027.セレンディピティは、『偶然に意味を与える生き方』の哲学〜AEPCAA/EPCAAAフレームワーク
こんにちは!Catalyskiの三上です。
前回の記事では、「ZINEを作ることになった彼女」のエピソードをご紹介しました。今回は、その続編のような感じで、ちょっと深堀りしてみたいと思います。
前回の記事はこちらから↓↓↓
今日話したいテーマは2つです。
1つは、セレンディピティをどうやって構造化して理解するかという話。
そしてもう1つは、セレンディピティの定義でもある、《探していなかったものを見つける》って、そもそもどういうこと?という問いへの向き合い方です。
セレンディピティには順序があるのか
まず、前提として僕が前回提案したフレーム『EPCAAA』(読み方は「エプカー」です。可愛くない⁉️)サイクルのおさらいです。これ、僕はけっこう気に入ってます(笑)。内容は以下の6つのステップです。
E:出逢い(Encounter)
P:予兆(Pre-sense)
C:触媒(Catalyst)
A:気づき(Awareness)
A:受容(Acceptance)
A:行動(Action)
ざっくり言うと、
「あの偶然、あとから考えたらめちゃくちゃ意味があった!」
という、“過去の伏線回収”を促すプロセスですね。
でも、最初は行動じゃないの?という疑問
とはいえ、以前に「小さいdoから始めよう!大事なのはPDCAではなく『dCAP』だ!」・・・なんて行動する重要性を語ってきた本noteでもありますから、よく読み込んでくれている人ほど、こんな声が挙がりそうですよね。
「偶然って、動いた人に起きやすいんじゃない?」
「まず行動するから、出逢いがあるのでは?」
・・・はい、それ、ごもっともです。
だから僕はもう一つのフレームとして、 Aから始まる『AEPCAA(あえてこちらもエプカー) 』も提案する必要があると考えています。
こちらは、Action → Encounter → …というように、行動を起点とした循環型の考え方です。
2つのフレームの違いは何か?
この2つの違いは、あくまで“どこから入るか”の違いです。一言で言えば、
EPCAAA:過去の出来事を振り返り、そこに意味を見出す“内省型”
AEPCAA:自ら行動することで、偶然を起こしやすくする“実践型”
なので、「今起きたこの出来事はどっちだろう?」と迷う必要はなくて、起点の違いであり、陸続きでもありますから、両方をぐるぐる循環させながら使うのが良いと思います。
セレンディピティの入り口としてぴったりな『EPCAAA』
たとえば、
「何をしたらいいかわからない」とか「動いても意味があるかわからない」と感じている人にとって、「とにかく動け!」と言われても、なかなかしんどいじゃないですか。
そんなときこそ、まずは『EPCAAA』で《過去の偶然》を振り返ってみるのが大事です。
「あのときの言葉、今思えばめちゃくちゃ大事だったかも」
「あのタイミングで会った人が、今の仕事に関わってる」
そんなふうに《偶然に意味を見出す目》が育っていくことで、だんだん「次は(自ら)動いてみようかな」と思えるようになるわけです。
感度が育ってきた人にオススメしたい『AEPCAA』
逆に、EPCAAAでの振り返りを何度か経験すると、
「あ、これ今Cかもしれない」「今の気になる感じ、前のPに似てるな」と、リアルタイムで意味の種に気づけるようになります。
そうなると、
• 偶然を待たずに動いてみよう
• 出逢いが起きやすい場所に行ってみよう
という《セレンディピティを仕掛ける行動》=『AEPCAA』へと進んでいくのだと思います。
2つのエプカーは「二重円」でつながっている
この2つのフレーム、イメージ的には「重なり合う2つの円」みたいな関係です。
最初は手前の円(EPCAAA)をぐるぐる回って、偶然の意味や自分の行動の背景に気づいていく。
そのうちに、ふとしたきっかけで、もう一つの円(AEPCAA)にスライドして、自ら動ける感覚を持つようになる。
でも、またEPCAAAに戻って振り返ることもある。このらせん状というのか二重円というのか、その往復運動こそが、セレンディピティ体質の成長そのものなんです。
そして、ZINEの話に戻ると…
さて、ZINEを作ることになった彼女の話、思い出してみてください。
彼女は本を書こうとは思っていなかった。
でも、周囲から「書いてみたら?」と言われ続けていた。その中で、本屋での「本を書く予定はありますか?」という偶然の声かけが、Catalyst(触媒)として作用して、ZINEというアウトプットに向かっていった彼女。
