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「ペンネームは殺人芸術家」第2章:若き日の甑島旅行①

 昭和四十八年。高三の夏休み。
 友だち二人と僕の三人で、甑島に行った。
 一緒に行った二人のうち一人は、学校内で回していた落書きノートへの参加者でペンネーム殺芸こと濱村君。
 もう一人は、バンド仲間の一人。当時人気だったエマーソン、レイク&パーマーを意識したキーボード・トリオ「トライトン」のドラマー・中間君だった。
 この二人は、出身中学は同じだったが学年が一つ違い、進学した高校も異なっていたので、もともと接点は無かったのだが、僕らのバンド活動に興味を持った濱村君が、演奏するたびにカメラを持って同行してくれ、バンドのメンバー中間君とも顔馴染みになり、友だち付き合いするようになったのだ。
 旅行の行き先がなぜ甑島だったかは、よく覚えていない。言い出しっぺは、確か中間君だったと思う。

 上甑、中甑、下甑の三島が連なる甑島列島は、薩摩半島の西に位置する串木野から約三十キロ西にある。
 鹿児島市から目と鼻の先の桜島だったら、気楽に誘って気楽に応じるっていうことも十分にあり得る。それが甑島となると、そんな簡単なやり取りで話がまとまることは、まず考えられない。
 昭和四十八年。まだフェリーも就航しておらず、小さな客船に揺られての船旅は、ピクニック感覚で気楽に行くというわけにはいかなかった。

 たぶん、中間君が甑島の魅力を、若者独特の熱のこもった口調で話したんだと思う。そのあたりの細かいやり取りは思い出せないが、結果として三人とも甑島に恋焦がれ、気分は大いに盛り上がっていた。
 宿の予約などは一切無し、地図だけを頼りに動き回り、浜辺でテントを立て、星空を仰いで、背中に砂を感じながら寝る。そういう無計画な旅そのものに憧れ、心が躍っていた。
 僕らは、テントや飯盒、固形燃料や食料などをリュックに詰め込んで、それぞれが約ニ十キロの荷物を背負って西鹿児島駅から鹿児島本線の鈍行列車に乗り込んで、串木野駅へ向かった。

 串木野港は、桜島フェリーのような、「客に微笑みかける観光地」ではなく、周囲にはマグロ船が並び、網の匂いや魚の匂い、重油の匂いが混ざり合う活気に満ちた漁港だった。
 出航を待つ待合室も、ただそっけなく時間が過ぎてゆく。そのよそよそしい無頓着さが、慣れ親しんだ空間から離れた旅情を感じさせた。
 岸壁から船べりへ直接架けられた細い木や鉄でできたタラップを踏みしめる一歩一歩が、東シナ海の荒波へと乗り出す覚悟を促しているかのようだった。
 客室は畳敷きの二等の大部屋。乗客はめいめい風呂敷包みや荷物を置き、腰を下ろしていた。
 そこには、「どこからいらっしゃったんですか?」なんていう会話が生まれるような浮遊感など一切なく、人々が身につけている服も、洒落っ気の感じられない地味な色彩で、顔付きも日常生活そのままの無表情。周囲に対する無関心な空気が漂っていた。
 閉塞感に追い出されるように甲板に上がり、海の広がりを眺め潮風に当たりながら、まだ見ぬ甑島へと思いを馳せた。
 陸地から離れるにつれ、波は高くなり、船は揺れた。下方へ吸い込まれ、上方へと浮かび上がるその動きは、腹の中の臓物を直接かき回されているかのような不快感があった。船べりに這いつくばり、海に向かって頭を突き出している中年女性の姿が目に焼き付いている。
 それでも、僕ら三人、大きく体調を崩すこともなく、いささか手荒な「海のもてなし」を、なんとか受け止め、下甑島へとたどり着くことができた。
  

  ☞「ペンネームは殺人芸術家」第2章:若き日の甑島旅行②


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