📖 診察室の物語 #2:「薬をやめたいんです」
この記事に登場する方は、複数の患者さんのエピソードをもとに再構成しています。
「先生、薬は使いたくないんです」
初診で、その方はそう言いました。
50代後半の男性。健診でHbA1cの異常を指摘されて来院。数値はそこまで悪くはなかったけれど、放っておける範囲ではなかった。
穏やかな方だった。話し方も丁寧で、受付にも礼儀正しく挨拶をしていた。仕事は営業職。デスクワークと外回りが半々だという。
糖尿病の説明をして、薬の話をしようとすると、遮るように言いました。
「薬って、飲み始めたら一生やめられないんでしょう?」
この質問は、よくいただきます。
月に何度も聞く。年齢も、性別も、数値の程度もバラバラだけれど、この質問だけは驚くほど共通している。
「一生やめられないんでしょう?」
その声の奥にあるのは、恐怖です。
薬は体に悪いもの。一度始めたら戻れない。自分の体が薬に「依存」してしまう。薬を飲むということは、病気に「負けた」ということ。だから、始めないほうがいい。
そう思っている方は、少なくありません。
「自分はまだ大丈夫」「本当に必要になるまで先延ばしにしたい」——その気持ちは、よくわかる。薬を飲むことは、自分が「病人」になることを認めるような気がする。その心理的なハードルは、想像以上に高い。
その方にも聞いてみました。「薬の代わりに、何か考えていることはありますか?」
すると、鞄の中からクリアファイルが出てきました。
中には、健康雑誌の切り抜きが3枚。サプリメントのパンフレットが2つ。折り目がついた週刊誌のページが1枚。
「これが血糖にいいって書いてあったんです」
「あと、この酵素ドリンクが——」
「知り合いに勧められて、これも試そうかなと」
週刊誌で読んだ「薬なしで治った」という体験談。知人に勧められたサプリメント。ネットで見つけた民間療法。YouTube で見た「医者が教えない血糖の下げ方」。
どれも、その方なりに真剣に調べたものでした。クリアファイルに丁寧にまとめてある。蛍光ペンで線が引いてある記事もあった。
この方は「何もしたくない」のではない。**「薬以外の方法で何とかしたい」**のだ。
その気持ちは、否定できない。否定してはいけない。
正直に言えば、サプリメントや民間療法に科学的な根拠がないことは、伝えるべきだと思っています。「効く」と謳っている商品の大半には、糖尿病を改善するエビデンスがない。中には害になるものもある。
でも、初診のこの場面で「それは効きませんよ」と言って、何が起きるか。
この方は、心のシャッターを下ろす。「やっぱり医者は薬を出したいだけだ」と思う。そして、二度と来ない。
初診で大事なのは、正しいことを言うことではない。「この人の話を聞いてくれる場所だ」と思ってもらうことだ。
私は、否定しませんでした。
「まず、食事と運動で様子を見ましょう」と伝えました。
薬を出さなかったのは、数値にまだ猶予があったからです。でもそれだけではありません。
この方にとって、「自分で何とかしたい」という気持ちを大事にしたかった。
糖尿病は長い付き合いになる病気です。5年、10年、それ以上。主治医に言われたから薬を飲む——その関係では、どこかで途切れる。
「自分の体を、自分で理解して、自分で決める」。その土台を作るには、時間がいる。
たとえその時間が、結果的に「薬を始めるまでの回り道」になったとしても。
食事の話をしました。運動の話もしました。
「こんなふうに食べ方を変えるだけで、数値が動く方もいます」と伝えると、その方は身を乗り出して聞いていた。メモまで取っていた。
「やります。やってみます」
帰り際、その方はそう言いました。目に力があった。
次の外来は2ヶ月後。「いい結果を持ってきます」と、待合室で靴を履きながら言っていたのを、看護師が教えてくれました。
2ヶ月後。数値は、ほとんど変わっていませんでした。
「先生、食事は気をつけてるんですけど……」
頑張ったのは本当でした。間食を減らした。野菜を先に食べるようにした。散歩も始めた。お酒の量も減らした。
でも、数値は動かない。
こういうとき、患者さんの顔には独特の表情が浮かびます。「頑張ったのに報われなかった」という、静かな落胆。
これは珍しいことではありません。
私の外来では、薬を使わずに食事と運動だけで始めた方の、8割くらいが、最終的に服薬に移行します。
8割。
