8/13 ビシュケク→タシュケント→ブハラ→ヌクス(後編)
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14時半、我々は定刻通りブハラに到着した。寝台列車がやってくる23時半までの9時間、ここで観光をして時間を潰すことになる。
サーマーン朝やブハラ・ハン国の首都であったここブハラには、数々の歴史的なイスラーム建築が現存しており、旧市街が世界遺産に登録されている。どうも適当に旧市街を散歩していれば半日くらいで見終わるようなので、とりあえず中心部までヤンデックスで行ってみることにした。

快晴のブハラは本日40度を越しており、あの火焔山に匹敵する暑さだ。駅近の日陰には日本人グループがたくさんいて、間違いなく話しかけられそうだったので、我々は5分ほど駅から離れたところでヤンデックスを呼ぶことにした。4時間くらいしか寝れていないのに社交のターンに入るのはキツい。
北関東の温泉地と高速の間の謎エリアみたいな道を行くこと30分、中心部近くに到着した。未開発の荒れ地の中に、まばらに小さな家とやたら豪華なレストランなんかが出てくる観光地手前の不自然な光景は、万国共通なんだろうか。もっとも、ここには蝋人形館やミラーハウスに準ずる施設はないのだが。(ちなみに中国にはあって、それはVR体験館だった)
ウズベキスタンの田舎は現金社会なので、まずは両替をする。そのためにわざわざ大きめの銀行に来たが、レートが死ぬほど悪くて結構びっくりしてしまった。田舎の小さな両替所でもまずまずだったキルギスやカザフスタンでは考えられなかったことだ。その代わりか、物価はキルギスと同じくらいとされているものの、体感では20%くらい安い。ともかく、これならキャッシングした方がマシなので、多様は銀行横のATMで現金を入手した。

吸い尽くされるかと思った
インバウンド向けレストランで飯も食い、我々は旧市街を歩き出した。ブハラは、世界遺産に登録された街の中で普通の生活が営まれているのが特徴的だという。この後訪れるヒヴァは、同じノリだが対照的に生活感には欠け、保存状態が良いらしい。
確かに、クネクネと続く町は大部分が平屋の生活域で、その中に中世〜近世のイスラーム建築が点在しているようである。いくつかモスクなどを見て、最大の遺跡であるイスラームの神学校・マドラサのある中心部に至ると、そこだけはテーマパークのように街並みが保存されていた。しかし、歴史のありそうな建物のほとんどは土産物屋になっている。

美しく、心休まるのだが、あまりにもハイファイに観光地化されており、その角のなさがトルファン・麻扎村の岩と土の街並みにどうしても見劣りしてしまう。また、周囲が金持ちそうな日本人ファミリーとおばさん連ればかりなのも癪に障った。
しかし、この街最大の見どころであるミル・アラブ・マドラサ、そしてカラーン・モスクだけは別格の輝きを放っていた。壁面の緻密な装飾、30m以上はありそうな圧倒的な大きさ、顔料の青…何よりも、土産物屋とレストランがひしめき合う広場の裏手とは思えない厳かな空気が素晴らしかった。

ちなみに、この静けさは建物自体の荘厳さに加え、あのピクトグラムによっても担保されており、短パンのマサカリは腰に布を巻かされている。なぜかさななのTシャツはセーフらしい。

その後は城壁や聖廟を巡り、ちょうど日暮れと共にやることが尽きた。
列車がやってくるまで残り3時間。ここまでのバスと電車でたっぷり睡眠を取ったバナナとマサカリはまだまだ元気そうだが、4時間睡眠の多様は疲労と眠気で久々に体力的なしんどさを感じている。最初は旧市街のレストランでゆっくりしようかと思ったが、観光地価格に耐えかね駅で休息を取ることとなり、ヤンデックスで移動する。
0時前、真夜中のブハラ駅に寝台列車が滑り込んできた、というより殴り込んできた。我々はこのけたたましい列車の17号車で1夜を過ごすことになる。

乗り込んでみると、車内は既に消灯されてしんと静まり返っている。片側には向かいあわせの2段ベッド、もう片側には壁に沿うようにまた2段ベッドの列があり、1つの車両に60人くらいは寝ているようだ。恐らく最後の乗客である我々がベッドに潜り込むと、列車はさっきの轟音が嘘のように静かに走り始めた。ヌクスまでの8時間で疲れが取れていることを祈りながら、毛布の代わりにシーツを被る。ベッドは固いし、どう考えても足がはみ出てしまう大きさなのだが。
