「3年後、どうありたい?」にうまく答えられない、あなたへ〜答えられない自分を、もう責めなくていい〜
最近、ひとつの言葉を見出しました。
『 becoming with 』
はじめは自分が生み出した概念だと思っていた。誰かと関わるなかで、自分のほうが変わっていく・・・そんな感覚を、そう呼んでみた。ところが調べてみると、ずっと前から、この言葉を使っていた人がいたことがわかった。
自分の発見だと思ったものには、既に名前がついていて、自分のオリジナルじゃないと分かると、少し気恥ずかしくも、どこか安心した。この感覚は、僕ひとりのものじゃなかったんだ、って。
そして、この言葉について僕なりに深掘りしていこうと決めて、この言葉の持つ可能性について書きだした結果、頭はフル回転してるのに、手が止まってしまった。僕がこれまで得てきた知見や経験のあれこれと結びついてしまって、一回では書ききれないほど大きくなる予感がしたからだ。
だから、二回に分けることにしました。
本当はひと続きの話なんだけど、それを途中で一度、止めます。答えを急ぎ、雑な結論に集約させたくないから。この『 becoming with 』のいちばん大事なところは、「わからないまま、しばらく抱えていられるか」にある気がして、だとするなら、僕自身がここで答えを急いだら、たぶん何かを取りこぼす気がした。
だから、先に言っておくと、このnote一つでは、皆さんが期待するような答えや結論ではないかもしれません。でも、不完全ながらも、僕の思考の過程を惜しみなく盛り込むので、そのプロセスや独特な着地に興味がある人に、読んでほしいと思います。
そして、もしあなたが、就活や面談で、あるいは眠れない夜にふと、「どうありたいか」にうまく答えられなくて、それを自分の弱さだと感じたことがあるなら、この記事は、その責めから少しだけ降りるための、いくつかの入口を差し出せると思います。答えそのものを渡すことはできません。でも、答えられなかったのは、あなたのせいじゃなかったのかもしれない・・・そう思えるまで、一緒に歩き続けましょう。
今回(前編で)は、手前の話をします。
「自分を知る」ための問いとして、僕が大事にしているいくつかの入口があるということ。そのなかに、自分でもうまく掴みきれていない新しい入口がひとつある・・・というところまで。
その掴みきれていない入口が、確実に今の僕に影響を与えていて、それは果たして何を連れてくるのか・・・それは次回(後編)にしたいと思います。前置きが長くなりました。始めましょう。
答えられなかった問い
「あなたは、(3年後)どうありたいですか?」
独立前、僕はこの問いを、チームメンバーに向かって、飽きるほど口にしていた。これは、半年に1度の評価面談で使う、前職時代の評価シートの1項目。
当時の僕は、年商十億単位、100名規模の事業部を率いる立場で、各々が書いてきた内容を元に一人ひとり面談してはチェックバックして、最終的に評価もしていた。メンバーの将来を一緒に考えるのも、僕の大事な仕事のひとつだと心から思っていたから、面談のたびに聞いていた。
どうありたいか。
何をしたいか。
どこを目指すのか。
時代もそうだった。こういう問いが、世の中にあふれていた頃だ。強く、前向きで、自分の意志で人生を切り拓く・・・そんなマッチョな人物像が、書店の棚を埋めていた。だから僕も、それに触発され、良い問いだと信じて、疑わずに使っていた。僕自身、比較的意識高い系だっただろうから、難しいと思いながらも、この問いに前職時代、向き合い続けてきたつもりだった。
ところが、それから数年。組織の上に立ち、問う側になると、その問いは自ずと、自分には向きづらくなる。いや、正確には、語る必要はある。ただしそれは、個人としてではなく、組織長としての視座で語る必要があった。だから、これらの問いが、個人としてどれだけ答えにくいものか、いつのまにか、僕もわからなくなっていたのかもしれない。
でも、独立した今、改めて、それが自分に返ってきた。
あなたはどうありたいですか、と。
——詰まった。
あれだけ人には訊いてきたのに、いざ自分がとなると、うまく言葉にならない。ありたい姿・・・それらしいものを並べることはできる。でも、口に出したそばから、これは本心だろうか、ほんとうに自分の言葉だろうか、と怪しくなる。用意した正解を読み上げているような、うすら寒さがあった。
