いの場になっています。

戦国時代の遺構や説明なども見つけられす、室町時代末期に合戦の激戦地だったとは、とても信じられないような素敵なところでした😊

国府台合戦 古戦場跡
矢切駅を北に進み、急な坂を登ると「矢切神社」。
矢切も国府台合戦の主戦場となり、戦没者は一万人余を数え、田畑は荒らされ一家は離散。その苦しみから弓矢を呪い、矢切や矢喰いという言葉が生まれ、二度と戦乱が起きないように庚申塔や地蔵尊を祀ったそう。
切り通しの曲がりくねった坂から見えた木柱は、「史跡 永禄古戦場跡」。
階段を登ると、後北条氏と里見氏が関東の覇権をかけて戦った、第二次国府台合戦の説明板。やっぱりここは古戦場跡なんだなぁ…なんて実感がわいてきます。

歩道橋を渡ると、桜がとても綺麗で誰もいないお花見の穴場「野菊園」。
国府台を見下ろすことができる展望のいいところにベンチがあったので
ひとやすみして、今まで歩いた古戦場を眺める。
夕方になり陽もかげり初め、史実ではここでは大河ドラマとか歴史映画でよく見るような、侍さんがいっぱい死んでるシーンが脳内をよぎって、ちょりっと切なくなるけど…
待て待て。里見八犬伝ではここで八犬士たちの大活躍で勝利を納め、和議が結ばれ戦が終結した地。
せっかくの聖地巡礼、虚の世界を想像して楽しくこのお散歩を締めよう…なんて思っていたら…、
にゃん。🐈
たくさんの野良にゃん達が、続々と集結して目の前でくつろいでる😺
いち、に、さん匹ということは、三猫士(にゃんし)きゃ⁉️😻

三猫士と共に勝利の勝ち鬨を上げて、このお散歩を締めたいと思いまする。
えい、えい…、にゃ〜〜〜〜😹
今回のルートの動画と、人形劇 新八犬伝
↓ 今回歩いたルートを動画にしました。
↓ NHK人形劇・新八犬伝の音声動画が貼ってあるブログを見つけました。
ちょうど「国府台の決戦」のシーンです。胸熱😻
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