057. それって、本当にあなたの選択?〜自分を主語で語るということ
「自分を主語にする」って、どういうこと?
私が経営するCatalyski(カタリスキー)という社名は「語り好き」からもじっている。
名前の印象がそうさせるのか、話し方教室だと思われたりしてる(笑)さらに言えば、僕自身が特別、話し上手なわけでもないのに、期待値だけ上がる。
この言葉に込めた思いは、【自分自身を主語に自己表現できる"語り好き"な人を増やしたい】ということだった。ただ、「語る=話す」の前にある、"内側の説明責任"を取り戻したい。そんな思いでつけた名前だ。
「自分を主語で語る」っていうのは、「わがままに生きよう」とか「自分勝手でいい」とか、そういう話ではない。むしろ、「自分の感情や選択にちゃんと責任を持つ」ということ。他人の言葉を借りず、社会のルールや正解をなぞらず、"自分の文法で世界を説明してみる行為"だ。
そして面白いのは、これを続けると、行動の起点も「自分の好き」や「自分の価値観」から始まるようになる。すると、不思議なことに、結果として、他者にとってもプラスになることが増えていくような気がしている。
僕はこれを『自己中心的利他』と呼んでいる。
自己中心的利他とはなにか
この言葉、ちょっと矛盾しているようで気に入っている。
「自分のやりたいことをやっていたら、結果的に他の人も幸せになっていた」──そんな状態のことだ。
たとえば、「自分は人に感謝されるのが嬉しいから、人のために頑張る」という人がいる。これ、利他的に見えるけど、ちゃんと主語は「自分」だ。「誰かのためにやる自分が好き」っていうのも、突き詰めれば"自分を主語にしている"状態。
利他の行動をしていても、自分の内側から出ているものなら、それはちゃんと自己主導の行為になる。
逆に「みんながそうしてるから」、「会社の方針だから」を理由に動くと、行動の主語は外に置かれたままになる。すると、どんなにがんばっても、あなたのその行動は"他の誰かの物語"の中で消費されてしまう。
『自己中心的利他』と『合理的利他主義』の違い
ここで少しだけ寄り道したい。
僕が最近ずっと考えている『自己中心的利他』という考え方は、フランスの思想家、経済学者で「欧州最高峰の知性」と称されるジャック・アタリ氏が言う『合理的利他主義』とも少し似ているように思うんだ。
アタリ氏は、「他者の幸福を増やすことは、長期的には自分にも返ってくる」
という文明論的な視点で利他を語っている。これって実は、東洋的な思想に近くて、僕ら日本人からしたら、何を今さらって思うこともある(笑)
アタリ氏のユニークなのは、利他は道徳ではなく、生存戦略だと言うこと。そしてコミュニティを良くする行動は、結局は自分の未来のためになる、と。この考え方は、とても美しくて合理的だと思う。でも、僕(Catalyski)が大事にしている『自己中心的利他』は、それとは少し違う文脈にある。
僕が言いたい『自己中心的利他』は、もっと"内側の衝動"に近いんだよね。このセレンディピティの発信もまさにそれで、利他が目的じゃなくて、結果としてあふれ出しちゃう"副産物"みたいなもの。だからついでに言っちゃうと、僕が大嫌いなのは、「利他、利他」口にしてる割に、短期的に回収しようという思惑が露骨に見える人。(往々にして、本人が気づいてないのが、更にイタい。)
アタリ氏の合理的利他主義は、システム全体・社会構造・文明レベルの視点で語られているけれど、Catalyskiが扱っているのは、もっと"個人の物語"に近いんだ。
「自分を主語に生きる」
「自分の北極星を持つ」
「意味づけの文法を自分で選ぶ」
──この内面の動きが起点になって、結果として他者に優しさが漏れ出すという構造。
つまり、こうだ。
・アタリ:合理性 → 利他
・カタリスキー:主語 → 利他
韻を踏んだみたいになってるね(笑)
まぁ、どちらも「利他は自分ごと」なんだけど、そのルートがまったく違う。Catalyskiがやりたいのは【人生の物語レベルで利他が生まれる仕組み】のほうなんだ。
主語が戻っていない状態とは
5〜6年前に、スタンフォード・ソーシャル・イノベーション・レビュー日本版(SSIR-J)が使っていたフレーズ「主語をわたしに戻す」という言葉を見かけて、シンプルだけど、妙に刺さった。
SSIR-J同様、"自分を主語にする"ことを大切にしているCatalyskiにとって、「主語をわたしに戻す」って、どういうことなのかを考えることはとても大切なことに思えた。
たとえば、「上司が言うから」、「会社の方針だから」、「みんなそうしてるし」、「怒られたくないから」・・・他人の正解を借りていれば責められないし、リスクを取らなくて済むから、失敗しにくいだろうし、一見すると安全そうだ。でもこれってさ、ゆっくりと自分の人生が"外側の物語"に書き換えられていく状態なんだなって思ったんだよね。
そして、気づかないうちにこの"病"は、自覚なく進行する。
・自分の選択なのに、自分の言葉で説明できなくなる
・何が好きか、何が嫌いかが曖昧になる
・"疲れ"の理由がわからなくなる
・偶然が意味を持たなくなる
僕が一番怖いと思っているのはここだ。
セレンディピティの観点で言えば、"自分の文脈で世界を読む力"が無いと発動しない。主語が外にあると、どれだけ良い出会いがあっても、その意味をつかめない。
つまり、主語が外にある状態=偶然を意味に変換できない状態、これは人生の伸びしろを自ら潰してしまう構造だ。
Catalyskiが「主語をわたしに戻す」ことを大事にしている理由は、単なる"自己主張"ではなくて、自分の文脈で世界を見られるようになることで、視界が開ける可能性を感じているからなんです。それは、あなたにとって"見えない損失"を減らすために大切なことなんだ。