この10年、明確に答えられないのは自分の弱さだと思っていた。意志が足りない。意識が低い。覚悟が薄い。・・・だから答えられないんだって。
でも最近、それを少しだけ疑うようになった。
答えられないのは、弱かったからじゃなくて、その問いの入口が、自分に、いや、あなたにも、合っていなかっただけなんじゃないか、って。
自分を知るための三つの入口
「どうありたいか」は、たしかに良い問いだ。ただし、これは僕らを深掘るための唯一の問いではないと思った。自分を知ろうとする時、僕らはいくつかの入口を持っていてもいい。以下に並べてみます。
どうありたいか
—これは、自分の状態を問う。ありたい姿、なりたい像。
何をしたいか
—これは、自分の行いを問う。やってみたいこと、成し遂げたいこと。
どんな人と成したいか
—これは、少し違う。自分ひとりの内側じゃなく、「誰と」から考える。
三つとも、自分に向かう問いだ。でも、向かい方が違う。状態から入るのか、行いから入るのか、それとも「誰と」から入るのか。
大事なのは、これらの問いに順番も上下もない、ということだ。
「どうありたいか」に詰まったなら、「何をしたいか」から考えてみてもいい。それもしっくりこないなら、「どんな人と成したいか」から考えてみてもいい。どの入口が正しいとか優秀という話じゃなくて、どの入口なら、あなたの心からの言葉が引き出せるか、という話だ。
僕はたぶん、「どうありたいか」の入口が合わなかった。だから長いこと、自分を語れないことに、幻滅していた。
人を変えるより、自分が変わるほうが楽だった
僕自身は、いつからか「どんな人と成したいか」を軸にするようになった。
何をするか、より先に、誰とするか。仕事を選ぶときも、「この人となら」を先に置いた。そうやって決めるようになってから、ずいぶん楽になった。領域とか肩書とか、そういう枠にこだわらなくても、「その人のために」という一点があれば、越えていける。
そんな原動力を、自分の外側から受け取りながら、僕は自身のカタリスキーという会社を経営し、今4年目を迎えた。
しかし、ここまで書くと、みなさんの中には、こう聞こえている人もいるかもしれません。「誰と」を軸にするというのは、つまり、「自分に都合のいい相手を選びなさい」ということですか?と。
成長させてくれる人
一緒にいて楽しい人
得になる人
・・・そういう相手を、リストにして選び出しなさい、と。
逆ですね。少なくとも僕はそういう考え方をしない。都合のいい相手を選ぶことなら、それは結局、自分は変わらないまま、相手を使っているだけで、「自分のため」でしかない。
自分にとって心地いい相手は、たぶん自分を変えてくれることはない。むしろ、少し噛み合わないとか、思いどおりにならないとか・・・そんな相手との間でこそ、何かが起きる気がする。
そして、もうひとつ。「あなたは独立したから、相手を選べるんでしょう」という声も、聞こえてきそうです。
そのとおりです。僕は今、選べる側にいる。会社のなかで上司も取引先も選べず、それでもやらなきゃいけない人からすれば、身勝手に聞こえるかもしれない。でも、僕だって、いつも選べてきたわけじゃない。楽しいことばかりでも、なかった。
そのなかで、僕が気づいたことは、たぶんひとつ。
人を変えるより、自分を変えるほうが、楽だった。
相手を、自分の思うように動かそうとするのは、しんどい。それより、自分の側を動かすほうが、ずっと早い。さらに言えば、相手に変わってもらうためにこそ、自分の伝え方を変えたり、相手の受け取り方を想像してみたり、自分自身を変える必要があった。
自分の物差しと、相手の物差しは違う。それを前提にして、どう付き合っていくか・・・それを続けていくうちに、確実に、自分の引き出しは増えていった。そして「誰となら組めるのか」という、自分の軸が、少しずつ研ぎ澄まされていった感覚があるんです。
・・・だとすれば、
「誰と」の入口は、今の僕のような相手を選べる裁量権を持つ人だけのものじゃないと思うのです。選べないその相手との間でも、自分が変わることを拒まないでいられるかどうか・・・その姿勢だけは、こちらに残されています。
そしてこの『自分が変わる』が、次の入口の扉になる。
