POMR連載②:POMR(問題志向型診療録)の国際的展開:日本を中心とした比較分析
導入
POMRは米国発の概念でありながら、各国の医療制度・文化・技術環境によって全く異なる進化を遂げた。 日本では日野原重明が1972年に導入し、SOAPノートは臨床研修の標準となったが、「3分診療」と単一診療報酬体系のもとで米国のようなnote bloatは構造的に発生しにくい。英国ではQOFによるインセンティブがproblem listの実質的な普及を推進し、オランダはICPCに基づくエピソード・オブ・ケアモデルで世界最先端のPOMR実装を実現している。米国の診療録が同一EHRを使用する他国の4倍の長さであるという研究知見は、note bloatが技術ではなく制度の産物であることを示す [1,2]。低・中所得国ではOpenMRSが40カ国以上で展開され [3,4]、AI文書化技術によるleapfrog(飛び越え発展)の可能性が現実味を帯びている [5]。
本稿はシリーズ第②回として、第①回で分析した米国の要因(HITECH Act、出来高払い制度、訴訟文化、note bloat、2021年E/Mコーディング改革、ambient AI)と明示的に対比しながら、国際的なPOMRの展開を三つの軸——導入・普及の歴史、医療保険制度の影響、新技術のインパクト——から包括的に検討する。
この記事を含むマガジンはこちらをご参照ください。
私がこの記事を書くに至った経緯については、こちらをご参照ください。
日野原重明とPOS:日本への導入と制度化の歴史
Weed-Hurst-日野原の系譜
POMRの日本への導入は、明確な人的ネットワークを通じて実現した。Lawrence L. Weedが1969年にCase Western Reserve大学から Medical Records, Medical Education, and Patient Care を出版した後、Emory大学内科主任教授のJ. Willis Hurstが1971年にNEJMに「Ten Reasons Why Lawrence Weed is Right」を発表し、米国内でPOMRの最有力な推進者となった [6]。日野原重明(1911-2017)は1951年にEmory大学に留学しており [7]、Paul Beeson教授のもとで学んだ後もEmoryとの関係を維持していた。1970年代初頭にHurstからPOS(Problem Oriented System)の理念を学んだ日野原は、1972年にこの概念を日本に持ち帰った [8]。
ここから先は

半ば常識となっている問題志向型医療記録(POMR)について、その米国における起源と日本を含む他国への普及過程、多疾患併存時代における課題に…
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?