この数字を聞いて「やっぱり無駄だった」と思う方がいるかもしれません。
でも、私はそう思わない。
糖尿病は、代謝の能力そのものが落ちて起きている現象です。
膵臓のインスリンを出す力が弱くなっている。インスリンの効きが悪くなっている。これは「頑張りが足りない」のではなく、体の仕組みが変わってしまったということ。
どんなに食事を整えても、どんなに歩いても、壊れたエンジンをアクセルワークだけでカバーするのには限界がある。
薬は、エンジンを修理する道具です。体に「悪い」ものではない。足りなくなったものを補うもの、あるいは、効きにくくなった仕組みを助けるもの。
眼鏡をかけることを「目に負けた」とは言わない。杖を使うことを「足に負けた」とは言わない。
薬を飲むことは、体に負けたのではない。体と一緒に歩くための道具を手に入れるということだ。
でも、この理屈を初診の日に言っても、たぶん届かなかった。
2ヶ月間、自分で食事を変えて、運動を始めて、それでも動かない数字と向き合って——その経験を経たからこそ、「体の仕組みの問題」という言葉が、実感として入ってくる。
3ヶ月目の外来で、薬の話をもう一度しました。
今度は、遮りませんでした。
少し黙って、天井を見て、それから私のほうを見て言いました。
「……わかりました。飲んでみます」
最初の日とは、声のトーンが違っていました。
初診の日の「使いたくないんです」は、恐怖から出た言葉だった。この日の「飲んでみます」は、納得から出た言葉だった。
「飲みたくない」から始まって、自分で食事を変えて、運動を始めて、それでも動かない数字と向き合って——その3ヶ月を経て、出てきた「飲んでみます」。
その「飲んでみます」の重さが、初診の日に「じゃあ出しておきますね」と処方していたら、決して生まれなかったものだと、私は思います。
数ヶ月後。薬を始めてから、数値は順調に下がりました。
面白かったのは、食事と運動も、薬を始めてからむしろちゃんと続くようになったこと。
これは意外に思われるかもしれない。「薬を飲み始めたら、食事も運動もサボるんじゃないか」と思いがちだけれど、実際には逆のことが多い。
なぜか。
薬を飲むと数値が動く。数値が動くと「効いている」という実感が生まれる。実感が生まれると「もっと良くしたい」と思う。食事や運動を続ける動機が生まれる。
薬と生活習慣は、敵同士ではない。チームメイトだ。
「薬を飲んでいるんだから、こっちも頑張らないと」
そう言って笑う顔は、初診の日に健康雑誌の切り抜きを見せてくれたときとは、別人のようでした。
あのクリアファイルのことを、ときどき思い出します。
蛍光ペンで線を引いた週刊誌の切り抜き。サプリメントのパンフレット。
あれは、「騙されやすい人」の持ち物ではなかった。
「自分の体を、自分でなんとかしたい」という願いの形だった。
その願いは、今も変わっていない。ただ、その道具が、サプリメントから正しい食事と運動と薬の組み合わせに変わっただけだ。
「薬をやめたい」。
この言葉を外来で聞くたびに、あの方のことを思い出します。
この言葉の裏にあるのは、怠けではありません。恐怖と、自分でなんとかしたいという切実な願いです。
その願いを否定せず、一緒に走ってみて、それでも届かなかったとき——そこで初めて差し出す薬は、「押しつけ」ではなく「選択」になる。
遠回りに見えた3ヶ月は、無駄ではなかった。
あの3ヶ月は、代謝の原理を体で理解する時間だった。「意志の問題ではなく、体の仕組みの問題だ」ということを、頭ではなく、経験として知る時間だった。
そして何より、治療への気持ちを育むのに必要な時間だった。
結局、あの方は今も薬を続けています。サプリのパンフレットは、もう鞄に入っていません。
でも私は、あのクリアファイルを見せてくれた日のことを、ときどき思い出します。
あの日があったから、今がある。
📖 この記事は「診察室の物語」シリーズの一部です。
前回 → #1「数値が良くなったのに泣いた」
📖 診察室の物語 ── 代謝の専門医が外来で見てきた景色を、ひとつずつ。
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⚕️ この記事は代謝内科の臨床経験をもとに書いたものであり、個別の診断・治療を目的としたものではありません。
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