四つ目の入口
「どんな人と成したいか」・・・この「成す」は、何かを成し遂げる、という意味だった。相手と一緒に、何かをする。でも、いつからか、その「成す」が、別のものにすり替わっていった瞬間がある。
僕は独立してこのかた、積極的な営業をしたことがない。本当に有難い事に、これまでご縁のある方から、お仕事の声をかけていただきながら、食い繋いでいるという実情だ。そして、さらに驚くのは、僕の得意分野や、これまで経験してきた領域とは違うお仕事の依頼が半分くらいあるということだ。その時は、僕が「その人と一緒に成したいか(doing with)」で、選ばせていただいた。
でもね、僕は昔から「自分事化」するのは上手かった。上司や、その会社の代表の気持ちになって考えてみたりしながら、自分の言葉で語ることをしてきた。その結果、その対象や、その価値観、その思い・・・色々なものを僕の中にトレースして、自分を"書き換える"、というより、"編み直す"ことができた。ポケモンで言うメタモンみたいなやつですね。
相手との関わり合いの中で役割が生まれ、その役割に応えているうちに、僕の考え方の形そのものが、少しずつ作り替えられていた。選んだつもりでいて、いつのまにか、こちらが変えられていた。何かを一緒に「成す(doing)」つもりが、僕自身が、何かに「成って(becoming)」いた。
『どんな人と成し遂げたいか』
そう問うているうちに、もうひとつ、別の問いが顔を出していた
この関わりのなかで、自分は、何になっていくのか?
これが、四つ目の入口です。
冒頭で名前だけ挙げた、『becoming with』。
だけど、ここで言っておきたい。僕は、この4つ目の入口の"問い"を、まだうまく言葉にできていないんだ。
「どう変わりたいか」
・・・いや、違う気がする。「変わりたい」と言った瞬間、変化が自分の願望になってしまう。自分で選んで、自分で掴みにいくもの。でも、さっきの経験は、そうじゃなかった。掴みにいったんじゃない。気づいたら、変わっていた。
「この関わりは、自分を何にするだろう」
・・・少し近い。でも「何にする」と聞くと、なった先の姿を——着地点を、探してしまう。becoming(成っていく途中)の話なのに、being(成った状態)に引き戻される。
「この関わりは、自分をどうしていくだろう」
・・・たぶん、これがいちばん近い。何になるか、ではなく、どう変えていくか。着地じゃなく、途中を問う。でも、まだ、しっくりとは掴めていない。
問いの形が定まらない。これはたぶん、この入口が、これまでの三つの入り口とは、質が違うからだ。
「どうありたいか / being 」
「何をしたいか / doing」
「どんな人と成したいか / doing with 」
どれも、主語は自分だった。自分が、ありたい。自分が、したい。自分が、成したい。意志の矢印が、自分から外へ向かっていた。
でも、この四つ目だけは、矢印の向きが逆なのかもしれない。自分が何かをするんじゃなくて、関わりのほうから、自分が変えられていく。主語が、自分の手を離れている。
だから、うまく問いにできない。「〜たい」の形に、まだできていません。
わからないまま、抱えていく
ここまで書くと、気にしなければならないことがあります。
「役割を与えられて、変わっていった」・・・こう書くと、ずいぶん受け身だと思ったんじゃないでしょうか。自分で選んでいないし、流されてるし、主体性がない。そう言われれば、そのとおりかもしれない。
それで良いんだ!と、僕は言い切れるだろうか。
・・・いや、まだ、言い切れない。
ただね、ひとつだけ、支えになりそうな言葉があります。社会学者の上野千鶴子さんが、2019年、東京大学の入学式で、新入生に向けてこう語りました。
がんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだった。
がんばれる、と思えるその力さえ、まわりが背を押し、手を引いてくれた結果なのだ、と上野さんは続けます。(本来この祝辞は、恵まれた力を、恵まれない人のために使ってほしい、という呼びかけでした。それだけでも、聞くに値する言葉です。)
でも、僕がこの言葉から受け取ったのは、少し別のことでした。
