イスラーム帝国の分裂⑦
シーア派とスンナ派
・ブワイフ家とダイラム人はシーア派に親近感。
・よってバグダードやイラクでシーア派が興隆。
・シーア派学者はブワイフ朝の首相の保護を受けた。
・これにより十二イマーム派の隠れイマームの理論を強化。
・962年にムイッズはスンナ派への非難をバグダードの壁に書かせた。
(ア朝)初代・2代目カリフはアリーに委ねられるべきものを簒奪した、というもの
・翌963年にはシーア派の祭礼を奨励。
・市民のアリー家の墓廟への参詣が盛んに。
・ダイラム人はシーア派を支持、トルコ軍人はスンナ派を支持。
・よって宗派問題は政争に波及。
・スンナ派もこうした動きに対抗し、「洞窟の祭り」を挙行。
ヒジュラの時に預言者とアブー・バクルが洞窟に隠れたことを記念
・これはシーア派のガディール・フンムの祭りの8日後に当たった。
・よって暴力沙汰に発展することも。
・ア朝カリフのカーディルはファ朝カリフに対抗。
・1018年にカーディリーヤ宣言を発布。
「4人の正統カリフは全て崇敬されるべし」
・これによりカリフ位簒奪というシーア派の主張を否定。
・この宣言はバグダード市民やガズナ朝のマフムードが支持。
・スンナ派とシーア派が相容れない教義を掲げることに。
・回教徒はいずれかの主張を選択せざるを得なくなり、分裂は深化。
アラブ遊牧民の政権
・遊牧民にとって隊商路の警護と引き換えに獲得する保護料が重要な収入。
・9世紀末以降、アッバース朝の衰退によりシリアやイラクの各地で遊牧民が活発化。
・軍事的に王朝に対抗し、自ら王朝を建てる部族も。
中部イラク:アサド族
ジャズィーラ地方:タグリブ族・ウカイル族
北シリア:キラーブ族
・その嚆矢はジャズィーラ地方のタグリブ族。
=イラク北部
・回教時代以前からこの地方を拠点としていた。
・9世紀に首長がジャズィーラの中心都市モスルの総督に任命。
・ハムダーン家もこの部族の一員。
・フサイン・ブン・ハムダーンのときにアッバース朝軍で頭角を現した。
・そこで一族が登用されることに。
・905年に弟アブー・アルハイジャーがモスル総督に。
・ハムダーン朝はアルハイジャーの2人の子息の時代に勢力を拡大。
・929年にハサンが総督に。
・ア朝カリフ政権からジャズィーラ地方の統治者として認められた。
年7万ディナールと小麦の貢納が条件。
・やがてア朝の政争にも関与。
・942年に先の大アミール、イブン・ラーイクを殺害。
・カリフのムタッキーを擁してバグダードに入城。
・大アミールに任命された。
・このときに「国家の守護者」の称号を獲得。
・協力した兄弟のアリーも「国家の剣」の称号を得る。
・946年にブワイフ朝が成立するとこれと抗争。
・956/7年にハサンはバグダードに侵攻も反撃される。
・958/9年には逆にモスルから退却させられる。
・967年のハサンの死後、子息が王位を継承。
・しかし既に衰退。
・990年、ウカイル朝にモスルを奪われた。
・944年、アリー・アルハイジャーはアレッポをイフシード朝から奪い自立。
キラーブ族の支援を得ることで成功
・ビザンツ帝国の北シリア進出に抵抗し、度々遠征。
・950年以降、彼は劣勢に。
・ビ軍は最大20万を動員。
・ハムダーン朝は3万人が限界。
・キリキア~マラティヤはビザンツ領に復帰。
・基教の影響も強まる。
・アリーの死後、実権は次第にマムルーク軍人に。
ウカイル朝とミルダース朝
・ハムダーン朝の後退により、2王朝が政権に。
モスル:ウカイル朝
アレッポ:ミルダース朝
・ウカイル朝は北アラブのウカイル族の出身。
・990年にモスルをハムダーン朝から奪取。
・996年にはブワイフ朝がこれを承認。
・1001年即位のキルワーシュの治世が最盛期。
・1010年にはファーティマ朝カリフの名前でフトバ。
フトバ:金曜礼拝の説教
・政権の基盤は亜遊牧民。
・領地からの徴税よりも保護料が主な財源。
・990年にディヤルバクルではクルド人のマルワーン朝が成立。
・アレッポ周辺ではサーリフが軍事的・政治的に優位に。
キラーブ族出身のミルダース家
・やがてアレッポを包囲。
・1016年にハムダーン朝の君主マンスールは逃亡し王朝は滅亡。
・1025年にサーリフはファーティマ朝の総督から城を奪取。
・ミルダース朝を設立。
・ミ朝軍はキラーブ族など亜兵が中心。
・トルコの傭兵や、市民軍、「その長=ライース」も町の防衛に協力。
市民軍:「アフダース」
・1029年にサーリフは死去。
・2人の息子の共治体制に移行。
ナスルとスィマール
・1031年にビザンツと講和。
・50万ディルハムの貢納が条件。
・1038年、ファ朝が遠征軍を派遣しアレッポを奪還。
・1041年、ファ朝の総督が死去。
・スィマールは首相の補佐を得てアレッポ市は一時的に安定。
・1062年にスィマールは死去。
・アレッポはビザンツ、ファ朝、セルジューク朝の争奪の場に。
・1080年にウカイル朝の占領によりミルダース朝は滅亡。
