ソクラテスの弁明

プラトンの『ソクラテスの弁明』を数年ぶりに読み返した。ぼくがここ数年読んできた本は、さかのぼっても19世紀半ばくらいまでだったが、もっと古い古典の教養も必要だよねと思い、あらためて読み返した(ソクラテスやプラトンは2400年くらい前の古代ギリシャ人)。

感想としては、端的に面白かった。
この本はソクラテスが神々を信じず、また若者たちを堕落させているということで告発され、裁判でのソクラテスの弁明を描いている。結果として、有罪とされ、ソクラテスは死刑判決を受ける。
負ければ死刑なので、ソクラテスは自身を美化したりしただろうか。していないように思われる。あくまで「真実」を大事にしているから。人々の理解を得るために、説明の論理には気を配っている様子は見受けられるがその程度だし、他の対話篇をしばらく読んでいないので記憶がおぼろげだが、そもそもプラトンの描くソクラテスのいつも通りの話の展開のさせ方のように思われる。

読んでいて、「無知の知」ってあったなぁと思い出し、我が身を振り返ったりした。
そして「徳」について思い出した。昔『メノン』を読んだ時、「徳とは何か」ということを考えたが、ついぞ分からなかった。それっきり忘れていたが、あらためて「徳とは何か」ということに考えを巡らせた。
一旦の結論としては、常に我が身を振り返り、正しいおこないをしているかどうかを振り返る(=自省する?)ことが徳のように思われる。
だが、常に自分を疑うということは懐疑主義に至らないか?スピノザは、正しいことが自明である場合に、あえてそれを疑うことを退けたように記憶している。ぼくはそのスタンスを取りたいが、果たして…?

まあとりあえず、あらためて『メノン』を再読して、考えてみようと思う。

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