もし、がんばる意志の強ささえ、まわりから与えられたものだとしたら・・・「自分の意志で決めてきた」と信じてきたことの、どこまでが本当に、自分ひとりの手柄だったんだろう? 意志の出どころからして、すでに、関わりのなかにあったのかもしれない。
だとすれば。
関わりの中で自分が変えられていくことは、例外でもないし、恐れることでもないのかもしれません。それは今に始まったことじゃなくて、ずっと続いてきたことのただの続きなんだから。もともと僕らは、自分ひとりで自分を作り上げてきたわけじゃないんだし。
ここまで考えてみても、まだ、答えを出しきれていない。
四つ目の入口に、僕は「becoming with」という名前をつけたい。でも、これをあなたに問いかけるための、その問いの正しい形も、そもそも、これを受け入れていいのかどうかも、僕はまだ探している途中です。
自分を知るための問いは、たったひとつ、なんかじゃない。
四つの入口は、並んでいる。
どれが上でも、先でもない。
だから、あなたの入りやすいところから、入ればいい。
仮に、あなたに答えられない問いがあったとしても、
それは、弱さじゃない。
ただ、今のあなたに、その入口が、合っていなかっただけ。
ひとつ入ってみれば、次はどの入口にしようかって、考えられるようになるかもしれない。そうやって巡って、四つを通り抜けたら、一度、来た道を振り返ってみてほしい。
そのとき、はじめて聞けるはずです。
二周目は、4つの入り口を、どういう順番で、通ってみたい?
この先の話は、次回にしようと思います。
090.
「3年後どうありたい?」に
うまく答えられない、あなたへ
Fin.
最後に
📎 この記事の、糸の出どころ
becoming with という言葉について
本文で「先客がいた」と書いた、その先客は、ダナ・ハラウェイという科学史・思想の研究者です。人間を、切り離された一個の主体としてではなく、他の生きものや環境との関わり合いのなかで、共に変わっていく存在として捉える——そんな見方を、彼女は becoming-with(共に成っていく)と呼びました。僕の使い方と、そっくり同じではないかもしれない。でも、根っこは、たぶんここにある。名前をもらってから、自分がずっとやってきたことの輪郭が、少し見えた気がしています。
上野千鶴子さんの祝辞について
本文で引いたのは、2019年(平成31年度)の東京大学学部入学式での祝辞です。全文が大学のサイトで読めます。「環境のおかげ」の一節だけを切り取ってしまったけれど、本当はもっと射程の広い、力のある言葉です。よければ、全文を。
👉 https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html
🔗 この記事と、糸がつながっている話
「becoming with」という言葉は、実は前に一度だけ、そっと置いたことがあります。伏線が増殖していく、という話をした回。あのラストで、doing でも being でもなく、その先に『 becoming with 』があると書きました。今日の四つの入口は、あのとき置いた一本の糸を、もう一度ほどいて、並べ直したものです。
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四つの入口のうち、あなたはどれから入りますか?
あるいは、もう巡ってきた道を、振り返っている最中でしょうか。
この記事のどこかに引っかかりが残ったなら、それはたぶん、あなたが次にくぐる入口の、目印かもしれませんよ。
隠れて読むより、存在を示したほうが、次の一歩は誰かとつながりやすい。スキ❤️、フォロー🤝、コメント💬、お待ちしています。あなたのリアクションが、僕の次の一本になります。毎週末、新しい記事を投稿しています。
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セレンディピティ、仕事、AI、三上個人のこと。
届いた問いには赤裸々に向き合います。気軽にどうぞ。
👉 https://note.com/qa/melo_da_handsome
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