問題志向型医療記録(POMR)の歴史、現状、課題:まえがき
はじめに
問題志向型医療記録(Problem-Oriented Medical Record; POMR)について、AIと壁打ちしながら一連のリサーチを行いました。以下の5部構成で、多面的な検討を試みています。
米国におけるPOMRの発展・限界・変革 — Weedの1968年の構想からHITECH法、note bloat、ambient AIまで
日本を中心とした国際比較 — 日野原重明の導入、英国QOF、オランダICPC、北欧モデルとの対比
臨床思考の「型」としてのPOMR — 認知的徒弟制・状況的学習理論から見た教育的価値と、AI時代の認知的負債
多疾患併存がプロブレムリストを破壊する — 記載の崩壊、情報過負荷、記録負担の悪循環
フリーアクセスとハイコンテクスト文化のもとで指導医は何ができるか — 日本の制約条件を踏まえた7つの具体的提案
このリサーチの出発点
率直に言えば、このリサーチの出発点は学術的関心ではなく、かつての臨床経験に残る引っかかりでした。
以前勤務していた臨床研修病院で、外科系を志望するある初期研修医が、総合内科ローテーション中にどうしても日々のカルテ記載——特にプロブレムリストの包括的な作成——に取り組んでくれないことに悩んでいました。当時の私にとって、入院患者のプロブレムを網羅的に把握し記載することは「当たり前」でしたから、なぜそれができないのか、なぜやろうとしないのかが理解できませんでした。直接指導にあたっていた上級医(新専門医制度初期世代)は、その研修医に比較的同情的で、記載について強く押してはいないようでした。
当時は「将来の進路と結びつかない診療科のローテーションではモチベーションが上がらないのだろう」と捉えていました。この理解自体は今でも的外れではなかったと思います。しかし、あの場面で起きていたことの全貌は、もっと構造的だったのではないか——そう考えるようになったのは、その後の経験の蓄積によってです。
「当たり前」が揺らぐとき
年数が経つにつれ、気になる変化を目にするようになりました。外科系志望の研修医だけでなく、内科系を志望する研修医の中にも、プロブレムリストの作成にさほど力を入れない人が散見されるようになったのです。
背景には構造的な変化がありました。入院患者に占める多疾患併存の後期高齢者の割合は増え続け、一人の患者のプロブレムリストが10件を超えることも珍しくなくなりました。第④部で分析したように、プロブレムリストへの追加と整理の比率は約4:1——リストは膨張する一方で、メンテナンスはほとんどされません。DPC制度の下での在院日数短縮圧力、電子カルテの操作負担、そしてコピー&ペースト文化の蔓延。POMRに「十全に」取り組むことは、制度的にも時間的にも困難になっていました。
さらに根本的な問題として、第②部のリサーチで明らかになったのは、米国でPOMRがnote bloat(臨床記録の肥大化——国際平均の4倍)を生んだ経緯は、出来高払い制度と訴訟文化という米国固有の制度に駆動されていたということです。一方で、英国のQOFやオランダのICPCのように、制度設計がプロブレムリストの質を担保している国もある。日本の「3分診療」と単一診療報酬体系は、note bloatを構造的に防止しますが、同時に記録の包括性も犠牲にします。POMRの問題は、テクノロジーの問題ではなく制度の問題であり、文化の問題なのだと気付かされました。
同時に、ambient AIによるカルテ自動生成ツールが日本市場にも急速に登場し、「そもそも医師が自分でカルテを書く」という行為の意味自体が問われ始めています。第③部で検討したように、SOAPノートを手書きする行為は学習科学でいう「望ましい困難」であり、その行為自体が臨床推論を鍛える認知的足場として機能してきました。AIがこの困難を除去したとき、何が失われるのか——「認知的負債」という概念は、この問いに対する一つの回答です。
自分自身のアップデートのために
私は平成16年度に新臨床研修制度が始まって間もない頃に医師としてのキャリアを開始した総合内科医です。POMRに則ってプロブレムリストを作成し、患者さんの全体像を包括的に把握することは、自分の臨床的アイデンティティの核でした。その過程で学んだことが、今の自分の臨床判断力の基盤になっていることは間違いありません。
しかし、新専門医制度による早期キャリア分化、COVID-19以降の医療体制の変容、AIツールの急速な浸透——これらの変化を前にして、「自分がやってきたこと」をそのまま後輩に求めることが本当に最善なのか、立ち止まって考える必要を感じました。第③部のリサーチでは、教育理論の観点から日本の屋根瓦式教育がCollinsの認知的徒弟制と構造的に一致していること、そしてスーパーローテートがLave & Wengerの正統的周辺参加として理解できることを確認し、自分がかつて「当たり前」と考えていた教育実践の理論的基盤を改めて認識しました。同時に、その教育的価値がAI時代に脅かされているという危機感も明確になりました。
第⑤部で提案したように、全科の研修医に同一水準の包括的記録を求めるのではなく、初期研修では「型」として厳格に訓練しつつ、専攻医以降はキャリアトラックに応じて要求を分化させる——臓器別専門医には5行の「全体への窓」、総合診療志向にはAriadne原則によるゴール志向型記録への拡張——という層別化が、おそらく現実的な解です。
本連載は、こうした問題意識をAIとの対話を通じて言語化し、構造化する試みです。「POMRは誰のために書くのか」という問いに対する答えは、「次にこの患者を診る、まだ見ぬ医師のために」——フリーアクセスの日本では、その「まだ見ぬ医師」が誰であるかを私たちは予測できません。だからこそ、記録は明示的でなければならない。しかしその明示性は、日本のハイコンテクスト文化と3分診療の制約のもとで、独自の形を取る必要があります。
主にClaude Opus 4.6を使用してリサーチと議論を行いました。各記事の内容についてはPerplexityによるレビューを受け、修正を重ねています。
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