イスラーム帝国の分裂③
アイヤールの日常
・アイヤールが誓いを立てる対象は回教以前の信仰に遡るもの。
古代イランの神ヤズダーン、光、火、太陽、パン、塩
・公然と飲酒をし、仲間の連帯を強めた。
・一宿一飯の恩義を重視。
・誓いを破り、仁義に反する者を厳しく処罰。
・内輪で通用する隠語を使用。
・挨拶も「仁義を切る」と似た作法があった。
・「助っ人」として権力者に与することも。
・基本的には束縛されない自由を重んじた。
・アイヤールの掟は72あると言われる。
・最も重要なものは「パンを与える」「秘密を守る」。
・アイヤールは街中では治安維持。
・外敵から町を防衛する時には権力者の補助軍に。
・サッファール朝時代のスィースターンでは5回の実例が記録。
アイヤール出身の支配者
・サッファール朝の君主自身もアイヤール出身。
・開祖のヤークーブ・ブン・アルライスは村からスィースターンに出ると、まず銅細工師に。
・それからアイヤールに。
・更に盗賊、街道強盗に。
・その後、配下の騎兵を獲得。
・867年、アミールに。
・銅細工師を亜語で「サッファール」と言う。
・873年にニーシャープールをターヒル朝から奪取。
・879年に次代のアムルが即位。
・カリフからスィースターン、ホラーサーン、ファールスの支配を認められる。
・しかしソグディアナをサーマーン朝から奪取することには失敗。
・逆に2回のスィースターン攻略を防げなかった。
・その後も度々周辺王朝に占領や服属することに。
空前の社会変動
・独立王朝が現れる時代はイランで回教への改宗が進んだ時期に当たる。
・イランの回教徒人口:
アッバース朝初期:10%
ターヒル朝時代:50%超え
サッファール朝時代:80%以上
ブワイフ朝時代:90%超え
以後横ばい
・数字の根拠は都市の人名録の名前から推測したもの。
・アッバース朝の権威が低下する時代にイランで改宗が進んだという関連は興味深い。
(イラン人はア朝の衰退を一種の「好機」と見たのだろうか?)
・10~11世紀はイランに限らず回教世界が大きく変化。
・キャラバンサライやハーンという商業・宿泊施設が街道や都市に作られる。
・農業の分野では新しい栽培作物、稲、サトウキビが東方から伝来。
シーア派の成立と分裂
・684年からのムフタールの乱の中でマフディー思想が形成。
・ムフタールは「アリーの息子=ムハンマド・ブン・アルハナフィーヤ」を擁立。
・彼を「イマーム・アルマフディー」と呼んだ。
マフディー:アッラーに正しく導かれた者
・ムハンマドの死後、「隠れイマーム」に基づくマフディー思想が誕生。
・「イマーム」:回教世界の指導者。
・スンナ派にとってはカリフと同義。
・シーア派ではアリーの子孫。
・信徒を導くべき能力と権威を備えた者。
・シーア派はイマームの定義を巡り、多くの分派に分裂。
・12代目のイマーム、ムハンマドは父親ハサンの死の直前に5歳で任命。
・父親の死後、このムハンマドが隠れて隠れイマームとなったとするのが十二イマーム派。
・十二イマーム派は第4代イマームが第3代とササン朝最後の王の娘との息子と信じる。
第4代:アリー・ザイン・アルアービディーン
第3代:ハサン
最後の王:ヤズデギルド3世
王の娘:シャフルバーヌー
・以後のイマームはササン朝と預言者ムハンマドの血を引くとする。
・イスマーイール派に属するファーティマ朝が埃で成立。
・「ダーイー」という宣教師を各地に派遣。
・その一派のニザール派はシリア、イランに次々と山城を設置。
・セルジューク朝時代には暗殺教団として恐れられるように。
・特に有名な指導者にハサン・サッバーフ。
・1090年にアラムート山城を入手し再建。
カズヴィーン東北、アルボルズ山中に位置。
・「殉教者」と呼ばれる刺客を派遣し、セ朝の要人を次々暗殺。
・アフマド・ブン・アッターシュはイスファハーン近くの山城を根拠地に。
=「シャー・ディズ」
・セ朝を悩ませる勢力に。
・アラムート山城は蒙の攻撃まで陥落を免れた。