今時点では、確かにこれはAction(行動)にも見えるけれど、もっと長いスパンで見れば、このZINEそのものが、新しいEncounter(出逢い)に導く可能性もあるし、また次の誰かのCatalyst(触媒)になり、そこから次の行動につながる可能性もあるわけです。
たとえば、
・誰かがそのZINEを読んで、何かが始める
・イベントに誘われて登壇する機会が生まれる
・「島根」というキーワードから、別の企画に発展する
仮にこういった展開が起きたら、ZINEは行動の成果ではなく、その《通過点》ということにもなり得る。
つまり、セレンディピティって、「はい完了!」で終わるものじゃなくて、ずっと続いていく可能性のある連鎖だと思うんですよね
行動の結果が、また次のセレンディピティの起点になる。セレンディピティは、「点」ではなく「連鎖」でできていて、そしてその連鎖が、未来に何を生むかは、結局は、誰にもわかりません。
とても無責任な放言に思われるかもしれませんが、だから僕はおもしろいと思っているのです。これを楽しいと思える思考やマインドを持つと、人生の見え方が変わると信じています。
探していなかった。・・・けど、それ本当?
最後に、僕が好きなセレンディピティの
「偶発と才気によって、《探していなかったものを見つけること》」という定義について。
「探していなかったものを見つけること」がセレンディピティだとしたら、彼女のZINEの話は、本当にそうなのか?という問いが残ります。
前回みなさんにも問いかけました。みなさんはどう思いましたか?
僕の答えは、
探していなかった“つもり”だったけれど、無意識では求めていたものだったという感じですかね。
彼女は自分で「本を書きたい!」と強く思っていたわけではありません。
でも「あなたの言葉を残してほしい」と何度も言われていたし、心のどこかには「自分の言葉って、何かの形にしていいのかな?」という予兆がありました。
伏線って、後からしか意味がわからない
伏線回収って言葉が好きなんだけど、伏線って「後からしか意味がわからない」からこそ尊いし、《偶然じゃなかった》と思える感動を生むんだよね。
哲学っぽい——まさにそう。
セレンディピティは、《偶然に意味を与える“生き方の哲学”》だと思っています。
まとめ
というわけで、今日は
• EPCAAAとAEPCAAという2つのセレンディピティ・フレームの使い分け
• ZINEの彼女の話がセレンディピティと言えるのかどうか
をテーマにして書いてみました。
セレンディピティは、特別な人だけに起きることじゃありません。
セレンディピティとは、“今の自分”が見えていない”自分”との出逢いだと思います。
その余白に気づけるかどうか、
行動しながら待てるかどうか、
振り返って意味を見出せるかどうか。
探していなかったものに出逢う、というのは、《今の自分の意識では認識していなかった価値に出逢う》ということかもしれません。
つまり、セレンディピティとは「外の世界」との偶然の出逢いであると同時に、「過去の自分」「無意識の自分」との出逢いでもあるんです。
そう考えると、日常の中に隠れている何かしらの“エプカー”をみつけられるかもしれませんね。
ということで、今回はこんな話をしました。
セレンディピティにはEPCAAA(振り返り)とAEPCAA(実践)の2つの型がある
どちらか一方ではなく、行き来しながら循環する“らせん構造”として捉える
最初は偶然に気づくことから、そして次第に偶然を起こすようになる
行動が偶然を引き寄せることもあれば、偶然が行動を促すこともある
セレンディピティとは、今の自分を超えた、自分との出逢いであり、未来の伏線回収を生むプロセスかもしれない
🔽LINE公式 『Serendipity 4th Place』

セレンディピティについて発信している、LINE公式アカウントのコミュニティです!本記事を楽しんでいただけた方、こちらへの参加も併せてよろしくお願いします!
LINE登録者の皆さんからのご質問や感想を中心に、次回以降のnoteのテーマに取り上げ、回答していこうと思います。

いいなと思ったら応援しよう!
いただいたサポートは、私の知見を広げてくださる出会いとの交流に充てます。具体的には、お茶代、本代、もしくはここで繋がった方とのコミュニケーション代などです。それをnoteへの投稿で還元していきたいと思います。