北極星を持つということ
前回の福井旅のnoteで、こんなことを残した。
セレンディピティの多くは、「目的を持って出かけたのに、予想外の展開が起きた」場所で起きる。そして、その"予想外"を意味づけてくれるのは、たいてい他の誰かだ。
ここでいう目的は"ゴール"ではなく、"方向"のことだ。僕はそれを「北極星」と呼んだ。北極星は、どんなに状況が変わっても、「自分がどんな方向を向いていたいか」を示してくれる。目的地は変わってもいい。でも、どの方向に進みたいかを見失うと、どんな偶然も意味を持たなくなる。そして、北極星があるからこそ、他者が点をつないでくれる。
「主語をわたしに戻すこと」と「北極星を持つこと」は、実は同じことの別の言い方なのかもしれない。
AI時代の「主語」と「決裁」
つい先日聞いた話で印象に残っているのが、「AIが川上から川下まで一気通貫で業務をこなす時代がもう目前に来ていて、その先の未来において、人間の仕事は、AIの提案に対して、"決裁"になる」というものだった。
AIは膨大なデータから"納得解"を提示し、人間はそこに"意味"を与える。
ここで問われるのは、
「なぜあなたは、それを選ぶのか?」
主語が曖昧なままでは、この決裁はできない。脅すわけではないが、そんな未来が予測される今、自分を主語にできない人には、これからはさらに難しく・厳しい時代になるように思うんだ。既に、ホワイトカラーの仕事から静かに淘汰が始まっていて、僕らの近くにじわじわと押し迫ってきていることに気づいていますか?
ハルシネーションというズレをどう扱うか
AIの問題としてよく挙がるのが、『ハルシネーション(幻視)』だ。事実と違う情報を"もっともらしく"出してしまう現象だ。
でも僕は、このハルシネーションをこよなく愛している(笑)だって、自分の思考のジャンプを助けてくれる場合があるからだ。(※ハルシネーションの可能性については、以前こちらに書きました。)
これは、AIだけに起きている現象じゃない。人間にもある。
たとえば僕の事業領域において言えば、経営理念をつくるとき。同じ言葉を用いているはずなのに、その言葉から思い浮かべる世界、そしてそれぞれの言動が異なる場合がある。
例えば、『顧客の笑顔を大切に』と掲げても、ある人は「丁寧な接客」を想像し、別の人は「新しい挑戦」を思い浮かべる。言葉は共有していても、イメージはバラバラ。これ、まさに人間におけるハルシネーションだと思う。
理念の運用で難しいのは、この言葉から連想する"想像の誤差"をどう扱い、処理するか。「みんなで同じ解釈にしよう」と頑張り具体的にし過ぎると、解釈の余白が無くなり、"マニュアル化"してしまう。とはいえ、ズレをそのまま放置すると、理念は"ハリボテ"と化してしまい、組織は分解してしまう。
この場合に、大事なのは、そのズレを"問いの種"に変えられるかだと僕は思っている。どういうことか?
「あなたにとって"顧客の笑顔"って、どんな風景?」
「あなたの"挑戦"は、顧客の笑顔にどうつながってる?」
こんな風に、ズレを問いにして語ること。このズレを使ってチームの"世界観"を深めていくプロセスのことを、Catalyskiは『創造的対話』と呼んでいる。少し詩的な表現をするなら、理念を共有するのって、"共通の幻を見続けること"だと思うんだ。
でも幻なぶん、どこか儚く、朧げで、少しずつズレることは往々にしてある。だからチームは、定期的に話し合って、「今、私たちは同じ幻を見れているのか?」を確認しなきゃいけない。Catalyskiの仕事って、突き詰めると、理念や言葉を"意味の対話"として運用し続けながら、"共通の幻を編集し続ける作業"なのかもしれない。
AIは主語を奪うのではなく、主語を照らす鏡
「AIが人間を超える」と言われることもあるけど、僕はそれをディストピア的に悲観的に見ていない。むしろ、AIが多様な"幻"を提示してくれるからこそ、僕らは「自分はなぜそれに惹かれるのか」を意識できるようになる。AIが出す答えの中から、「これが自分(組織)の北極星に近い」と感じるものを選び取る。このプロセスこそ、"自分の主語"を強くすることなんだと思う。そのためにも、幻のようで儚く朧げで、時に変わる可能性があるものを常に見つめ続け、その変化に対して意識を向けることをし続けることが必要なんだ。
AIはあなたの主語を奪う存在ではなく、むしろ、あなたの主語を照らすきっかけになるものだ。AIに向き合うことで、むしろ、"自分についての発見と気づき"が増えていく。僕は、AIをそういう存在だと思っている。
終わりに:主語の時代へ
AIが進化し、偶然が増え、選択肢が増えるほど、必要になるのは"正解探し"ではなく、自分の文法で世界を読む力だ。
・自分を主語で考え、語ること
・自分の北極星を見つけ続けること
・ズレを恐れず、対話で意味づけること
この3つが、人間の仕事を変えていく。僕は、AIと人間が共に"意味づけ"を進化させていく未来が来ると思っている。
AIが提示する無数の選択肢と可能性から、自分の物語に合うものを、自分が責任を持って決めること。その瞬間、人間はまた"語る存在"としての役割を進化させることになる。その往復運動の中で、僕たちはもっと"人間らしく"なっていく。
セレンディピティもそう。偶然を意味に変える人のまわりに、また新しい偶然や人や意味が集まってくる。
だから今こそ
偶然を意味に変えるために、自分を主語に語ろう。
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